暗山論破に届いたコメントご紹介(突撃一番さん)

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ふぇいでございます。

皆さま沢山の論破コメントいただきありがとうございました。
皆さまのコメントを掲載できず申し訳ございません。

本日SPA!最新号が発売されるので、この暗山論破は最後になるかもしれません。
小林先生から提示された、
「壺切御剣(つぼきりのみつるぎ)」と「天皇制とポピュリズム」の問題
前者について書かれた突撃一番さんのコメントをご覧ください。
以下コメント全文

近所のコンビニにSPA!が置いてないので、ちゃんと読んだ上での論破というのは出来ないんですけど、「壺切御剣」に関してだけはどうやら、今年の正月に俺が倉山の新書を批判した時の、責任を取らなきゃダメみたい。 従ってコメ欄で再反論させていただきます。
(名指しで批判するのが礼儀だと思っていますので、普通に「倉山」と表記させていただきますね。)

今回の記事で倉山は、「立皇嗣の礼は日本国憲法の制約を受けるが、時の天皇が壺切御剣を授けるか否かまで干渉しない。」だから親授行事は天皇の意志で行われており、次の天皇は秋篠宮様というのが大御心だ、的な事を述べているようですね。

ナルホド確かに、令和2年の閣議決定において「国の儀式」とされたのは、立皇嗣宣明の儀と、朝見の儀のみです。宣明の儀の直後に行われた壺切御剣の親授行事は、「憲法上の国事行為とは別の行事」という解釈も不可能ではないかも知れません。

ここで、立皇嗣礼に関連する一連の行事を見てみましょう。

賢所皇霊殿神殿に親告の儀
立皇嗣宣明の儀 ◎
皇嗣に壺切御剣親授
賢所皇霊殿神殿に謁するの儀
朝見の儀 ◎

多少、順番の前後はあれど、平成3年に行われた皇太子徳仁親王(今上陛下)の立太子礼の内容を、ほぼそのまま踏襲しています。
このうち、宮内庁の公文書で「国の儀式」とされたのは、◎で表示した2つだけです(それも「案」の段階の文書に過ぎないが)。

立皇嗣礼の前身ともいえる「立太子礼」がそもそも国事行為として閣議決定された時も、「政教分離」に配慮して、宮中三殿に拝礼する行事とは分離されたそうです。

が、壺切御剣の親授行事はどうでしょうか?
御剣そのものは「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」とはされるものの、親授行事が行われるのは皇居・鳳凰の間であり、宮中三殿ではありません。
これは厳密には、「宗教的行事」とは言えないのではないでしょうか?
従って、

「宣明の儀」の終了からほとんど間を置かずに行われる壺切御剣の親授行事を、わざわざ「国事行為とは別枠の行事」と見なすかどうかは、憲法上の政教分離の問題とは無関係であり、時の内閣のさじ加減次第でどうにでもなる、という程度の扱いになってしまいませんか?

おまけに、平成3年の立太子礼をほぼそのまま踏襲するのであれば、わざわざ御剣の親授だけを一連の行事から省いてしまうのも、却って不自然でしょう。

ましてや、ここのコメント欄でも公論戦士の皆さんが悉く指摘されているように、皇嗣はそもそも「継承順位暫定一位」というお立場に過ぎません。
その関連行事として壺切御剣を賜ったからといって、「皇位は秋篠宮様に」が大御心として揺るぎないものだと勝手に決めつけるのは、やはり早合点が過ぎており、天皇陛下に対して極めて失礼な発言だという事は、繰り返し批判せざるを得ません。

参考文献
・Wikipedia
「立皇嗣の礼」「立太子の礼」「壺切御剣」
・「立皇嗣の礼関係行事等(予定)について(案)」 令和2年1月29日 宮内庁
・「立皇嗣の礼を国の儀式として行うことについて」
令和2年3月24日閣議決定
https://www.kantei.go.jp/jp/content/rikkousi_kakugikettei.pdf

突撃一番さんありがとうございました。

「男系継承が伝統だ」というごり押しが出来なくなった今。ごくごく一部を切り取ってでしか自身の正統性を見つけられなくなり、そしてきわめて失礼な人間となって誰からも相手にされなくなっていく。
これぞカルトですね。

これからもダンケーカルトを常識の海に沈めてまいります。
何卒宜しくお願い致します。

4 件のコメント

    昭和43号

    2024年6月5日

    1月のブログと合わせて読みましたが、これはもう完璧な論破ではないでしょうか。
    言われてみれば、壺切御剣の親授はそもそもが政治的で、宗教的な意味はあまりない気がします。国事行為かどうかについても、関連行事を含めて一連の流れになっているので、儀式全体が事実上国事行為といえるかもしれません。
    突撃一番さんの鋭い指摘に感服いたします。
    天皇の大御心というなら、こんな前例も意味もない立皇嗣の礼など実行すべきではありませんでした。

    突撃一番

    2024年6月4日

    最重要事項を、一点だけ補足させていただきます。

    俺が今回SPA!を買えなかったのは、単に俺が住んでる地域が、北海道の中でも輪をかけてド田舎であり、市街地まで法定速度で走っても90分くらいかかる過疎地域だからであって、忙しくない日に街へ下れば、セブンイレブンでも書店でも、普通に買えます。
    北海道に、SPA!が全く届いてないわけではないのです。

    『愛子天皇論』は、釧路市民もちゃんと読めますよ~~!!!

    という、最重要情報でした(笑)。

    突撃一番

    2024年6月4日

    今回、SPA!も買ってないくせに反論文を書けたのは、mantokunさんの論破コメントで、「今回のストロングスタイルの核」を説明してくださったおかげです。ありがとうございました!

    実際、新天皇の即位礼の一つである「剣壐等承継の儀」ですら、国事行為として扱われていますからね。三種の神器はあくまで神話に由来するにもかかわらず、「宗教儀礼」とはみなされていない証拠です。

    これも倉山の新書への「正月論破」で指摘した事だけど、神器とは異なり、あくまで藤原氏の権勢維持の為に新設されたシロモノに過ぎない「壺切御剣」の親授行事を、憲法上の「政教分離」の対象だと言い張る根拠も、輪をかけて弱いという事です。
    それをわざわざ、「立皇嗣宣明の儀」とは全く別の行事として国事行為から切り離した明確な根拠も、政府はどうせ説明なんか出来ないでしょう。

    私はX上で、天皇が国事行為に意見できないのをいい事に、倉山みたく大御心を勝手にデッチ上げる行為を、「手足をもがれた人を、サンドバッグにするのと同じだ」と表現しましたが、皇室の名誉を守るべき宮内庁官僚の文書一つで、逆賊にここまで「天皇イジメ」の余地を与えてしまうのだから、天皇の行為に関しては「全ての責任を、行政の側が負う」という覚悟が必要なんだな、と改めて思いました。

    そこまで責任を負えないのであれば、天皇が政策に意見できるよう「オーディエンス制度」を設けるか、或いは皇室典範の改正権を、陛下にお返し申し上げるしかないね。

    突撃一番

    2024年6月4日

    掲載していただいた上に、わざわざ俺の過去ブログにリンクまで貼っていただいて、ふぇいさんありがとうございます!
    取り急ぎ、先にお礼だけ述べさせていただきますね!!

    今日はなぜか親子連れのお客さんが多いんで、「女性の地位向上」貢献の為、頑張って働いてきま~す(≧▽≦)

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