【早期治療がカギ!「国民主権病健診」のお時間です!!】
前回ブログまでは、大嘗祭や行幸啓における国民からの奉仕・奉迎によって、天皇の活動が輝きを得ている事、そして天皇が国民と権力とを繋ぐ役割を果たしてくださっている事を明らかにしました。
でもだからといって、徒なポピュリズムの暴走にまかせて、「天皇は国民の意のままの存在だ」とまで我々がノボセ上がってしまったら、どうなるのでしょうか?
わかりやすい患者さんの事例を2例、ご紹介しましょう。
【症例その① 西尾幹二】
「天皇家の人々は天皇制度という船の乗客であって、船主ではないと私は言った。船酔いをして乗っていられない個人は下船していただく以外にないだろう。」
「船酔いの個人」って、誰の事でしょうね?
「下船」って、一体どういう意味だろうね??
平成20年の雑誌『WILL』にて西尾幹二は、「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」と題し、繰り返し同じような例えで極言しています。記憶しておられる方も、多いかも知れません。
同じ号で、当時皇太子妃であった雅子殿下に対して
「天皇制度の内部に入ってそれを内部から少しずつ崩しているいわば獅子身中の虫」
と断じ、翌月号の『WILL』平成20年6月号でも、
「皇太子ご夫妻が(中略)皇族としての御自覚にあまりにも欠ける処がある」
「国家ということ、公ということをお忘れになっていないか」
「一口で言えば『傲慢』の罪を犯しておられるのではないか」
とまで口汚く罵っている事からも、
西尾の言う「船酔いで乗っていられない乗客」が、当時の皇太子ご夫妻(言うまでもなく、令和の天皇皇后両陛下!!)を指している事は明らかでしょう。
西尾はちゃんと、腹かっさばいてケジメつけるんだろうな?
畳の上で死ぬ事なんか、許されると思うなよ??
西尾幹二の文章で極めて姑息なところは、「天皇制度という船」(田中卓氏は「日本丸」という仮称を充てておられるが)の「船主」が誰なのかを、ハッキリさせていない事です。
西尾が書き殴った、天皇皇后両陛下に対する悪辣な中傷の数々に対しては、故・田中卓先生が実に的確な反論を遺しておられるので、今回は先生のフンドシを借りながら論じてみましょう。
流石、古代史の大家ともなると、沸々とした「忠臣の怒り」を内包させながらも、冷静で客観的な分析に徹しておられるのが見事だね!
田中氏も、今は占領憲法による“主権在民”の時代だから無理もない、とやや呆れ気味にではありますが、「『船主』が誰かを西尾氏が明らかにしていないのは、彼の脳裡に『船主=国民』という前提が刷り込まれているからだろう」と分析している通り、西尾の“御忠言”は、典型的な国民主権病の症例と言えるでしょう。
田中氏の分析があまりにも的確なので、そのままパクリ・・・もとい、少し長めに引用させていただきます。
<(西尾が想定する、日本丸の)「船主」が国民であるとすれば、国民(船主)は船酔いで乗っていられない「乗客」(天皇及びその家族)を下船(放逐)させ、場合によっては船(天皇制度)そのものの「廃棄」も、自由にできることになるわけだ。私が西尾説の底流には革命の放伐論があると論断したのは、この故である。>
(下線部の引用元は傍点、田中p81)
元々皇室に、大して関心すら持ってなかった西尾は「天皇制の廃止」を示唆する発言すら、平気で放ってたみたいですからね。
「ぼくちんのかんがえた、りそうのこうしつ」じゃなかったら壊してしまえ、というのが奴の底浅いホンネなのでしょう。
今回ブログのイントロダクションで紹介した通り、三輪尚信氏の「皇室は国民といふ大海に浮かぶ珠玉の船である。」という発言は、皇室と国民との信頼関係の重要性を説く言葉ですが、あくまで国民を、船ではなく「大海」に例え、「その船を抱くことこそが海の喜びと誇りなのである」と、主役はあくまで皇室である事を強調されています。
同じように皇室を船に例えるなら、その主役は誰かということは、ハッキリさせなきゃダメですね。
「船頭多くして船進まず」と言うし、やっぱり国民主権は、やめた方がいいかもね!
田中氏は、「日本丸」の船主を皇祖皇宗の歴代であるとした上で、こう締め括っておられます。
<船長以下乗員・乗客すべてが一致協力 ~ 一君万民・君民一体 ~ して日本丸を二千年間航行させてきたのが、日本の歴史なのである。>(田中p93)
「旧宮家王朝」が成立する事で、国民がガッカリして“皇室への関心”を失ってしまっても、また国民主権という大義名分の下にノボセ上がって、西尾幹二みたいに“皇室への敬意”を失っても、どちらにしろ「君民一体」は成立しない。
絶妙なバランス感覚が、我々に求められているようです。
「お茶目な人柄だから批判したくはないのだが…」と、よしりん先生ですら前置きした上で批判している男ではありますが、こんなクズ野郎は治療するだけムダだと、俺は本気で怒っている。
西尾はどうせもうすぐ死ぬから、次の患者さんいってみよう!
文責 北海道 突撃一番
参考文献
・田中卓『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』幻冬舎新書2013年12月25日
・西尾幹二「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」『WILL』平成20年5月号・6月号(田中前掲書からの二重引用)
・小林よしのり『新天皇論』小学館2010年12月20日 P42
3 件のコメント
れいにゃん
2024年7月8日
恥ずかしながら、この当時の皇太子ご夫妻バッシングの時期は、男系派の鬼畜の所業にあまり気づいていませんでした。改めて読むと、酷いです。鬼畜というより、餓鬼ですね。国民主権が脳髄に染み込むと、船の例えがこうなってしまうのですか。絶句です。
突撃一番
2024年7月8日
掲載&コメントありがとうございます!
今回引用した田中卓先生の文章の中で、「西尾説の底流には革命の放伐論がある」という部分だけは、本文の中では傍点を振ってあったんですけど、投稿する際にうまく傍点を振る事が出来ませんでした。
そんなわけでお手数ですが、皆さんそのつもりで読んでね~
基礎医さんご指摘のように、皇室に対する関心も敬愛もないから、「天皇制廃止」なる発言を平気で出来るんですよこの男は。
田中氏もその辺を見抜いておられたからこそ、「西尾説の底流には革命の放伐論がある」とまで喝破された。
こんなアホロジックが国民に蔓延してしまえば、よしりん先生が「愛子天皇論」で訴えておられる如く、フランス革命のように皇室転覆、という事態にもなりかねません。
我こそは主権者様なり、という「傲りを捨てる事」が重要だと思います。
基礎医学研究者
2024年7月8日
(編集者からの割り込みコメント)今回も、興味深く読みました。いま、見返すと、メチャクチャ不敬ですね。一体、何様のつもりなんだと!とても、名著「国民の歴史」、そして小林先生も参加・執筆された歴史教科書の著者と同一人物とは、思えない。いや、田中先生も言われているように、保守といっても皇室に敬愛をもたないと、一番皇室の歴史を知っているのは自分!みたいな感覚で自意識が肥大し、自分が否定しているはずの国民主権病に侵されるようですね。今回の事例で、よくわかりました。次回も、期待しています。