別サイトで、リカオンさんが紹介していた「象徴のうた」を読みました。
著者 永田和宏氏(歌人・細胞生物学者・宮中歌会始詠進歌選者)の丁寧な解説によって、上皇上皇后両陛下の心象風景が浮かび上がります。
両陛下の機微に触れることが出来て…何度も涙ぐみました。リカオンさん、素晴らしい本を紹介して頂き、ありがとうございました<(_ _)>
同書には、両陛下がハンセン病療養所へ訪問した時の歌が紹介されています。
以下の私の補足は、著者・永田氏の解説を簡略化したものです。
時じくの ゆうなの蕾 活けられて 南静園の 昼の穏しさ
平成16年(2004年) 皇后
沖縄県宮古島にある療養所、宮古南静園に季節外れのゆうなの蕾が活けられている。
――そのわけは、28年前のこの一首に由来します。
いたみつつ なほ優しくも 人ら住む ゆうな咲く島の 坂のぼりゆく 昭和51年(1976年) 皇太子妃美智子
沖縄県名護市にある療養所、沖縄愛楽園を訪問した時の歌です。
南静園の人々はこの歌を知っていて、ゆうなの蕾(ライ、つぼみ)を活(い)けたのでしょう。
そして美智子さまがそれを感じ取り、和歌で返す。
この一連の流れを、著者 永田氏は、
「歌の記憶が時間を超えて人々に共有され、それが再び作者のもとにかえって別の歌を生む。作歌をすることの奇跡のような幸せをこの一首のエピソードに見ることができよう」
と賞賛しています。
5・7・5・7・7のたった31文字。
時と場所を超えて人々が、皇室と国民が、和歌で繋がる。
確かに奇跡のような幸せです。
次に紹介するのは、上皇陛下が皇太子時代に愛楽園を訪問した時の一首です。
だんじよかれよしの 歌声の響 見送る笑顔 目にど残る
(ダンジョカリユシヌ ウタグイヌフィビチ ミウクルワレガウ ミニドゥヌクル)
(だんじょかれよしの歌声の響きと それを歌って見送ってくれた人々の笑顔が 今も懐かしく心に残っている) 昭和50年(1975年) 皇太子明仁
愛楽園の人々が旅の安全を願う「だんじょかれよし」を歌ってお二人を送り出したことから、この8・8・8・6の琉歌が作られました。
この琉歌を歌として歌いたいという声が上がり、生まれたのが「歌声の響」です。
沖縄出身の歌手 三浦大知が情感たっぷりに歌いあげています。
えぇ、泣きましたとも(T_T)
ハンセン病療養所への訪問に関して、
渡邉允(まこと)元侍従長は
「車椅子でコの字に並んだ入所者に、両陛下が身をかがめて手を握りながら丁寧に話しかけておられる。傍らで付き添いの看護師の人がもらい泣きをしている。家族からも故郷からも見放された人たちに、私たちはあなた方のことを心にかけていますよと話しかけられることは、両陛下にしかおできにならないお務めなのだと、つくづく思いました」(天皇家の執事)
と記しています。
私はこれを「シラス」存在の天皇として、有難いことだと感じていました。
そして、漫画家:小林よしのり先生がWebマガジンで、これは贖罪である。と論じられていて、思い出したことがあります。
小林よしのりライジングVol.505「新1万円札の肖像・渋沢栄一のミスに学ぶ」
上皇陛下はハンセン病患者だけでなく、沖縄に対しても負い目を感じています。平成15年(2003年) 天皇陛下お誕生日の記者会見で、次のように仰っています。
私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。
しかし,それであればこそ沖縄への理解を深め,沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h15e.html
――上皇陛下の母方の祖母は、江戸時代に琉球王国を侵攻し、支配した島津氏の子孫です。ハンセン病も沖縄も「シラス」ではなく、天皇個人のルーツとして看過できない。琉球侵攻は今から約400年前の出来事ですが、これを現代に生きる個人が背負う必要があるのか。
象徴天皇制(日本国の象徴、国民統合の象徴)の残酷な側面かも知れません。
(話が逸れますが、上皇陛下にとって男系・女系・父方・母方の血筋に区別はないので、沖縄への贖罪意識が生まれています。安定的な皇位継承として、男系男子継承を絶対視しているわけがありません)
象徴のうたでは、両陛下には相聞歌が多いことが挙げられています。民間女性との恋愛結婚。そして夫婦による子育て。どちらも皇室の歴史には先例が無いものでした。
新しい時代を国民と生きるために変化を恐れない皇室に対して、私たち国民は公民の意識を持ち続けることが、皇室に恥じない態度といえるでしょう。
文責 茨城県 ダダ
(40代男性、昨年の歌会始に落選したので今年も応募する派)
7 件のコメント
ダダ
2024年7月21日
基礎医さん
美智子さまの在り方が、上皇陛下の象徴天皇の道しるべになったと思います。
象徴のうた、ぜひ読んで頂きたいです。
基礎医学研究者
2024年7月20日
(編集者からの割り込みコメント)ダダさん、順序逆ですが、二日連続の寄稿、ありがとうございました。自分は、リカオンさんがどのように紹介されていたのかは知らないのですが、この永田和宏さんの「象徴の歌」は良い本ですね。永田さんは、当サイトでも紹介しましたが、皇室スケッチにおいて歌会始の意義を解説されたり、週刊文春の「悩み抜かれた日赤就職は雅子さまの…歌会始選者が解読 愛子さま「恋への共鳴」(2024年2月1日号)」で愛子さまの歌を解説されたりなど、皇室への敬愛が感じられる方です。
ダダさんのこのブログからも感じられるのですが、永田さんの著書からは、「両陛下がどのように国民に寄り添おうとしていたのかは、短歌の中にある!」ということがよく伝わってきて、これは”至言”と思った次第です。
ダダ
2024年7月20日
神奈川のYさん
仰る通りで、凄まじい覚悟に戦慄が走ります。
ゴロンさん
だんじょかれよしの意味、ありがとうございます!
作詞は上皇陛下で、上皇陛下が美智子さまに作曲をお願いしたとのことです。
誰かの思い出に残ることができるのは素晴らしいことですよね。
ゴロン
2024年7月20日
三浦大知の歌声、意味はよく分からなくても泣けますね。
「だんじょかれよし」は「まことにめでたい」の意味らしいですね。
神奈川のY
2024年7月20日
避けては通れない宿命、または問題に対して普通の人は逃げるか、過剰反応して攻撃するか、静かに胸のうちにしまい込むかがあると思いますが、全てを受け入れ包み込み誠をみせる上皇陛下のその姿は覚悟がひしひしと伝わって来ました。歌が染み入ります。
ダダ
2024年7月19日
京都のSさん
コメントありがとうございます!
男系固執派にとって母方の血筋(女系)は無価値なのに、皇女で格上げされた旧宮家男子を擁立しているので馬鹿としか言いようがありません。
京都のS
2024年7月19日
素晴らしい論考でした。「―上皇陛下の母方の祖母は、江戸時代に琉球王国を侵攻し、支配した島津氏の子孫です。ハンセン病も沖縄も『シラス』ではなく、天皇個人のルーツとして看過できない。琉球侵攻は今から約400年前の出来事ですが、これを現代に生きる個人が背負う必要があるのか」から「象徴天皇制(日本国の象徴、国民統合の象徴)の残酷な側面かも知れません」につなぎ、さらに(話が逸れますが、上皇陛下にとって男系・女系・父方・母方の血筋に区別はないので、沖縄への贖罪意識が生まれています。安定的な皇位継承として、男系男子継承を絶対視しているわけがありません)という男系派を論破する結論に持っていく論法が実に見事でした。