「光る君へ」から皇族女子の生き辛さを思う 8th season

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 『源氏物語』には「不義の子出産事件」が2件あります。1件目は桐壺帝の愛妾である藤壺宮が光源氏との子(※後に冷泉帝として即位)を産む件であり、2件目は光源氏の嫡妻となった女三宮(※朱雀帝の娘)が柏木(※光源氏のライバル頭中将の息子)との子(※「宇治十帖」の主人公・薫)を産む件です。上記は革命的皇位簒奪への対策を『源氏物語』から学ぶ も参照してください。

 さて「光る君へ」6月30日放送回で大いに株を下げた藤原宣孝(佐々木蔵之介)ですが、7月14日放送回(※7月7日は東京都知事選により休止)では支持率をV字回復させました。経緯は以下の通りです。宣孝は若い妾に入れ上げながら、同じく妾である”まひろ”(吉高由里子)の面倒くさい部分(※理詰めで相手の痛い所を突く)が目立つと、まひろの思い人であった左大臣・藤原道長(柄本佑)や越前で仲良くしていた宋の鍼医(松下洸平)を引き合いに出して詰るなど「器の小ささ」を露呈し、そこから大喧嘩して宣孝は訪れなくなりました(参照: 6th season )。気晴らしに石山寺詣でに行った”まひろ”は、そこでバッタリ道長と再会して結ばれ、「不義の子」を授かります。月経消失時期から考えれば授かったのは宣孝の訪れが遠のいた時期であり、罪悪感から”まひろ”は「お別れしとうございます」と言いますが、宣孝は「産まれてくる子が『誰の子であれ』私の子だ」「一緒に育てよう」「何が有ってもお前を失うよりは良い」と言い、さらに”まひろ”の罪悪感を和らげるために「その子を慈しんで育てれば左大臣様は私を大事にしてくださる」という打算も明言しました。訪う男と待つ女が対等(※内裏後宮を除く!)という当時の恋愛事情も作用したはずですが、それでも「器が小さい」疑惑は完全撤回です。

 ここで考えるべきは「子は国の宝」という万葉の昔から有る我が国の伝統です。もし儒教的な男系の血に拘るなら「誰の子であれ私の子」という発想は絶対に出ません。また”まひろ”が救おうとした被災孤児を宣孝が「汚らわしい」と言った件は”まひろ”が先進的すぎた故でしょうか?いえ、これも「子は国の宝」という伝統や公に適うものであり、こうした伝統回帰的な価値観の転換は現代日本の少子化を止める契機となるかもしれません。そして現代の後宮(皇室)から儒教的男系主義を排除することも真正伝統保守の態度だと断言できます。    

文責:京都のS

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