天皇制は必要か?(「自由」の観点から)

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「天皇制は必要か?」

この問いに答えるには、まず「天皇制を廃止するべき」という理由を想定するところから始めたいです。

議論の手順として、現行制度に反対する意見を明示し、それを検討するという方法が分かりやすいからです。

ということで、「天皇制は必要ない」理由を以下に記載します。


1:天皇が、日本国民に強力な同調圧力を生む原因になってしまう。
(例:昭和天皇が崩御した際の自粛騒ぎ)

2:天皇や皇族は、あらゆる人権・自由を制限された「奴隷的身分」にあり、こうした制限を特定個人にかけることは許されない。


これは私個人の憶測ではなく、天皇制廃止論者である井上達夫氏の主張を参考にしました。
(井上達夫、小林よしのり『ザ・議論!「リベラルVS保守」究極対決』毎日新聞出版社、2016年)


まず1について。

今回のコロナ騒ぎを見れば明らかなように、日本人の同調圧力は、日本人の根本的な気質に根差すものです。

天皇制が廃止されたからといって、この気質に変更が加えられるとは考えにくい。

同調圧力の問題は、天皇とは本来的に別のところで論じるべきでしょう。

もっともこの日本人の気質形成に、古来からの天皇を中心とした統治体制が関わっている、という論述は可能かもしれません。

しかしいずれにせよ、この議論の中心となる事柄ではありません。


重要なのは2です。

これに対しては、まず制度の面から一定程度答えることができます。

現在の皇室典範において、皇太子および皇太孫は、皇籍離脱を認められていません。
(第11条2項)

理由は「『直系継承』という“あるべき”継承原則を堅持する規範的な要請から、皇籍離脱の可能性は制度的に排除されねばならない」ためです。
(高森明勅氏「皇嗣と皇籍離脱」https://www.gosen-dojo.com/blog/25854/)

しかし実際には、皇太子ご本人があくまで「皇族を辞めたい」と訴えたら、人道上それを止めることはできないでしょう。

むしろ制度を改正して皇籍離脱の自由を認めることで、天皇に就任することへの主体性を担保することができます。

そちらの方が、天皇に「なっていただいた」ことの有難みが一層増すと思います。


しかし上記の答え方だけでは不十分な気がします。

ここからはより積極的に、自由について考えてみます。

上述の「天皇制廃止」の主張を見ると、リベラルの立場にある人々は、全ての個人に同等の自由が存在する、また存在するべきと考えているように思います。

しかし本当にそうなのでしょうか?

私たちは生まれたときから様々な「差異」に晒されています。

性別、容姿、身体および認知機能、人種、生まれた土地・国家、経済、時代、運不運。

これらの要因により生じる不自由は、人間社会が本質的に抱える不平等であり、無くすことはできません。

また無くなることが理想でもありません。

それを理想として、全ての人間を平等にすることを目指した共産主義は、リンチと虐殺と強制収容の歴史を刻みました。


人間は不平等で、不自由です。

だからこそ、そのどうしようもない理不尽さを、己が人生の一部として愛するために活動します。

ある人は物語を創作し、またある人は絵や彫刻に思いを託す。

仕事に人生を捧げる人や、子供の成長に自分の生きる意味を見出す人。

勝負事の一瞬に命を燃やす人。上質な酒を味わい、このために生きていると感じる人。

特別なことは何もなく、どこかのタイミングで「これが私の人生なんだな」と悟る人。

誰もが現実の中でもがきながら、人生と語らっています。

他の誰も替われない、自分の人生です。


「天皇制を廃止して、皇室の方々を自由にしよう」という意見には、頷ける部分もあります。

しかしそれで、本当に自由を得られるのでしょうか。

むしろ「人間の自由は人間がコントロールできる」という、本質的な勘違いを助長するのではないでしょうか。

皇室という、近代社会における自由が極めて制限された方々のご姿勢、お振舞いを仰ぎ見ることでこそ、私たちは「自由とは何か」という問いを持ち続けることができます。

これは人間存在の根本に関わる問いです。

これを自問する精神の緊張感が無ければ、自律した個人になれず、ひいては安定した国家運営もままならないでしょう。


もちろん皇室の方々が「辞めたい」と仰ったら、それも個人の人生として尊重しなければいけません。

そのための回路を制度で保障するべきです。

その上で私たちがするべきことは、皇室に関心を持ち続けて、自らの自由についても考え続けることだと思います。

文責:福岡県 ゾウムシ村長

3 件のコメント

    くりんぐ

    2020年12月10日

    「天皇制を廃止して、皇室の方々を自由にしよう」
    凄くいいことを言っているように聴こえますが、皇室の方々を見下しているようにも受け取れます。皇室の方々のことを思っているようで、実際は皇室の方々のお気持ちを何も考えていない、善意の一方通行です。

    仮に天皇制が無くなったとしても、皇族方がそれにより自由になれるとは思えません。

    私達日本国民には、憲法で基本的人権が保障されています。それが一部制限されている天皇陛下や皇族方より、はるかに自由に生きているはずです。
    ですが実際、保障されているはずの自由さよりも不自由さのほうを強く感じ、自分で自分を不自由にして生きています。
    その日本国民が皇族方を、「自由にする」とは、訳が分かりません。

    天皇陛下や皇族方のご意思が反映されないものは、たとえどんなに天皇陛下や皇族方のことを想って考えたものであっても、「善意の押しつけ」という、悪意よりも性質の悪いものになってしまいます。

    よしりんは戦争論で、「自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?」とおっしゃっていました。
    自分を一番自由にしてくれるもの、それを決められるのは他ならぬ自分自身です。
    それは皇族方も同じであり、皇族方を自由にするものは皇族方ご自身にしか決められません。国民の誰にも、指図する資格はありません。

    国民にできるのは、天皇陛下や皇族方のお気持ちを尊重し、それが叶う制度を国民の手で整え、保障することぐらいです。

    そしてゾウムシ村長さんがおっしゃるように、その上で、皇室に関心を持ち続けて、自らの自由についても天皇陛下や皇族方の自由についても、考え続ける責務が国民にはあると思います。

    ダダ

    2020年12月10日

    皇籍離脱を自由にすることで、逆説的に皇室の主体性が強化されるわけですね。皇族の方々が個人の人生を歩むうえで大切なことだと思います。
    コロナ禍で日本国民は自由に耐えられないこと(自分で自分の行動を決められないから権力の指示待ち状態)が分かりました。
    天皇のお言葉を切望する甘えん坊も出てきて、天皇を戴くには分不相応だと思います。

    ひぃ

    2020年12月9日

    私たちは産まれたときから様々な差異に晒されている

    から以下は「納得」の一言。

    日本の王である天皇陛下は少し特殊で、まるで「親」のように親身になって国民一人一人のことを思ってくださる。

    であるならば、私たちは国民は親を慕う「子」のように、天皇陛下を想う「良い子」であれば、不自由極まる天皇陛下の人生に少し報いることが出来るのではないでしょうか?

    それくらいしか出来ることがありませんが、国民のそういう心持ちは少しばかり良い国にすることに役立つと思います。

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