4日(金)に発表された、皇統を学ぼうさんの文章を読んでから、ずっと心にひっかかりを感じていました。
天皇より公のことを想い、祈っている国民はいないのだから、
天皇制は必要か?という問いかけを日本国民にする資格はない、
故に棄却すべきだ、という論旨だと理解しています。
確かに、天皇陛下より日本のことを真剣に考え、深い祈りを捧げている日本人はいないでしょう。
これはこれまでのどの時代においてもそうだったであろうと思います。
少なくとも現代の我々日本人は関心の対象が「私」の領域ばかりに留まり、恥ずかしい限りですし、
天皇・皇室について云々言う資格がない、と言いたくなるのもわかります。
ただここで自分が思うのは、「資格がないから」ということを言い訳にし
議論や問いかけをタブー視するのも思考停止に過ぎないのではないかということです。
これは自分の日常でもそうですが、会社の上の人たちの判断がおかしいと思っても、声を上げず口をつぐんでしまう。
この時に自分の心の中におこる言い訳は、「自分はまだそんな資格ないし」というものです。
そうやって目の前の問題から逃げているから、思考も育たないし、
いつまでたってもお上任せの体質が変わらないのではないかと常々感じています。
どこかでこの壁をぶち壊したいと、もがいているところでもありますが。
それに天皇のことなんて全く考えたことがないというならまだしも、
小林先生をはじめゴー宣道場に深く関わってきた方々は、この日本において誰よりも天皇・皇室のことを考えてきたと言えると思います。
ここで「天皇制は必要か?」という根本的な問いを発することさえ「棄却すべき」であるなら、
どこの誰に議論をする資格があるというのでしょうか?
それとも議論を封じ、世の成り行きに任せろということでしょうか?
これ以上議論をタブー視し、言い訳して逃げ続けるなら、
あっという間に時間切れとなり、皇統は途絶えてしまうでしょう。
考えることから逃げてはならないと切に思います。
文責 三重県 シュウ
3 件のコメント
チコリ
2020年12月11日
時間がない今、躊躇は無用ですよね。
ただ前進します。
「どこかでこの壁をぶち壊したいともがいている」
本当にそうです!
もどかしく地団駄を踏みながら、自分にできることをやるしかない、と思う日々です。
ダダ
2020年12月7日
皇女制度など、政府(権力)が皇室へ露骨に干渉してきています。
そこには尊皇心も無く、11月25日参議院議員会館講堂で行われた緊急シンポジウム「皇位の安定継承に向けて」では、国会議員の関心が低いことも分かりました。
国民が議論を行い、熱量を上げていくしかないと思います!!
京都府・S
2020年12月6日
天皇・皇室の存在について全方位から検証し、そうして導き出された結論なら、皆が納得できるものに近づけるだろうと思うのです。ゆえに、その検証過程には「天皇制は必要か?」という問いも含まれていなければならないと考えます。それこそが五箇条の御誓文の第1条にある「万機公論に決すべし」でしょう。
「公論の場」を名乗るゴー宣道場なら、必要な階梯であると考えます。