古事記や日本書紀の記述に依拠して(神代の代はともかく)、初代神武天皇からの血縁が、途切れる事なく続いているとされるのが「皇統」ではありますが、これは史実を正確に反映していない、俗説であると私は考えます。
何より古事記・日本書紀共に、時の天皇の命令によって編纂された歴史書に過ぎず、少なくとも初代天皇(倭王?)の即位事情を読み解く資料としては、とても「一次資料」とは呼べない代物である事。
特に日本書紀に関しては、当時宗主国であった(完全な男系社会である)唐王朝に対して、時の天武天皇が自らの正統性をアピールする為、あえて「万世一系」で繋がっているかの如き編集方針で作成させた事などが指摘されています。
近年の義江明子氏らの研究によれば、5世紀以前の古代ヤマト王権は、臣下である豪族が、政治的実力によって王を選ぶ「群臣推戴」を基盤としており、血の繋がった一族が王位を継承する「世襲王権」が形成されていったのは、継体天皇の第3皇子・欽明天皇に続く系統以降の事だそうです(義江p46)。
ましてや、神武天皇及び、「欠史八代」と呼ばれる最初期の天皇については、いまだに実在すら疑われているというのが実態です。
従って、「神武天皇以来の一貫した男系血統」を、揺るぎない史実だと証明する事は、不可能なのです。
誤解していただきたくはないのですが、ここで大切なのは、決して神話や古代史に関する論争に対して、結論を出す事ではありません。
特に日本会議に代表されるような、「皇位の男系継承維持」を主張する勢力が基盤にしているのは、「神武天皇以来、皇位は一貫して男系で継承されてきたのだから、その伝統を崩してはならない」という考え方です。
その考え方に固執するあまり、前項で警告したような「国民に対する血統差別」すら、自民党政権はあと一歩で現実のものにしようとしています。
最高法規である筈の憲法の、「国民平等の原則」という重大な禁止事項に例外を設けてまで「国民差別」を政策として実行してしまう、その大本の根拠が、ここまでアヤフヤかつ杜撰な理論のままで、本当にいいのでしょうか?
それこそが、私がこの項目で最も強調して訴えたい事なのです。
国民差別の強行を、憲法上の禁止事項の例外規定として認めさせたいのなら最低限、神武天皇以来の男系血統が、間違いなく今上陛下まで連続しているという事を、時の権力者の都合で編纂したに過ぎない日本書紀にすがるのではなく、ちゃんと「一次資料」を提示して、あるいは歴代全ての天皇のDNA鑑定でも実施した上で、証明する事が不可欠でしょう。
それが所謂(いわゆる)「男系派」に課せられた、最低限の「説明責任」だと思います。
もし、曲がりなりにも「国の正史」とされる日本書紀をそこまで軽視できないのであれば、最も忘れてはならないのは「天孫降臨神話」でしょう。
現代の皇室が、宮中三殿の中央に位置する「賢所」において女性神・天照大神だけを、その他の八百万の神々とは明らかに別格扱いで「皇祖神」として祀っておられる根拠も、その天照から授かったとされる「三種の神器」が、令和の御代替わりにおいてもいまだに、皇位継承の為の最重要レガリアとして継承されている根拠も、天孫降臨神話の中で語られる「天壌無窮の神勅」に求めるしかありませんから。
生物学にせよ、神話にせよ、どちらに重きを置いたとしても、目前に迫った皇統の危機を放置してまで、あるいは全くの一般国民を「血統」を理由に差別的待遇をしてまで、「男系血統による皇位継承」に固執する正当性を、きちんと説明できないのです。
参考文献
・義江明子『女帝の古代王権史』ちくま新書2021年3月10日
文責 北海道 突撃一番
3 件のコメント
突撃一番
2024年9月21日
お二人とも、コメントありがとうございます!
このテーマで特に重要なのは、「国民差別」というリスキーな政策を強行する事で得られるベネフィットが、全く無いという事。
ダンケー派はそのベネフィットを、「神武天皇以来の伝統を守れる事だ!」と叫ぶでしょう。
けど、それすらホントに「伝統」だとは言い切れない。少なくとも彼らは、ちゃんと「一次資料」を準備して説明してくれない。
結局リスクしか残らず、愛子様という「真の皇統」の家系は、自然消滅的に「国民化」していくのみ。
旧宮家系天皇制という「血統差別量産システム」の下、国民分断社会が定着してしまう。
神武天皇の血統にすがりついたままでは、天皇も国民も、日本の誰も幸せにはしないのです。
SSKA
2024年9月21日
男系派は万世一系が最も大事と言う割に天皇陛下が皇居にて天照から歴代天皇について、格式に従い丁重にお祀りしている事実に全く関心を示さないのはどういう事なのでしょう。
(1)脳みそが政教分離に支配され過ぎて思考が行き届かない、(2)祭祀を中心に語るとその最上位の存在として天照大神に触れざるを得ないのでガン無視している
…何れにしろ上辺では祖先の先例が絶対と謳いながら、神聖な存在や死者を冒とくしているのは一体誰かは今更言わずもがなでしょう。
信仰や慰霊と言った宗教的な行為も結局のところ生きている人間が実存しない対象に敬意や畏れを抱く心の問題ですが、常々感情抜きに天皇論を語る男系派の本音にあるのは、生者こそ絶対で死人に口無しとする、極めて手前勝手で冷酷な価値観では無いかと思い見ています。
天皇以外の皇族方にとっては伊勢神宮や歴代天皇に対するご参拝が重要な慣習となっており、今年前半に4か所にて行われた愛子様は特に報道等で注目されていましたが、これとて天照から過去の時代の天皇を辿り行き着いた現皇室との関係について物語る重要性があるのに、男系派は一切注目せずに女性だからと嘲りながら、長い歴史の流れを正しく捉えようとしない意味不明な態度を示していました。
直系の愛子様が訪れる場所には必ず多くの国民が参集し皇居内の祭祀や宗教に詳しくない人でも自然に過去の天皇や神々に触れる機会が増え、皇室の弥栄が保たれる為にこれ以上の事は無いはずなのですが、男系主義は全く別の方向の次元にしか視線が向いていない様です。
死者をぞんざいに扱わず、現在の人間が前向きに生きる為に最善を尽くせる様に気を配られている皇室の精神が国内のみならず海外から高い称賛を浴びるのも言葉や文化を越えて心に応えるものがあるからなのに、性に関して多様化する世界で男を区別する主張を掲げながら一体どうすれば同様の広範な支持が得られるのか、これについても全く真面目に考えず思考停止しているのでしょう。
彼等の大事にする万世一系とは系図や経路を見て満足するだけの馬鹿で偏狭なマニア目線であって、時代に生きていた人々の感情を無視する姿勢から歴史の真実は導かれません。
日本書紀にしても、当時の日本人が強大なシナの大国と向き合いつつ国家を運営せねばならないジレンマや葛藤の末に選択を行った東アジアの時代背景が読み取れるのですが、男系馬鹿の目には大陸の価値観になびいたのが日本の固有性だと誇らしく映っている様で、寧ろその史書の扱いの低い神々を敬う祭祀が天皇によって現代まで引き継がれている事実に注目する方が、中華秩序の中においても独自性を発揮し生き抜いた日本国や歴代天皇に対する本来の敬意が国民の中から芽生え育まれるはずです。
隈禎美
2024年9月21日
参考までに……戦後の日本古代史研究の基本説となっている、かの津田左右吉は、実のところ『記紀』の神武天皇から仲哀天皇までの特に開化天皇までの系譜については、『日本古典の研究 上(岩波書店)』第2篇第7章「結語」で、「(前略)綏靖天皇から、開化天皇までの歴代に物語が一つも無いということはその歴代の天皇の存在を疑うべき、少なくとも強い根拠になりかねる(後略)」と述べていました。
また、いわゆる津田裁判の初審で、神武天皇から仲哀天皇の実在を疑っていないと本人が証言していた。(『現代史資料(みすず書房)』「思想統制」691頁)
そして津田全集第24巻471~472頁に掲載されている津田事件裁判控訴の上申書には「(前略)或る時期に於いて大いに皇威を伸長あそばれた英主、即ち神武天皇の御名によって後に伝えられました御方からの御歴代の天皇の御名はこのやうにして言い伝へられて来た(後略)」として神武天皇を「皇威伸張の英主」と評し、その実在を肯定している文章でした。
以上のことから、田中卓氏は、『続田中卓著作集(国書刊行会)』第4巻の271頁で、戦後の日本古代史研究を、そのような津田説の誤解のうえに成り立つ「砂上の楼閣」だと認識し「津田神話の崩壊」と名づけていた。
なお、田中氏は女系容認である。