ふと大陸の最強部隊を探し、大東亜戦争時の軍人達を追ってみますと、残念ながら日本陸軍に相当するものはなく、歴史全体を見ても、質的には八路軍の外人混成部隊か、三国志時代の魏の五将軍か、蜀の五虎将軍が存在するくらいです。恐らく八路軍や国民党以前には最強部隊や統率された組織が無いので(言い換えると、中華思想に固執した君主が幅を利かせており、てんでバラバラな状態なので)、軍事力が弱く、土地を諸外国にチーズケーキのように分けられたと推察します(強い武道家や軍人はいたと思われますが、組織では弱いかと思われます)。
一方、日本の歴史を観ますと、一定のタイミングで、群を抜いた部隊や武人が出て来ていると感じました。今回日本側から紹介をするのは、恐らく八路軍の混成部隊とやりあったら激戦し最後に勝つ部隊と思われる、大場栄大尉とその部隊をご紹介したく思います(最後まで陛下の赤子である民を守って戦った、最強のゲリラ部隊であり、アメリカ軍からフォックスと恐れられました)。
大場栄大尉は愛知県出身で、戦後に実業家と自身の生まれた市の市議会議員をやられた才人です。彼の活躍は、なんとシナ事変です。今は日中戦争と習ってますが、当時は、”戦争”と定義してしまうと、日本では天皇陛下の許可や宣戦布告が必要となることに加え、中立国から武器輸入が出来なくなるなど、国際法に絡み日中お互いに都合良くなかったようで、中国の同意を得て、当時は”事変”として戦っていたとあります。今中国政府が教えているシナ事変は日本が先に侵略したとありますが、その実、お互い同意を得て戦ったという話だそうです。ちなみに事変(局所的な紛争)のデメリットは、ジュネーブ条約(*戦時における捕虜取り扱いに関する国際法)が機能しなくなるという点であります(もっとも、戦争においても、八路軍は自分たちが利用できる者に対しては、ジュネーブ条約を適用し、逆らう者には適用せず拷問にかける、という恣意性があるようですが)。
話がそれましたが、大場栄大尉は事変の中、歩兵18連隊に所属し、中国軍に奮戦しました。彼らの最大武器は兵が一丸になっての突撃であり、中国軍をキリキリ舞いにしたそうです。また、当時の中国軍は、日本軍の捕虜に対して残虐に殺した写真などプロパガンダで撒いてたとの話があり、日本軍からしてみたら、後に起こる通州事件等で日本人が殺戮され、何としても勝たなければ家族が、国が、引いては皇室も危ない!と感じたのではないでしょうか。当時の空気を思うと生きた心地がない気がします。シナ事変で激闘してる最中、アメリカや諸外国との摩擦が起き、大東亜戦争に突入すると、大場栄大尉は衛生隊長としてサイパン島で死闘し、戦死したかと思われるも奇跡の生還をし、培ってきたゲリラ戦術で戦い、終戦まで残留していた部下と民間人を護りぬき、最後は上官の命令で日本軍人として部下とともに堂々と軍刀引っさげ、アメリカの将官達を感銘させたとあります。また、サイパン玉砕にて総攻撃の前に、先の司令官達が切腹して背水の陣と生き様を示しましたが、大場栄大尉は生き抜いてお国の為に死力を尽くすという姿を示し、やはり先に人を率いる司令官が死ぬのは悪手だなと感じました。
お国の為ならば民や兵より先に死ぬのではなく、死力尽くすのが筋じゃないかとも思ってしまいました。
以上、八路軍の混成部隊に勝てる最強部隊のご紹介でした。御役に立てれば幸いです。
文責 神奈川県 神奈川のY