天皇の歴史について個人的に調査しておりますが、先日、神功皇后と応神天皇の女系継承について興味深い論文を発見いたしました。あまり知られていないようなので、ここで共有させていただきます。
「聖母御歌考」 (関口静雄 日本歌謡研究(通号 22) 1983.09)p32~33
こちらによりますと、鎌倉時代から室町時代の中世日本にかけて、応神天皇(八幡神)は神功皇后と住吉大神が交わって生誕したとの伝説が広まっていたとのことです。
ご存知の通り、応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の間に生まれた子であると記紀には記載されております。しかし、仲哀天皇の死期や応神天皇の生誕の日から、出生に関して不自然な点も残っており、神功皇后は石を押し当てて出産を遅らせたのだという伝承まで残っています。
そこで神功皇后の出産と応神天皇の誕生については、民間や寺社で記紀とは異なる伝説が生まれたようです。
『住吉大社神代記』によると仲哀天皇の崩御後、神功皇后と住吉大神が「夫婦の密事」をしたとのことであり、それにより応神天皇が誕生したと示唆されています。
『八幡宇佐宮御託宣集』によれば「八幡神(応神天皇)は、住吉神を父とし、香椎宮(神功皇后)を母となす」とのことです。
宇佐八幡宮といえば銅鏡事件では皇位の継承につき、称徳天皇に意を請われて託宣を下すほどの格の高い皇祖神を祀る寺社です。
他にも内容に差異はありながらも、神功皇后と神の交配の伝説は「宝物集」や「八幡愚童訓」「龍田大明神御事」にもあり、この伝説が中世日本において一定の範囲と時間をもって広まっていたことがわかります。
この伝説に従った場合、応神天皇の父は仲哀天皇ではなく、住吉大神ということになります。これがどういう意味を持つかというと、つまり神武天皇以来の男系の血筋はここで途絶えてしまい、神功皇后からの女系の皇位継承が行われた、ということになるのです。
まさに「女系公認」の説話と言えるでしょう。
むろん、これらはただの民間伝承にすぎず、記紀のような皇統の正統性を保障する書物ではありません。ですが、
問題は、中世日本の民間において、このような伝説がある程度広まっていたという事実です。
当時の日本人の意識においては、
「母が神功皇后であれば父は皇族でなくてもいい」
という感覚があったという証拠ではないでしょうか。
以上
論文の該当箇所はこちらに画像としてあげております。
応神天皇(八幡大神)は「神功皇后と神が交わって生まれた子」と言う伝説は中世の日本に広まっていた
— マサノブ (@Great_Masanob) January 8, 2025
この場合、応神天皇は「女系男子」だ
中世日本人は「女系天皇」を受け入れていた証拠#女系天皇#愛子さまを皇太子に
聖母御歌考 関口静雄 日本歌謡研究(通号 22) 1983.09https://t.co/d5PtRbTYto pic.twitter.com/jTQ60HXU6Z
文責 東京都 マサノブ
5 件のコメント
yan ryu
2025年1月18日
興味深く読ませて頂きました。
日本人がもともと、男系とか女系とか性別による継承にこだわりを持っていなかった証左ですね。
ダダ
2025年1月17日
面白かったです。
やはり万世一系ではなく万葉一統ですね。
SSKA
2025年1月17日
最高位の女性が神様とカップリングして生まれた子供も尊いと祝福出来る素朴な感情やのほほんとした空気感も含めて、対外的な外聞や建前ばかり重んじて見栄ばかりになる正史より素晴らしいと思います。
性に厳しく禁忌を設けるのはやはり海外思想の影響ですね。
佐々木
2025年1月17日
これは面白いです。
男系継承が絶対なら出てきそうにない伝承ですね。
京都のS
2025年1月17日
素晴らしい論考でした。「神功天皇」を皇統から外したのは明治期の男尊女卑によるため、その時に出産時期をずらしてまで仲哀天皇の子(男系の子)ということにした可能性があります。さっさと「神功天皇」も「飯豊天皇」も皇統譜に戻してもらいたいですね。