阿吽の呼吸で陛下を支えた、 阿南惟幾氏と鈴木貫太郎氏をご紹介します。 (阿南惟幾氏その2)

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阿南惟幾氏は幼年学校にて色濃い(大将達の)同期生と共に勉学と武道を頑張り、陸軍士官学校にも合格し、乃木大将がいた歩兵第1連隊にも配属されました。この頃順風満帆の様な状態でしたが、阿南惟幾氏の父が教科書疑獄事件(きょうかしょぎごくじけん)に巻き込まれ、仕事を休職して東京に住みます。

この事件は1902年に起きた学校の教科書採用をめぐる教科書会社と教科書採用担当者との間の贈収賄事件だとあります。また、阿南惟幾氏の外務省務めの兄が借金して父に頼ったため、阿南惟幾氏の父は田畑を売って借金の肩代わりするも生活苦しく、阿南惟幾氏は給料を父へ全て渡し、家計を支えたとあります。

1912年に阿南惟幾氏は陸軍大学校への進学を目指し、陸軍士官学校同期で親しかった山下奉文氏、甘粕重太郎氏、中島鉄蔵氏も一緒に受験したのですが、この受験は難しく、1度目は全員不合格で2回目3回目と受けて合格出来るかというレベルでした。また、受験出来る回数は4回めまでしかなく、大体の人は3回目になると諦める人もいたと話があります。阿南惟幾氏だけ、ギリギリの4度目の受験でようやく合格し、3度も彼が不合格となったのは、勉強が出来なかった訳ではなく、受験時には上官が受験の配慮から、自由時間の多い陸軍中央幼年学校の生徒監のポストにつけてくれたりしてくれるのですが、阿南惟幾氏は自分の生徒たちの指導に手を抜くことなく、親身になっていたため、結局は勉強時間が足りなくなったことと、当時は作戦考査で突撃!突撃!の攻撃重視の日本軍の伝統から、慎重な性格が肌に合わず、作戦が慎重すぎると評価されてしまったのが原因と言われたとあります(エピソード、ウィキペディア参照)。阿南惟幾氏は人に寄り添い、情にも厚く、合格したときには、教え子たちに歓声をあげて喜ばれ、祝賀会まで開いてくれたという温かいエピソードがあります。

陸軍大学校在校中に阿南惟幾氏は歩兵第1旅団時代の上官の娘さんと結婚します。

馴れ初めは、お見合いではなく上官の長男の家庭教師を引き受けたさいに、顔なじみになって見合いする必要もなく縁談はまとまったそうです。

のちに義弟の竹下正彦も陸軍軍人となって、義兄となった阿南惟幾氏と深く関わっていくこととなります。また、阿南惟幾氏は奥さんを大事にして、亭主関白を吹かすことなく、演習などで出張すると旅先からよく、演習先で食べている野戦食の献立を図入で書いた手の込んだ手紙を送ってたりしたそうです。また、「演習の野に咲く萩を馬蹄にかけまいと」とわざわざ足下の花にまで気を使う優しさを書いた手紙もあったそうで、カチコチの武断派でない事を伺い知れます。また、奥さんは阿南惟幾氏と陸軍士官学校の同期山下の妻である永山元彦陸軍少将の長女と幼馴染みで仲良く、阿南一家と山下氏の家族は家族ぐるみで親交を深めていったそうです。後に満州にて東の山下、北の阿南と呼ばれ互いに背中を預けます。

阿南惟幾氏が政務に励む中、侍従武官の声がかかり、阿南惟幾氏は当時の侍従長だった鈴木貫太郎氏と昭和天皇に出会います。

昭和天皇は馬を一緒に駆けたりして阿南惟幾氏の人柄に惚れて行きます。一緒に馬を駆けたさいに、埃が阿南惟幾氏にかかったのではと気にかけ、真白いシャツを阿南惟幾氏に与えています。この真白いシャツほ阿南惟幾氏の大事な恩賜として阿南惟幾氏の最期に寄り添います。

阿南惟幾氏は同じく陛下から信頼あり、尊皇心がある鈴木貫太郎氏の背中を観て務めを果たして行きます。

今回はここまで。
次は侍従長だった鈴木貫太郎氏の生い立ちをご紹介します。

文責 神奈川県 神奈川のY

3 件のコメント

    神奈川のY

    2025年5月7日

    コメントありがとうございます。
    基礎医さま、阿南氏は苦労人な性格もあり、軍人さんの中ではあたたかい人格者だったかなと思いました。
    あしたのジョージさま、まだまだご紹介したい話ありますのでゆっくりとお付き合いして頂けたらと思います。

    基礎医学研究者

    2025年5月7日

    (編集者からの割り込みコメント)阿南は軍人ですが、今回のエピソードをみると、面倒見のよい軍人だということがよく伝わってきました(人望があったのでしょうね)。ただ、このような人でも陸軍のときとして横暴な政策には苦労していた!というのが、教訓になると、自分は一方で感じます。
     それから、自分は乃木大将がきっかけとはいえ、早い段階から天皇陛下と交流があったことは、後にとって重要なエピソードですね。

    あしたのジョージ

    2025年5月7日

    阿南惟幾氏は、カチコチの武断派ではなかったのですね。
    軍人というとそういういカチコチのイメージがありましたが、奥さんや生徒想いの優しい一面もある人だったんですね。
    鈴木貫太郎氏の事もよくわからないので、勉強させてもらいたいと思います。

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