阿吽の呼吸で陛下を支えた、 阿南惟幾氏と鈴木貫太郎氏をご紹介します。 (鈴木貫太郎氏その2)

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鈴木貫太郎氏は我慢強く、海軍での色々差別もありながらも、日清、日露戦争で戦果をあげて来ました。海軍で忙しい中、奥さんが33歳で死去し、悲しみにくれる間も無く、翌年には海軍次官となり、シーメンス事件の事後処理を行っていました。シーメンス事件とはドイツ帝国のジーメンス社による日本海軍高官への贈賄事件で、巡洋戦艦「金剛」発注にまつわるイギリスのヴィッカースによる贈賄も絡んで、当時の政界を巻き込む一大疑獄事件だったとあります。この事件で海軍長老だった山本権兵衛を首班とする第1次山本内閣が内閣総辞職に追い込まれた最中でした。

そんな中、翌年1915年に、後妻となる足立たかさんと再婚します。たかさんは東京女子高等師範学校付属幼稚園の教員されていたとあり、その縁で同幼稚園の児童を孫に持っていた数学者の菊池大麓の推薦により、裕仁親王(昭和天皇)の幼少期の教育係を勤めた人物でもあったそうです。

鈴木貫太郎はすごい奥さまを迎え、1923年には、海軍大将となり、1924年には連合艦隊司令長官、翌年は海軍軍令部長に就任と、ガンガン出世します。

また、昭和天皇に覚えめでたく鈴木貫太郎氏は1929年に昭和天皇と皇太后・貞明皇后の希望にて、予備役となり、枢密顧問官兼侍従長に就任したとあります。また、内大臣として若き昭和天皇を補佐した牧野伸顕氏の推しがあったとか。

ちなみに牧野伸顕氏は今の自民党の大親分の麻生太郎議員のご先祖さまでもあります。

先祖代々からの政治家の道ですが、是非皇室の問題には正々堂々とちゃんと向き合ってほしいと思います。(静謐な怪しい会談ではなく)

話は戻りまして、枢密顧問官とは、明治の明治憲法下のもと、天皇の諮問に応じて国務を審議する役割を担う役割があったと言われています。
 仕事内容は、皇室に関する事項、憲法に関する法律・勅令、対外交渉などの重要国務を審議したり、議会や内閣から独立して、天皇に直接諮問する役割を担います。また、枢密院の構成:枢密院議長、副議長とともに、枢密院を構成するなど多岐にわたります。

また、枢密院とは旧憲法で、国家の大事に関して天皇の諮問にこたえることを主な任務とした合議組織を指すとあり、この枢密顧問官は終戦後の1947年5月2日に、日本国憲法施行に伴い、枢密院と共に廃止されたとあります。

更に陛下をお支えする侍従のトップとあり、

鈴木貫太郎氏への昭和天皇達の期待がすごくあるのが伺えます。

鈴木貫太郎氏は、海軍の最高位でありましたが、侍従長が宮中席次に直すと三十位ほど階級が下になるも、誉れ高いこの仕事に就きました。

鈴木貫太郎氏の侍従長としての振る舞いは、

自分が出しゃばる事をせず、経験豊富な侍従に大半を委ねつつ、いざという時の差配や昭和天皇の話し相手に徹したとあり、皆から「大侍従長」と呼ばれたとあります。

この頃、日本は諸外国と摩擦が起き、陸軍の力が強くコントロールが取りづらい状況でした。昭和天皇は諸外国との摩擦を懸念し、平和的に解決出来ないかと悩み、鈴木貫太郎氏もその意を汲んで何とかしようと努めます。

今回はここまで。
次回は阿南惟幾氏の侍従から2.26事件までご紹介します。

文責 神奈川県 神奈川のY

3 件のコメント

    神奈川のY

    2025年5月12日

    基礎医さま、あしたのジョージさま、コメントありがとうございます!
    基礎医さま、鈴木貫太郎氏の話で、
    昭和天皇さまを夫婦で支えてたというエピソード見つけた時、元海軍大将で温厚実直な最強の大臣ですごいなあ!と思いました。麻生太郎議員のご先祖さまも見つけ、忠臣とは何ぞや?とすごい政治家の道にいるのにもったいないとも思いました。
    あしたのジョージさま、
    鈴木貫太郎氏の最強夫婦の話はまだありますので引き続き観ていって下さると幸いです。
    鈴木貫太郎氏は侍従長の時、普段は温和な雰囲気なのですが、いざという時は海軍大将の顔を見せた事もあると聞きます。

    あしたのジョージ

    2025年5月11日

    鈴木貫太郎氏は、奥様は早く亡くされて気の毒ですが、とんとん拍子に出世された方みたいですね。
    その後に妻になられた方が、後の人生を大きく変えるようなきっかけの存在だった感じです。
    大侍従長とみんなから呼ばれていたぐらい信用されていて、昭和天皇の話し相手になれるような謙虚な感じの方だったみたいですね。

    基礎医学研究者

    2025年5月11日

    (編集者からの割り込みコメント)楽しく、読ませていただきました。まあ、軍人として自分、あんまりパッとしたイメージはないのですが、軍人精神を併せ持ったこの人のような方が侍従長の模範(あるいは、見本)というのは、よく伝わってきます。このような振る舞いは、現代にも通じるのでしょう。いまさらながら、昭和天皇さまが、”たかに聞かないと!”と言及されていたのは、奥様だったのですね。そこは、学べてよかったかと。麻生さんなんかも、妹さんが皇族で、祖父も天皇にお仕えしているのならば、現在の自分のふるまいが「皇室の終了」に加担していることをもう少し自覚した方がよい!と、思った次第です。

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