2025年7月1日 05:30 愛子天皇論/神功皇后論
連載「神功皇后論」最新回です!
273章 なぜ神功皇后を描くのか?
本日発売の週刊SPA!に掲載されています。みなさんの感想、ぜひお寄せください。
感想はこちらのコメント欄で!
2025年7月15日
…かなり遅くなりましたが、こちらにも記します。 私も記紀に記された出来事には、何らかの歴史記事実を背景に記されたものであり、完全なフィクションではない、と思います。 神功皇后の話も、かなりの真実により記述されたものだろうと思います。 (さらにいえば、神武天皇の話にも、真実性があるのかも知れないです。女性首長の話は、その中にさえ、現れます)
『古事記』は稗田阿礼という女性が記憶した天皇家の事績を文章化したものであり、その伝承の段階で多少の事実の混乱もあったろうと思います、 『日本書紀』はさらに諸豪族の記述を引用したり、(あとの方になりますが)伊吉博徳(いきのはかとこ)の書などの、遣唐使で大陸にわたり、百済滅亡直後の事態を実際に見聞きした人の記録も混じっているわけです。
男尊女卑とかそういうのを抜きにして、史書は(記述する側の立場はあるのでしょうけれども。そのことも合わせて)虚心坦懐によむべきだ、と思います。
天之日矛のほかに、吉備氏など、古代史の謎が包括されて描かれるのではないか、と期待します。今後、どのような息長帯比売になるのか、楽しみです。 (ちなみに私がむかしよんだ神功皇后は、ヤマトタケルの化身である白鳥をさがしあて、熊襲の矢にあたって死んだ仲哀天皇の敵討ちをした、でした)
2025年7月4日
第273章 「なぜ神功皇后を描くのか?」を拝読致しました。 よしりん先生が最初に「三韓征伐」と「神がかりの託宣」を描かれたことで、まず私の中では神功皇后が非常に魅力的でカリスマ性のある人物として認識されました。そしてだからこそ彼女が何故男尊女卑観の強化される前の明治の始めまではすごく有名で人々に親しまれ、初の紙幣の肖像画になったのかもよくわかる気がしました。教科書のように歴史上の人物の功績を単に箇条書きにされただけでは面白くもなんともなく読む気にもならなかったと思います。先生がこれから創り出される史実と神話を背景にした正に血肉の通った一人の人間としての神功皇后の英雄伝を私は右脳左脳全開で見届けたいと思っています。
第273章 なぜ神功皇后を描くのか?拝読しました。 恥ずかしながら知らない事が多く、日本で初めて紙幣の肖像画になったのも神功皇后だったとは、しかも神武天皇より神功皇后の方が知られていた事も知らなかったです。 神功皇后は天皇と記されているという事実には驚きました。朝鮮の史書にも神功皇后に関する記事が存在するのですから神功皇后は実在したのだと思います。 最期の「この偉大な女性(女帝)の存在を復活させることこそが、日本人に「日本とは何か?」を覚醒させることにつながるのである!!」全くその通りです。 次回も楽しみです。
2025年7月3日
お久しぶりです。神功皇后論は憲法9条改正反対の私にとっても実に興味深い本です。なにしろ日本の加害の歴史を隠遁しない本ですから…これからもバンバン描いて下さいね!
血路を開く大胆な決断と覚悟、冷徹な欧米列強相手に血生臭い戦を切り拓かねばならなかった富国強兵の日本人が本心で欲していた精神が神武の創業神話では足りなかったと言う事なのでしょうか。 よくよく考えれば神武自身も統治権を祖先が譲られた受け身の立場の人で、資料が少ない中でも史実との関連性では圧倒的に劣っていますから吟味の上で辛辣に表現するならば権威として薄さを感じてしまいます。 人間は過去の逸話に対しても実体に近いものの方が親しく感じる当たり前の感性もあると言う事で、物質としての血統のみで国譲りが成功すると人間や社会心理を無視し過信している馬鹿な男系派には一生分からない事だと思います。
第273章「なぜ神功皇后を描くのか?」を拝読しました。 実を言うと神功皇后の実在には半信半疑でしたが、作品を読んで実在を認める方が学問的ではないかと考えるようになりました。 世界でも歴史が古い国々では、古代史部分は神話同様に物語として伝わっていることが多く、創作を受け入れながら自国の歴史を組み立てている筈です。 古代史の登場人物の発言とされるものは、よほど印象的または宗教的な言葉を除き、多くは物語上のセリフだと思っていますが、それらを全て排除してしまうと歴史学自体が成り立たなくなります。 他の史料との整合性や矛盾点などを検証した上で、それでも否定できないのなら実在を認めていいと思います。(個人的には4世紀中頃の第10代崇神天皇から実在した可能性があると考えています)
とは云っても『日本書紀』の神功皇后伝承は複雑で、史実の核を探る作業は相当困難に違いありません。 神功皇后の実年代は400年頃と推測されますが、3世紀の卑弥呼に比定され、4世紀後半の近肖古王から続く百済王達の記事も120年繰り上げて記載されています。 三韓征伐の際に新羅王子が人質となったことは、『三国史記』では402年となっているので時代的に合致します。三韓征伐の伝承は、倭と高句麗が戦った史実が元になった可能性が高いと思われます。 追記 第273章の最後のページに「オオナガタラシヒメ」とありますが、正しくは「オキナガタラシヒメ」でしょうか。
神功皇后論「なぜ神功皇后を描くのか?」 読みました。
明治政府が自ら箔を付ける為に神武天皇を利用して誰もが知っていた神功皇后の存在を薄めていったんですね。 しかし明治政府が誰も知らない神武天皇をいきなり担ぎあげて箔を付けようとしても、初めての紙幣の肖像画が神功皇后だった事、政府高官によって明治天皇の肖像にしようとしたのを明治天皇の裁決で神功皇后に戻された事に神功皇后がいかに偉大な人物として浸透していたかが分かります。 歴史から消された神功皇后を再びよしりん先生によって描かれ歴史に甦らせる事は日本は女性のスケールの大きさで成り立ってきた国だというのを感じます。 これからの展開が楽しみです。
2025年7月2日
「神功皇后論」拝読しました。日本で最初にお札の肖像画になったのが神功皇后だったんですね。女性でもかなりイケメンに仕上げられていますね。 明治初期は歴史上の女性の偉人の存在を自然に感じていたのに、時間がたつにつれ、男尊女卑の文化が浸透して存在を否定され、忘れられてしまっていくのは廃仏毀釈と似たようなものを感じました。 そういえば以前生で会ったダンケーカルトに染まった某候補者さんは歴史上の女性の偉人を存在しなかったものとして扱っているように思えました。 某参政党の作成している「次は私たちの番だ」のポスターもしかりです。
神功皇后ゆかりの神社も知らずに以前参拝していました。 宗像大社(辺津宮・中津宮・奥津宮遥拝所)、香椎宮、住吉神社も。 女性をものすごく怒らせてしまって謝らなければいけない男性の皆さん(????)は参拝を是非オススメします。
神功皇后の事をもっと知りたいです!!楽しみにしています!!!
現代では数万円から数十万円の価値を持つ改造1円札や広開土王の碑など神功皇后が明治大正以前には奉られていた事が分かりました。 男尊女卑の考え方を改め日本人の歴史感覚を呼び覚ますために必要な書だと思います。神功皇后の紙幣の顔を見ましたが目元に威厳と苛烈さが有る所など先生の描く顔に近いことが理解できます。 偉大な女帝を引きずり降ろす因習は日本にはそぐわないので辞める必要があります。
第273章 なぜ神功皇后を描くのか? の感想です。 非常にわかりやすかったです。過去2回で神功皇后のキャラクターに魅了された後、時代の流れによる扱いの変化が非常に疑問を持ちます。 初の紙幣の肖像画になっていたことは知りませんでした。
小林先生の戦争論で培われた史料批判からの問題意識、自分も同様です。 来週以降も楽しみです。
追伸:古代スタイルのよしりん、かわいかったです。
今週の神功皇后論、早速拝読致しました( ̄^ ̄)ゞ‼︎ まさか、明治時代以前では神武天皇よりも神功皇后の方が圧倒的にメジャーな存在だとは、コレは驚きッスよ∑(゚Д゚)‼︎ソレを明治の薩長政府が自分達の存在意義を確立する為に、徹底的に神武天皇を激推しして神功皇后をキャンセルカルチャーするとは…うーむ、トコトン薩長政府って罪な存在かと(^_^;)。 だからこそ、男系女系男性女性関係なく直系第一子最優先の皇位継承に戻す為のと昨今のキャンセルカルチャーの風潮をなくす為には、神功皇后論で神功皇后の存在を再認識させる必要があるのがしっかり解りますよね\\\\٩( ‘ω’ )و //// 今週もありがとうございました〜🙇♀️
神功皇后の紙幣が明治天皇の肖像に変更しようとしたのを明治天皇が止めたのは興味深いです。武内宿禰も紙幣の肖像になっていたのですね。神武天皇が実在したかのようなことをいう輩が、神功皇后のすべてを虚構とするのは許せませんね。
『なぜ神功皇后を描くのか?』を読みました。 私は無知なので神功皇后の事を全く知りませんでしたが、明治の初めぐらいまではかなり有名な人だったんですね。 今では神武天皇の方がすっかり有名になってしまいましたが、倒幕を果たした薩長が民の心を引き付けるための泊をつける目的で神武天皇を担ぎ上げたみたいですね。 神武天皇を担ぎ上げても神功皇后の人気が中々衰えず徐々に人気に陰りが出てきて神武天皇の方が大事にされるようになってきて、今に至るような感じだと思いました。 神功皇后の方が圧倒的に色んな功績がある事が色んな歴史上の書物に書かれているのに。 難しい事はよく分かりませんが、神功皇后の歴史上の功績を今一度世の中に浸透させる事は大事だと思いました。 過去にはこんなに強い女性がリーダーとして活躍したんだぞという見本になるようにしてもらいたいです。 次回も楽しみにしています。
2025年7月1日
権威なき為政者によって歴史が捏造されてゆく様を克明に描いていただき、ありがとうございます。「神武創業」などと権威を借りてきたことがバレバレの言葉がまかり通った挙句、今のネト極右が好んで神武天皇を持ち出すのも、単にポッと出が箔をつけたいだけと、ストンと腑に落ちます。
神功皇后が日本で最初の紙幣に採用された経緯も興味深く。価値あるものに真っ先に気づける聡明さは、戦で勝ち抜くには当然、必要な兵站の充実に役立だったはずで、明治天皇が紙幣となる栄誉を譲ったのは、やはり卓越した天皇として敬意を払われていたからではないでしょうか。
角髪よしりんが、日本に残る伝承や資料と、渡海先の資料を突き合わせて辿りつく史実の核は、あまりにも能力が高い故に抹消されかけた女性に息吹を吹き込むもの。感性全開の描写と知性横溢なる探求の織り成す創造物が、いよいよ「神功天皇論」と呼びならわしたいスケールの大きさを、さらに顕わし始めた様に、固唾を呑んで見入っております。
感想とは異なりますが…。 岩波文庫に。「三国史記倭人伝 他六編」(佐伯有清編訳)があり(1988年3月初版なので、もう絶版なのかもしれませんが)、「三国史記」や「三国遺事」の日本関連の記事がまとめられていますので、興味のあるかたは、捜してみると良いです。七支刀や広開土王碑文なども収録されています。図書館あたりにあればいいのですが(雄略天皇関連のことを調べた時に、少し参考にしました)。 「風土記」も、岩波文庫から出ています。神功皇后の祖先の一人と呼ばれる、天之日矛関連の記事もあります。
私も神功皇后の該当する人物は、歴史上実在するのでは、と思っています。(後の方の話になりますが)仲哀天皇の先妻の子の反乱に対するだまし討ちの話、高森先生ともくれんさんの、以前の配信でもとりあげられていましたが、これだけの話を捏造することはできないでしょう。加えて、でっちあげられるわけはない、と。忍熊王の配下に武将も、半島からの帰化人だったらしいです。 以上、感想とは異なりますが、記しておきます。
お疲れ様です。 毎日、神武、持統、推古、応神という天皇ルーティンの維新カルトのタゴメです。
だんじり祭で
大阪府河内郡太子町、だんじりで検索してみてください。
吉村府知事はじめ、馬場さんも含めて
維新の地盤には
神功皇后のゆかりが根深いです。
住吉大社とかもそうです。
畝傍御陵すら「畝火山口神社」など奥深さ、根深さがあります。
「竹之内街道」を調べてみたら
推古天皇すら 神功皇后をリスペクトしていたのではないかと勘繰りしてしまいます。
神功皇后〓維新の会〓推古天皇と繋がりがありすぎます
最新「神功皇后論」を拝読しました。今回は、いつもの「オキナガタラシヒメ物語」ではなく正味の「神功皇后論」でした。そう言えば「大東亜論」も「頭山満物語」パートに「大東亜論」パートが混ざる構成でした。 さて、「明治の儒教的男尊女卑」(ネト極右側)と「戦後の自虐史観」(左翼側)の両方を相手に戦う二正面作戦は小林先生にとっては常態となっています。もし、愛子天皇は実現したとして、そのことを後世の歴史家が「皇位継承問題における左右対立では左が勝った」と書くようでは絶対にいけません。そのためにも左右の両陣営にとって都合の悪い存在としての「神功皇后・論」は必要だと私は感じました。 それにしても薩長の画策した「神武創業」は如何わし過ぎます。「創業」は天照大神で、「中興」は息長帯姫や推古・持統ら女帝たちだとしか思えません。勇ましい女傑を戴いて戦う方が兵の士気も上がるでしょうし、その方が実際に強いでしょうし、それこそが日本古来の国柄・国体に適っていると感じます。
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17 件のコメント
希蝶
2025年7月15日
…かなり遅くなりましたが、こちらにも記します。
私も記紀に記された出来事には、何らかの歴史記事実を背景に記されたものであり、完全なフィクションではない、と思います。
神功皇后の話も、かなりの真実により記述されたものだろうと思います。
(さらにいえば、神武天皇の話にも、真実性があるのかも知れないです。女性首長の話は、その中にさえ、現れます)
『古事記』は稗田阿礼という女性が記憶した天皇家の事績を文章化したものであり、その伝承の段階で多少の事実の混乱もあったろうと思います、
『日本書紀』はさらに諸豪族の記述を引用したり、(あとの方になりますが)伊吉博徳(いきのはかとこ)の書などの、遣唐使で大陸にわたり、百済滅亡直後の事態を実際に見聞きした人の記録も混じっているわけです。
男尊女卑とかそういうのを抜きにして、史書は(記述する側の立場はあるのでしょうけれども。そのことも合わせて)虚心坦懐によむべきだ、と思います。
天之日矛のほかに、吉備氏など、古代史の謎が包括されて描かれるのではないか、と期待します。今後、どのような息長帯比売になるのか、楽しみです。
(ちなみに私がむかしよんだ神功皇后は、ヤマトタケルの化身である白鳥をさがしあて、熊襲の矢にあたって死んだ仲哀天皇の敵討ちをした、でした)
枯れ尾花
2025年7月4日
第273章 「なぜ神功皇后を描くのか?」を拝読致しました。
よしりん先生が最初に「三韓征伐」と「神がかりの託宣」を描かれたことで、まず私の中では神功皇后が非常に魅力的でカリスマ性のある人物として認識されました。そしてだからこそ彼女が何故男尊女卑観の強化される前の明治の始めまではすごく有名で人々に親しまれ、初の紙幣の肖像画になったのかもよくわかる気がしました。教科書のように歴史上の人物の功績を単に箇条書きにされただけでは面白くもなんともなく読む気にもならなかったと思います。先生がこれから創り出される史実と神話を背景にした正に血肉の通った一人の人間としての神功皇后の英雄伝を私は右脳左脳全開で見届けたいと思っています。
daigo
2025年7月4日
第273章 なぜ神功皇后を描くのか?拝読しました。
恥ずかしながら知らない事が多く、日本で初めて紙幣の肖像画になったのも神功皇后だったとは、しかも神武天皇より神功皇后の方が知られていた事も知らなかったです。
神功皇后は天皇と記されているという事実には驚きました。朝鮮の史書にも神功皇后に関する記事が存在するのですから神功皇后は実在したのだと思います。
最期の「この偉大な女性(女帝)の存在を復活させることこそが、日本人に「日本とは何か?」を覚醒させることにつながるのである!!」全くその通りです。
次回も楽しみです。
kobayashi kitaji
2025年7月3日
お久しぶりです。神功皇后論は憲法9条改正反対の私にとっても実に興味深い本です。なにしろ日本の加害の歴史を隠遁しない本ですから…これからもバンバン描いて下さいね!
SSKA
2025年7月3日
血路を開く大胆な決断と覚悟、冷徹な欧米列強相手に血生臭い戦を切り拓かねばならなかった富国強兵の日本人が本心で欲していた精神が神武の創業神話では足りなかったと言う事なのでしょうか。
よくよく考えれば神武自身も統治権を祖先が譲られた受け身の立場の人で、資料が少ない中でも史実との関連性では圧倒的に劣っていますから吟味の上で辛辣に表現するならば権威として薄さを感じてしまいます。
人間は過去の逸話に対しても実体に近いものの方が親しく感じる当たり前の感性もあると言う事で、物質としての血統のみで国譲りが成功すると人間や社会心理を無視し過信している馬鹿な男系派には一生分からない事だと思います。
昭和43号
2025年7月3日
第273章「なぜ神功皇后を描くのか?」を拝読しました。
実を言うと神功皇后の実在には半信半疑でしたが、作品を読んで実在を認める方が学問的ではないかと考えるようになりました。
世界でも歴史が古い国々では、古代史部分は神話同様に物語として伝わっていることが多く、創作を受け入れながら自国の歴史を組み立てている筈です。
古代史の登場人物の発言とされるものは、よほど印象的または宗教的な言葉を除き、多くは物語上のセリフだと思っていますが、それらを全て排除してしまうと歴史学自体が成り立たなくなります。
他の史料との整合性や矛盾点などを検証した上で、それでも否定できないのなら実在を認めていいと思います。(個人的には4世紀中頃の第10代崇神天皇から実在した可能性があると考えています)
とは云っても『日本書紀』の神功皇后伝承は複雑で、史実の核を探る作業は相当困難に違いありません。
神功皇后の実年代は400年頃と推測されますが、3世紀の卑弥呼に比定され、4世紀後半の近肖古王から続く百済王達の記事も120年繰り上げて記載されています。
三韓征伐の際に新羅王子が人質となったことは、『三国史記』では402年となっているので時代的に合致します。三韓征伐の伝承は、倭と高句麗が戦った史実が元になった可能性が高いと思われます。
追記
第273章の最後のページに「オオナガタラシヒメ」とありますが、正しくは「オキナガタラシヒメ」でしょうか。
タヒガシ
2025年7月3日
神功皇后論「なぜ神功皇后を描くのか?」
読みました。
明治政府が自ら箔を付ける為に神武天皇を利用して誰もが知っていた神功皇后の存在を薄めていったんですね。
しかし明治政府が誰も知らない神武天皇をいきなり担ぎあげて箔を付けようとしても、初めての紙幣の肖像画が神功皇后だった事、政府高官によって明治天皇の肖像にしようとしたのを明治天皇の裁決で神功皇后に戻された事に神功皇后がいかに偉大な人物として浸透していたかが分かります。
歴史から消された神功皇后を再びよしりん先生によって描かれ歴史に甦らせる事は日本は女性のスケールの大きさで成り立ってきた国だというのを感じます。
これからの展開が楽しみです。
マメシバ亭主
2025年7月2日
「神功皇后論」拝読しました。日本で最初にお札の肖像画になったのが神功皇后だったんですね。女性でもかなりイケメンに仕上げられていますね。
明治初期は歴史上の女性の偉人の存在を自然に感じていたのに、時間がたつにつれ、男尊女卑の文化が浸透して存在を否定され、忘れられてしまっていくのは廃仏毀釈と似たようなものを感じました。
そういえば以前生で会ったダンケーカルトに染まった某候補者さんは歴史上の女性の偉人を存在しなかったものとして扱っているように思えました。
某参政党の作成している「次は私たちの番だ」のポスターもしかりです。
神功皇后ゆかりの神社も知らずに以前参拝していました。
宗像大社(辺津宮・中津宮・奥津宮遥拝所)、香椎宮、住吉神社も。
女性をものすごく怒らせてしまって謝らなければいけない男性の皆さん(????)は参拝を是非オススメします。
神功皇后の事をもっと知りたいです!!楽しみにしています!!!
ひとかけら
2025年7月2日
現代では数万円から数十万円の価値を持つ改造1円札や広開土王の碑など神功皇后が明治大正以前には奉られていた事が分かりました。
男尊女卑の考え方を改め日本人の歴史感覚を呼び覚ますために必要な書だと思います。神功皇后の紙幣の顔を見ましたが目元に威厳と苛烈さが有る所など先生の描く顔に近いことが理解できます。
偉大な女帝を引きずり降ろす因習は日本にはそぐわないので辞める必要があります。
さとがえる
2025年7月2日
第273章 なぜ神功皇后を描くのか? の感想です。
非常にわかりやすかったです。過去2回で神功皇后のキャラクターに魅了された後、時代の流れによる扱いの変化が非常に疑問を持ちます。
初の紙幣の肖像画になっていたことは知りませんでした。
小林先生の戦争論で培われた史料批判からの問題意識、自分も同様です。
来週以降も楽しみです。
追伸:古代スタイルのよしりん、かわいかったです。
ダグドラえもん
2025年7月2日
今週の神功皇后論、早速拝読致しました( ̄^ ̄)ゞ‼︎
まさか、明治時代以前では神武天皇よりも神功皇后の方が圧倒的にメジャーな存在だとは、コレは驚きッスよ∑(゚Д゚)‼︎ソレを明治の薩長政府が自分達の存在意義を確立する為に、徹底的に神武天皇を激推しして神功皇后をキャンセルカルチャーするとは…うーむ、トコトン薩長政府って罪な存在かと(^_^;)。
だからこそ、男系女系男性女性関係なく直系第一子最優先の皇位継承に戻す為のと昨今のキャンセルカルチャーの風潮をなくす為には、神功皇后論で神功皇后の存在を再認識させる必要があるのがしっかり解りますよね\\\\٩( ‘ω’ )و ////
今週もありがとうございました〜🙇♀️
ゴロン
2025年7月2日
神功皇后の紙幣が明治天皇の肖像に変更しようとしたのを明治天皇が止めたのは興味深いです。武内宿禰も紙幣の肖像になっていたのですね。神武天皇が実在したかのようなことをいう輩が、神功皇后のすべてを虚構とするのは許せませんね。
あしたのジョージ
2025年7月2日
『なぜ神功皇后を描くのか?』を読みました。
私は無知なので神功皇后の事を全く知りませんでしたが、明治の初めぐらいまではかなり有名な人だったんですね。
今では神武天皇の方がすっかり有名になってしまいましたが、倒幕を果たした薩長が民の心を引き付けるための泊をつける目的で神武天皇を担ぎ上げたみたいですね。
神武天皇を担ぎ上げても神功皇后の人気が中々衰えず徐々に人気に陰りが出てきて神武天皇の方が大事にされるようになってきて、今に至るような感じだと思いました。
神功皇后の方が圧倒的に色んな功績がある事が色んな歴史上の書物に書かれているのに。
難しい事はよく分かりませんが、神功皇后の歴史上の功績を今一度世の中に浸透させる事は大事だと思いました。
過去にはこんなに強い女性がリーダーとして活躍したんだぞという見本になるようにしてもらいたいです。
次回も楽しみにしています。
まいこ
2025年7月1日
権威なき為政者によって歴史が捏造されてゆく様を克明に描いていただき、ありがとうございます。「神武創業」などと権威を借りてきたことがバレバレの言葉がまかり通った挙句、今のネト極右が好んで神武天皇を持ち出すのも、単にポッと出が箔をつけたいだけと、ストンと腑に落ちます。
神功皇后が日本で最初の紙幣に採用された経緯も興味深く。価値あるものに真っ先に気づける聡明さは、戦で勝ち抜くには当然、必要な兵站の充実に役立だったはずで、明治天皇が紙幣となる栄誉を譲ったのは、やはり卓越した天皇として敬意を払われていたからではないでしょうか。
角髪よしりんが、日本に残る伝承や資料と、渡海先の資料を突き合わせて辿りつく史実の核は、あまりにも能力が高い故に抹消されかけた女性に息吹を吹き込むもの。感性全開の描写と知性横溢なる探求の織り成す創造物が、いよいよ「神功天皇論」と呼びならわしたいスケールの大きさを、さらに顕わし始めた様に、固唾を呑んで見入っております。
希蝶
2025年7月1日
感想とは異なりますが…。
岩波文庫に。「三国史記倭人伝 他六編」(佐伯有清編訳)があり(1988年3月初版なので、もう絶版なのかもしれませんが)、「三国史記」や「三国遺事」の日本関連の記事がまとめられていますので、興味のあるかたは、捜してみると良いです。七支刀や広開土王碑文なども収録されています。図書館あたりにあればいいのですが(雄略天皇関連のことを調べた時に、少し参考にしました)。
「風土記」も、岩波文庫から出ています。神功皇后の祖先の一人と呼ばれる、天之日矛関連の記事もあります。
私も神功皇后の該当する人物は、歴史上実在するのでは、と思っています。(後の方の話になりますが)仲哀天皇の先妻の子の反乱に対するだまし討ちの話、高森先生ともくれんさんの、以前の配信でもとりあげられていましたが、これだけの話を捏造することはできないでしょう。加えて、でっちあげられるわけはない、と。忍熊王の配下に武将も、半島からの帰化人だったらしいです。
以上、感想とは異なりますが、記しておきます。
タゴメ
2025年7月1日
お疲れ様です。
毎日、神武、持統、推古、応神という天皇ルーティンの維新カルトのタゴメです。
だんじり祭で
大阪府河内郡太子町、だんじりで検索してみてください。
吉村府知事はじめ、馬場さんも含めて
維新の地盤には
神功皇后のゆかりが根深いです。
住吉大社とかもそうです。
畝傍御陵すら「畝火山口神社」など奥深さ、根深さがあります。
「竹之内街道」を調べてみたら
推古天皇すら
神功皇后をリスペクトしていたのではないかと勘繰りしてしまいます。
神功皇后〓維新の会〓推古天皇と繋がりがありすぎます
京都のS
2025年7月1日
最新「神功皇后論」を拝読しました。今回は、いつもの「オキナガタラシヒメ物語」ではなく正味の「神功皇后論」でした。そう言えば「大東亜論」も「頭山満物語」パートに「大東亜論」パートが混ざる構成でした。
さて、「明治の儒教的男尊女卑」(ネト極右側)と「戦後の自虐史観」(左翼側)の両方を相手に戦う二正面作戦は小林先生にとっては常態となっています。もし、愛子天皇は実現したとして、そのことを後世の歴史家が「皇位継承問題における左右対立では左が勝った」と書くようでは絶対にいけません。そのためにも左右の両陣営にとって都合の悪い存在としての「神功皇后・論」は必要だと私は感じました。
それにしても薩長の画策した「神武創業」は如何わし過ぎます。「創業」は天照大神で、「中興」は息長帯姫や推古・持統ら女帝たちだとしか思えません。勇ましい女傑を戴いて戦う方が兵の士気も上がるでしょうし、その方が実際に強いでしょうし、それこそが日本古来の国柄・国体に適っていると感じます。