先日宮内庁が、眞子さまが長期にわたり誹謗中傷を体験されたことにより
複雑性PTSDの状態にあると発表したことに対し、週刊誌の多くが反発し
眞子さまや小室圭氏に対する中傷がさらにエスカレートしています。
その代表は、『週刊新潮』のこの記事でしょう。
デイリー新潮 国民の声を“誹謗中傷”呼ばわりで炎上 眞子さまのご希望通りだった「複雑性PTSD」発表
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/10061131/?all=1
週刊誌の眞子さまと小室氏に対するこれまでの行為が誹謗中傷であることは明らか
ですので、ここではその詳細に言及するのではなく、彼らの誹謗中傷がどこから来るの
かを考えてみます。
ウェブ編集者の中川淳一郎氏が、これまでの小室氏へのバッシングの内容を
以下の記事でまとめておられます。
FINDERS 小室圭さんはいつまでバッシングされ続ける?過去にネットで叩かれま
くった人物と企業を振り返ってみた
https://finders.me/articles.php?id=3060
内容は中川氏の記事を読んでいただくとして、公費支出に関連したものが含まれます
から、「納税者様」として上から目線で許せんと言っていることが分かります。
これは普段人権侵害に対して発言する自称リベラルや、伝統の保持を主張する自称保守
の知識人も同じで、「納税者として」眞子さまや小室氏に説明責任を求めています。
大半の国民にとって皇室は「国民への寄り添い」や「誇らしい伝統」というサービスを
提供する事業者で、国民はお客様としてクレームを入れており、それに対して詫びを
入れるどころか複雑性PTSDになったと批難するのは言語道断というわけです。
「国民への寄り添い」や「誇らしい伝統」も、心地よさや承認欲求といった私的な感情
の充足という消費目的で求めているのです。
ここから、国民は自分たちの快不快という感情に関係する時だけ皇室の存在が視野に入り、
それ以外の時には皇室は眼中にないのだろうと推測されます。
愛子さまに皇太子になっていただくための皇室典範の改正が、なかなか実現しないのも当然です。
このような国民の態度を見ていると、三島由紀夫が自決前にサンケイ新聞に寄せた
『果たし得ていない約束―私の中の二十五年』の次の一節を思い出します。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、
中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
(注:原文は旧仮名遣い)
今皇室が直面されている苦難の原因が、国民のからっぽさにあることは間違いありません。
そしてからっぽである以上国民の自浄作用は期待できず、行きつくところまで行って
国民が泣きつくまで、皇室の困難は根本的に解決しないのではないでしょうか。
行きつくところとは、皇室が国民を見放される時です。
眞子さまの渡米と一時金辞退はその第一歩で、愛子さまはじめ同世代の
親王・内親王殿下も同じことをお考えでいらっしゃっても不思議ではありませんし、
もしかしたら国民と皇室の関係を構築しなおす方法はこれしかないのかもしれません。
そうだとすれば、国民の一人として慚愧の念に堪えずお詫び申し上げるほかありません。
文責 東京都 りょう
6 件のコメント
1985年
2021年10月10日
酷すぎる世の中です。私は決して褒められた生き方はしてきていません。偉そうなことを言う資格なんてありませんが、眞子さまと小室さんに向けられた悪意は酷すぎます。悪意を向けた人は、ちゃんと反省し、お天道様に顔向けできるよう悔い改めるべきですね。
基礎医学研究者
2021年10月9日
今回の問題を特に「思想形成」の問題として捉えている点について、興味深く読ませていただきました。自分は三島由紀夫の思想を深くは知らないのですが、「このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする・・・(略)」。まるで現在を予見したかのような達見であると思います。
そして、りょう様のいわれるこの部分、「国民はお客様としてクレームを入れており、それに対して詫びを入れるどころか複雑性PTSDになったと批難するのは言語道断」。非常に本質をついた論考で、自分に言わせると、このようなことを”皇族”の方にのたまうことこそ言語道断である!と思う次第です。
小新斜馬
2021年10月9日
失なうことになっても、その価値の大きさに気が付かないんじゃないかって心配まで出てきてしまう感じやなあ。
jacker
2021年10月9日
自由・平等・民主のいきすぎ(いわゆる欧化)がこの皇室バッシングを呼び寄せてしまったんですね。
ダダ
2021年10月9日
三島由紀夫は権威が通用しなくなることを予見していたのですね。
日本国の原点である天皇に立ち返り、天皇(皇室)と国民が平等ではないことを気付かせないと、本当に最悪の事態になってしまいます。。
京都のS
2021年10月9日
「ここから、国民は自分たちの快不快という感情に関係する時だけ皇室の存在が視野に入り、それ以外の時には皇室は眼中にないのだろうと推測されます」…おそらく、この通りだと思います。
無機的で空っぽでニュートラルな日本人は、全ての皇族方から見捨てられ、つまり「堕落論」的に墜ちるところまで墜ちきるしかないのかもしれません。
この日本人の空っぽさの原因としては、「トカトントントン」→「きょろり」が戦後一貫して続いているせいかもしれないと思い至りました。