
6月2日の「英雄たちの選択」が横井小南を採り上げていました。横井は勝海舟に「俺は天下で恐ろしい者を2人見た…それは横井小楠と西郷南洲だ」と言わしめました。優秀な熊本藩士の小楠は29才で藩校の塾長に抜擢されましたが、酒癖が悪いために解任され、江戸留学に出されても藤田東湖と揉めたために国許で蟄居していました。そんな頃に福井藩主の松平春嶽が藩政改革のために小楠を招聘しました。やがて、大老・井伊直弼との政争に敗れて謹慎していた春嶽が「桜田門外の変」(1860)を機に幕政復帰すると、小楠は『国是七条草案』を提出し、藩財政を悪化させる参勤交代の中止や家格に依らない人材登用を訴えました。維新の6年前に出された『国是七条』は『船中八策』(坂本龍馬)や『五箇条の御誓文』(由利公正)の元ネタとされ、特に第五条「大いに言路を開き天下と公共の政を為す」は横井の中心思想(公議公論)です。
鎖国攘夷を望む孝明帝を説得するために14代将軍・徳川家茂は上洛しましたが、叶いませんでした。当時の小楠は、酒宴中に攘夷派の刺客に襲われて敵前逃亡した廉で熊本藩の処分を待つ身だったため、家茂や春嶽の上洛に同行できませんでした。 長州は単独攘夷を決行し、薩摩も生麦事件を起こしたため、英仏蘭米は朝廷と談判するために大坂湾侵入を計画していました。春嶽は小楠の提案した「諸藩が軍を率いて上洛し、将軍・諸大名・朝廷(関白)・英国公使が同席する会議で議論する」という案を採用しましたが、家茂の江戸帰還と薩摩藩の拒絶により実現しませんでした。熊本に戻った小楠は士分を剥奪され、私塾の四時軒を開いて隠棲しましたが、そこを訪ねた坂本龍馬は「酒を飲みながら西郷や大久保の芝居を見物していてください」と小楠に引退勧告しました。薩長同盟成立を前に龍馬はハイになっていたのでしょう(※「国と皇室を~」参照)。
やがて新政府に迎えられた小楠は間も無く攘夷派の残党に惨殺されますが、元公武合体派で開明的すぎる小楠を危険視した藩閥政府(特に大久保利通)が裏で糸を引いていた可能性は否定できません。また開明的な小楠の薫陶を受けたはずの井上毅が古臭い『教育勅語』を書いたり『皇室典範』から女帝の可能性を排除したりしたのは熊本という土地柄ゆえでしょう。
そして今、大久保利通の4世孫・麻生太郎が井上毅の男尊女卑志向を受け継いだまま、男系固執によって皇室を潰そうとしています。
文責:京都のS
2 件のコメント
京都のS
2026年6月6日
由利公正こと三岡八郎については「ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する!2nd season」( https://aiko-sama.com/archives/37083 )をご覧ください。
松平春嶽と山ノ内容堂については「令和の極左が保守を僭称する滑稽を嗤う」( https://aiko-sama.com/archives/69204 )をご覧ください。
京都のS(サタンのSじゃねーし)
2026年6月6日
ふぇい様、掲載ありがとうございます。
大久保利通の(女系の)玄孫(4世孫)として麻生太郎が、明治帝の(女系の)玄孫(4世孫)としての竹田恒泰(の子孫)を皇統に捻じ込む案を、高市早苗を使役してやらせようとしています。その張本人とて韓鶴子に使役されるだけの売国奴に過ぎませんが。