ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する!2nd season

Post's thumbnail

ケインジアン双系派がケインジアン男系派を駆逐する!」( https://aiko-sama.com/archives/36871 )

 南宋の思想家・朱熹は、儒教の経典『礼記』から『大学』と『中庸』を抜き出し『論語』『孟子』と合わせて「四書」とし、これを朱子学の聖典としました。また『礼記』全体は『易経』『書経』『詩経』『春秋』と共に「五経」に入っており、それらは「四書五経」と総称される儒教の重要経典です。宋学(朱子学)は鎌倉期に渡宋した禅僧が伝えたとされ、日本で最も隆盛したのは江戸幕府のブレーンを務めた林羅山が官学と定めて以降です。日本人は儒教を換骨奪胎した「儒学」を受容したとされますが、江戸前期の儒者・貝原益軒の著した『和俗童子訓』では『儀礼』や『礼記』に由来のある「三従」(家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は息子に従え)が女子の徳目として掲げられています。つまり、儒学が削ぎ落したはずの宗教的エッセンス(男尊女卑etc.)は、儒者による「訓示」のような形で世間に胚胎したと考えられます。

 次にタイトル回収に入ります。『礼記』の「王制篇」には「入るを量りて出ずるを制す」という記述が有り、これは今風の読み方をすれば「財政出動は税収の範囲内にしろ」(≒財政法4条)でしょう。朱子学に傾倒した江戸幕府の老中(松平定信・水野忠邦)が悉く緊縮論者だった理由は『礼記』に脳髄が侵されていたからでしょう。

 ところで日本史上には多くのケインジアン(金融政策と財政政策を駆使して経世済民を為す政治家:古代の帝~近現代の由利公正・高橋是清・田中角栄…)が居り、これには江戸期の田沼意次や二宮金次郎も該当し、幕末の陽明学者・山田方谷も有名です。備中松山藩の藩政改革を担った方谷は、藩札(紙幣)の信用回復と特産品開発(公共投資)を成功させ、即ちケインズ政策により大坂商人からの藩の借金を完済しました。明学(陽明学)は朱子学へのアンチテーゼとして興ったものですから、陽明学徒は『礼記』の悪影響を受けずに済み、従って貴金属貨幣に囚われない近世以降はケインズ政策への開眼も容易でした。ちなみに前掲の二宮金次郎や大塩平八郎も陽明学徒で、大塩の乱は天保の大飢饉で困窮した貧民を救う蜂起でしたが、そこから教訓を得なかった天保の改革(水野忠邦の緊縮政策)が幕府倒壊をもたらしました。

 しかしながら現代のケインジアン男系派は『礼記』「王制篇」と同趣旨の財政法4条を批判する一方で『礼記』由来の男尊女卑を保守したがり、それゆえ皇族女子の立太子・即位および女系継承を全否定するという倒錯症状を呈しています。…お大事に。    

文責:京都のS

4 件のコメント

    京都のS

    2024年3月26日

     れいにゃん様、※ありがとうございます。「短いセンテンスの訓示は、思考停止した人向け」とは言い得て妙ですが、朱子学は元々「ならぬものはならぬことです」が基本的な態度ですからね。武家や豪商の娘が当時の常識(三従)に逆らい続けたら土蔵に幽閉みたいなことも有ったような気がします。
     「究理」「先知後行」の朱子学では考えすぎて動けないのに対し、「心即理」「知行合一」の陽明学なら「良知」を直ぐに実践すべきとなります。だから陽明学徒は現実主義者(リアリスト)と言うよりも理想主義者の側です。民のために蜂起した大塩中斎も、「已むに已まれぬ」吉田松陰も、不利な長幕戦争を戦い抜いた高杉晋作も、士族の受け皿になった西郷隆盛も全て理想主義者でした。
     民が困窮しているのを見た時、打開策としてケインズ主義が有効だと知ったなら、理想主義者としての陽明学徒は「已むに已まれず」実践してしまいます。二宮金次郎も山田方谷もそうだったはずです。そして大塩の採った方法は武力決起でした。
     儒教に脳を侵されたケインジアン男系派(三橋貴明・中野剛志・藤井聡・倉山満・高市早苗・麻生太郎…)がケインジアンの面汚しである点を突くために『礼記』「王制篇」と「財政法4条」の近似性を挙げましたが、陽明学については「ケインジアン男系派の可笑しさ」を論証していく段階での「論拠1」に過ぎません。
     朱子学と陽明学については「『天皇陛下万歳』への道程(破)」( https://aiko-sama.com/archives/24141 )もご覧ください。

    れいにゃん

    2024年3月26日

    >儒学が削ぎ落したはずの宗教的エッセンス(男尊女卑etc.)は、儒者による「訓示」のような形で世間に胚胎した
    短いセンテンスの訓示は、思考停止した人向けですもんね。
    現代のケイジアン男系派はつまみ食いの結果の捻じれなんでしょうか?
    漠然と、朱子学は理念・陽明学は実践を重視していて、実践する為にリアリストになるのかなぁという認識でいました。陽明学の実践者といえば大塩平八郎と吉田松陰くらいしか思い浮かばないのですが。なるほど「ケイジアン」という視点からみると、古代帝も当てはまるのですね。

    京都のS

    2024年3月26日

     昭和43号様、※ありがとうございます。「朱子学が緊縮派、陽明学が積極派」とばかり言いきれない例も実はあります。徳川吉宗は朱子学(礼記)的な感覚で奢侈を嫌って享保の改革を行いましたが、御殿山や河岸に桜を植えて花見を奨励したり墨田川での花火(悪病退散の水神祭)を奨励したりと財政出動も積極的にやりました。吉宗は倹約と財政出動のメリハリを付けたわけですね。
     古代シナ発の儒教的「三従」が朝鮮に渡ればより先鋭化し、それが統一教会の中心教義(キリスト教は都合よく摘み食い)ですから当然です。
     朱子学を官学と定めて以降の江戸期(260年)が日本人の脳髄に男尊女卑を染み付かせたのは間違いなく、ゆえに仰るように「古い家族観」として「嫁入り婚」と「家系の男系継承」がスタンダードとなりました。さらに明治期に受けたキリスト教の影響も相変わらずの男尊女卑で、それは軍事と産業の如何が国の興亡を決する帝国主義の時代には都合よく働いたわけですね。

     さて、当サイトに書いた「ケインズ主義」に関する記事は以下です。
    ・「インペリアル・グローバリズムという悪夢2」( https://aiko-sama.com/archives/33381
    ・「時処位の変化と制度改革」( https://aiko-sama.com/archives/32084
    ・「歴史から自由になった日本人民は皇室を戴けるか?(下)」( https://aiko-sama.com/archives/22681
    ・「権力者・愛子天皇の治世を仮想してみれば…」( https://aiko-sama.com/archives/22571
    ・「齟齬が生じたなら万難を排して改めよ!」( https://aiko-sama.com/archives/34107
    ・「思想マトリックスに皇統問題を加味してみた(表)」( https://aiko-sama.com/archives/29761

    昭和43号

    2024年3月25日

    いつも興味深い考察でとても勉強になります。
    財政出動に関しては、朱子学が緊縮派、陽明学が積極派、だったとは初めて知りました。
    江戸の三大改革が緊縮財政だったのは朱子学の影響だった訳ですね。
    儒教の「三従」は、近所の統一協会から布教に来て置いていったらしい文鮮明の本にも似たようなことが書いてありました。統一協会が、キリスト教の皮を被った儒教カルトというのは正しいかもしれません。
    男系派は儒教どうこうを意識している訳ではなく、ただの明治主義で古い家族観を引きずっているだけでしょうね。

コメントはこちらから

全ての項目に入力が必須となります。メールアドレスはサイト上には表示されません。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。