私は先日、ドラえもんの”おばあちゃんの思い出”という話を見ました。
この話は、のび太のおばあちゃん(のび太の小学校入学前に他界)とのび太の思い出のお話なのですがその中でまだ幼少期ののび太が冬も間近に迫ってきたときに花火をおばあちゃんにねだりそれが叶わないとおばあちゃんに”おばあちゃん、あっち行け!!”と暴言を吐くシーンがあります。
私は、このシーンをみて今の皇室バッシングとこの幼少期ののび太の”共通点”を見出したのです。
それは、”甘え”です。
のび太のおばあちゃんはとても優しい人で(のび太のみならずのび太の両親であるのび助や玉子にも優しく、よくありがちな”姑の嫁イビリ”の様子も一切なかった)のび太が野良犬に襲われたときには身をもって守り、スネ夫やジャイアンに泣かされて帰ってきたときも優しく慰め家のガラスを割って怒られたときもかばってくれる人でした。
そんな、おばあちゃんだから無理言っても受け入れてくれるという甘えがあったから上述のように幼少期ののび太も暴言を吐いてしまったのではないかと・・・・。
そして、現在の皇室バッシングも幼少期ののび太と同じ”甘え”の感情を日本国民が皇室にもっているからこそ起きてしまったのではないか、そう思ったのです。
”皇室は、我々日本人に寄り添ってくれるだけでなく日本や日本人の国際社会でのイメージアップに貢献してくれている素晴らしく心のお優しい方々だ、だから我々の無理難題も受け入れてくれる”という甘えの感情をです。
だから、今回の眞子さんと小室さんの結婚も”自分たちは小室さんが気に入らないから破断にしてくれる”だろうと思ってそれが叶わぬとわかればお二人を事実上追放してしまったのかもしれません。
これだけではありません。男系男子固執も過去の美智子さまや雅子さまへのバッシングも”自分たちが気に食わないといっているのに受け入れてくれない、思い通りにしてくれない”という甘えの感情から来たものと言わざるを得ません。
また、”皇室には税金を払っているから”という意見もどこかで”本来は皇室は自分たちの要望を無条件で受け入れるものなのに・・・・”という甘えがあるのかもしれません。
皇室をつづけるためには、この”甘え”から日本国民が脱却し再度皇室を続けるためにはお互いの尊重、理解が必要という考えをもつことと思い行動することだというほか私にはありません。
文責 山梨県 jacker
2 件のコメント
ダダ
2021年12月4日
タイムマシンでおばあちゃんに甘える自分を見たのび太は、それを注意していましたよね。
のび太は自己批判できるまで成長しましたが、国民は自分の姿を見る勇気があるでしょうか。。
天皇が国民統合の象徴であるならば、それに相応しい国民の在り方が求められているとも言えます。(今は天皇による上位互換)
基礎医学研究者
2021年12月4日
興味深く読ませていただきました。「親しき中にも礼儀あり」、これは我々庶民レベルにおいても、割合本質を突いた諺だと、私見では思います。そして、自分の細やかな経験では、他者との関係においてどちらか一方に依存する関係はどこか無理があり、長続きしないということを、強く感じます。ですので、話を拡張すると、それは、「皇室」と「国民」の関係性においてもそうなのではないか?と思う次第でございます。