「囚われた皇族を開放すべき」論と我々はどう向き合えばよいか?(上)

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 2019年の夏に公開された新海誠監督によるアニメ映画『天気の子』は、環境が激変して雨が降り続くようになった東京でも100%の確率で晴天に出来る能力を持った代わりに、

能力を使い過ぎれば人柱として天に召される運命を背負ってしまった少女・天野陽菜を救うために、主人公の少年・森嶋帆高が過酷な運命と対決する物語です。

ネタバレ的に結論を言えば、帆高は好きになった陽菜を救うために、永遠に雨が降り続く未来を選び取りました。そのせいで関東周辺に住む数千万人の人生を台無しにし、中には亡くなった方も大勢いたはずです。

これをコロナ禍中の現代日本に置き
換えますと、新型コロナ感染症の犠牲になりそうな基礎疾患アリの近しい人を救うために、

政府や自治体、医師会、マスコミ、大衆世論が求めた自粛により、

倒産・廃業・失業・経済苦・絶望から自殺に追い込まれた女性・学生・貧困層といった弱者、

ホームにステイした親による虐待やDVの犠牲になった女性や子供、そして職場などでワクチン接種を強要されて断れずに打ち、間もなく強い副反応を発症して亡くなった方たちの存在を知っても、犠牲者を顧みないことに相当するのではないか?

…このような観念に襲われたため、私は『天気の子』を観て爽快感に浸っていた2年前の自分を恥じたものです。

 しかし一方で、近い時期に起こった別の重大事件があります。

週刊誌やワイドショーなどの絶大な影響力を持つマスコミが、商売のために憶測や一方的な思い込みから小室圭氏を叩き続け、

そのデマを視聴者・読者が嫉妬や差別感情も込みで信じて叩く側に加担し、とうとう小室圭氏の婚約者である秋篠宮家のご長女・眞子様は複雑性PTSDを発症されました。

何を言われても反論できない立場にある皇族方や関係者が非難され続ける状態は、『天気の子』の設定で言えば「人柱」に等しく、天に召されて積乱雲の上に囚われた天野陽菜のような状態です。

天皇や皇族は日本国憲法の第1章に規定があり、第3章の基本的人権が適用されず、従って皇族方には人権が無いという説が主流となってきました。

まさに雲の上にいらっしゃるけれど一切の自由が無く、豪雨に晒されても救済が無いという状態です。

小室圭氏が眞子様を皇室という檻から救い出してニューヨークへ旅立たれた件は、

森嶋帆高が積乱雲の上に囚われていた天野陽菜を救い出し、手を携えて下界へ舞い降りた『天気の子』終盤の名シーンとピッタリ重なっているように私は感じました。

もっとも小室夫妻の件では、眞子様が主体性を持って小室圭氏に希望を伝えられたためにニューヨーク行きが実現したわけですが。 (下)に続く

     
(メールより)文責:京都のS     

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5 件のコメント

    京都のS

    2023年6月5日

    京都のS

    2021年12月24日

     ダダ様、基礎医様、ありがとうございます。この前篇は起・承・転・結のうちの「起」と「承」です。ゆえに、まだタイトルにある「皇族を開放すべき」論にすら到達していません。「転」で「開放すべき論」が勃興してくる段階に入り、それを「結」で巻き返すという建付けとなっています。
     さて権力者(政府・自治体・医師会…:私1)は、大衆(私2)の間で燻るコロナ(自粛)禍やワクチン禍に対する不安や不満、怒りの矛先を権威(皇族方:公)の方へ向けようとしています。権力に虐げられていると感じる大衆は権力と権威とを分別できないままに小室氏や秋篠宮様を権力者だと勘違いして叩いています。その状況は「天気の子」劇中で言えば、東京に降り続く雨のような禍(わざわい)に対して天気の巫女(天野陽菜)を人柱に立てたように、皇族関係者を生贄にしているようなものではないか?と感じるわけです。
     これまで絶望的な展開で進めてきましたが、このまま明日の「転」と「結」を待っていただければと思います。

    基礎医学研究者

    2021年12月24日

    興味深く読ませていただきました。「天気の子」、自分も家族で見に行った記憶がありますが、ここで出てくるとは思っていなかったので、少し意表を突かれました(ちなみに私の場合、実は「天気の子」を見てもあまり爽快感はなく、アニメの形をとっていますが、黙示録のようなイメージがありました)。でも、確かに皇族≒人柱という指摘は、一理あるのかもしれません。ですが、自分はたとえそのような国民がいるとしても、その一方で皇族とともに過去、現在、そして未来を共に歩もうとしている、心ある国民の行動を、信じるものであります。
     いずれにしましても、後編で京都のS様が、さらにどのような回答をされるのかを、期待しております。

    京都のS

    2021年12月24日

     季節感のまるで無い扉画像から始まる文章で申し訳ないです。「天気の子」論では、この前後編の論考が私から総合P様への最終回答となります。

    ダダ

    2021年12月24日

    皇族≒人柱というご指摘、頷けるものがあります。
    一連の皇室バッシングで恐ろしいのは、人柱に対する後ろめたさを微塵も感じさせない点です。
    自分(私)のために皇族(公)は犠牲になって当然という感覚を、常識にはしたくないですよね。

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