「囚われた皇族を開放すべき」論と我々はどう向き合えばよいか?(下)

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 さて、『天気の子』では晴天を望む世論代表として須賀圭介が帆高と陽菜に同情
して味方しましたが、リアルの現代日本では、コロナ自粛やワクチンの犠牲者に対し
て「運が悪かったね」で済ませ、小室圭さんと眞子さんに対しては「ニューヨークか
ら都落ちしてくるのを楽しみに待ってるよ」という意見が世論の中央に居座っている
と感じます。もはやフィクションの設定の方が”まし”な状況かもしれません。

 そんな言論状況の中で興ってくるカウンター的世論は、「かわいそうな皇族を解放
してあげるべき」論という装いの天皇制廃止論です。「佳子サマも海外へ逃げちゃえ
ば?」「悠仁サマにも拒否権あるよね~」と。そして、たとえ愛子様が立太子および
御即位できるような皇室典範の改正が為されたとしても、変わらず「愛子サマも解放
してあげよう!」論が勃興するのではないかと思われてならないのです。従って、常
識的な尊皇心を持つ一般庶民が、こうした「皇族解放論」のような一見リベラルで正
義感に溢れていそうな意見を覆すことは、世論の無責任や劣化の度合いが日ごとに増
していく現代日本の言論状況では非常に困難なことに思えてしまうのです。

 今の私たちに出来ることは限られていると思います。雲の上に囚われている人柱と
しての皇族方に、近くで寄り添うことが現実的には難しくとも、ひたすらに雲の下か
ら思い続けることなら可能です。醜悪な世論の氷雨を世間や皇族方の上に降らせない
ように努め、そうすることで皇族方に安らかな気持ちで過ごしていただけるように
し、再びご公務に「やりがい」と「生きがい」を感じていただけるように、自分たち
で出来ることを模索し、行動し続けるしかないと思うわけです。例えば、身近で皇族
を揶揄する意見が出たら冷静かつ論理的にコレを制し、また皇族方を非難する暴論が
世間に溢れていたらSNSで反対意見を発信したり各種媒体に発表したり当サイトに文
章を寄せたりし、そうやって尊皇心を持つ庶民の一人ひとりが皇室をバッシングする
世論という豪雨から皇族方をお護りする傘になろうと努める以外にないだろうと思う
わけです。愛子様が立太子され、御即位していただけるための法整備(典範改正)
も、それが歴代の天皇陛下が望んでおられることですから、皇族方をお護りする傘の
重要なパーツなのですが、それだけでは皇室を続けていくことが難しい局面に入った
と感じております。
ゆえに「皇族を続けるかどうかを最終的に決める権利は各皇族方
にある」という基本ラインを押さえた上での議論になると私は捉えています。  

 文責:京都のS

6 件のコメント

    基礎医学研究者

    2021年12月25日

    基礎医学研究者でございます。いや、大真面目な話にこんな反応して申し訳ありません(m_ _m)。お察しの通り、確かに私も京都のS様と同じくジョジョ・ファンでございます( ´艸`)(自分に関しては、ライジングの方でも、かわじ様に指摘されたことがあります)。で、そうですね。これは、確かに12/5からの反応と取ってもらって間違いないかと(私のイメージもそのような感じです。以上、失礼しました(m_ _m)。

    京都のS

    2021年12月25日

     基礎医様、ありがとうございました。「皇室終了派」というワードを覚えています。「皇族解放派」も同義ですね。エセの尊皇派とガチの反天派を同時に相手にするのは疲れますが、やるしかありませんね。
     ところで「未来への遺産」というワードにも反応しました。12月5日にアップされた文章の関連ワードですから(笑)。

    京都のS

    2021年12月25日

     ダダ様、ありがとうございます。その通りです。「解放してあげよう」の裏にある本音は天皇制廃止ですから、「押し付け」てでも解放したいのです。主体を皇族方に預ける保守と、天皇から地位を剥奪したい左翼の違いですね。貧困が革命の原因となるなら、平成不況+コロナ自粛不況の現代日本は、天皇制廃止という革命には持ってこいの状況です。左翼にとっては「特権階級を引きずりおろせ」でも「皇族を檻から解放してあげよう」でも良いのです。
     地上から祈っている庶民が多くいることが、天皇陛下や皇族方のモチベーションとなるかもしれないと思うしかありません。

    基礎医学研究者

    2021年12月25日

    後半編(転・結)、興味深く読ませていただきました。なるほど、京都のS様とは別に自分かかつて論じたことがある問題ですが、皇室終了派という方々は「ズルい」ことを考えるもんだな!と、改めて思います。そして、このような狡猾な意図があるともしらず、何となくそれに大衆は騙されてしまい、「後の祭り」のような結末になりかねない危機感がございます。そのような意味では、確かに「皇室典範」の改正という法整備だけでは不十分で、「皇室」の方々が失望されない日本の状況(すなわち、国民のふるまい)が必須である、という京都のS様の結論には、激しく同意であります(そうであるならば、未来への遺産は継承されるでしょう)。

    ダダ

    2021年12月25日

    仰る通り、皇族への同情から解放論に繋がることは十分考えられますよね。
    奴隷のように強制させることは出来ないわけで、正直、一理あるかと。

    しかし、それ(解放論)もまた国民からの押し付けになってしまいます。
    皇族の意志や決定権が尊重される前提で、皇室と共にあり続ける。この保守的感覚を忘れないようにしたいです。

    眞子さまの記者会見を見ると、皇室を支えようとする庶民の声がご本人に届いていたことが分かります。
    私たちは傘になり得るのだと確信しました。

    京都

    2021年12月25日

    (上)はコチラです。→ https://aiko-sama.com/archives/8942

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