文字起こし 講書始の儀【テレビ東京】御厨貴氏

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今年の講書始の儀、テレビ東京がノーカットで動画をアップしました。

2016年9月から「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」座長代理を務めた御厨貴(みくりやたかし)氏のご進講の部分を、文字起こしでお伝えします。

19:10~
東京大学名誉教授の御厨貴と申します。本日は「オーラルヒストリーとは何か」ということについてお話を申し上げたいと思います。

本題に入りますが、オーラル ヒストリーというのは一体何なんだろうかと。実は聞き書きというものが日本でのオーラルヒストリーの先駆として考えられます。

明治時代にすでに聞き書きは存在していました。福沢諭吉の「福翁自伝」、あるいは勝海舟の自伝などは聞き書きを文章化した良い例です。また明治維新後の急速な近代化の後、特定の農村社会やあるいは城下町に即してまとめた座談記録も多数存在します 。

一方、政治や経済という社会科学の分野では語られた言葉を紡いでいくというやり方は、帝国議会に即して進んでまいります。 1890年の帝国議会の創設以降、様々な政治家が登場します。 彼らの生き様、主義主張を記録に残すことが次第に重要になってまいります。

1940 年がちょうど議会制度50年にあたります。皮肉なものですが、この記念すべき年に日本の政治は議会制度を否定するような 軍事一色の政治体制になっていくわけです。その中で衆議院及び貴族院は各々の編纂部局が政治家の体験談を記録し保存したのです。

戦後80年と言いますが、聞き書きの伝統は、戦後はどうなったのでしょうか?戦後 20年、戦後復興が一段落した1960年代から政治家や官僚への聞き書きが東京大学を中心とする2つの研究会によって談話速記録という形で世に出てまいります。復興から高度成長へと向かう節目の 20年を過ぎ、戦前の政治体制にコミットメントした人々が次々に「実は」ということで口を開くようになったからです。

第二次世界大戦という戦争が契機になり、内務官僚あるいは軍人あるいは近衛文麿の側近などがビビッドに当時の様子を物語っています。ただし、この頃は今日とは異なり録音や文字起こしの技術や方法の効率が 極めて悪く、また記録の起こし方も、まちまちで談話速記録の作成に時間がかかる上、使い勝手が極めて良くないという欠点をどうしても拭えませんでした。

同じ時期に政治学、政治史の分野以外の学問領域でも話言葉を きちんと記録して使うという営みがありましたけれども、相互交流には、ほど遠い状態でした。

さて、1990年前後、昭和から平成に変わる時代に、我々の関心は戦前から戦後に移っていました。しかし、ほんの10年前のことを聞くのに苦労しました。戦後は 切れ目なく続いたため日本の官僚は、沈黙は金とばかり自らの過去をあえて語ろうとはしませんでした。

同じ頃アメリカではハーバード大学で、「なぜベトナム戦争を 起こしたのか」という観点から現代のオーラルヒストリー研究が進んでいました。やはり戦争というものが人の口を開かせる契機となったのです。 日本は戦後が積み重なっていくだけです。

しかし好機到来、日本でも1990年代の平成時代になって政権交代が実現し、安定した政治秩序が変容をきたし始めます。官僚たちは自らの存在の証を求めて自分の過去 を振り返るようになりました。さらに戦後50年ということもあって政治家もまた 自ら越し方を語ることに積極的になります。

さて、オーラルヒストリーでは人が口を開き やすい環境作りが大切です。1ヶ月に1回、2時間、それを1年続けます。聞き手は 2人か3人です。年長者と若い人が組む場合、あるいは専門の異なる人など に分かれます。聞き手と話し手との間に適度な緊張感を維持するため、1ヶ月に1 回というのはちょうど良い間合いになります。

またオーラルヒストリーの続行中は、酒食を共にするような場所は可能な限り設けませ ん。親しくなると、なあなあになる恐れがあるからです。今はテープ起こし者が素早く打ち込んで、その結果をすぐ出してまいりますから、話し手は自らの喋りに早く再会し、その書かれたものに手入れをすることになり ます。

その際、「この部分は」ということで削除を求める場合もありますけれども、それは 思ったよりは意外に少ないものです。どうやら人は自らの口から 発せられた言葉がきちんとプリントされているのを見た時、自らの発言に素直になるものなのでしょう。

それらはやがて研究プロジェクトの報告書として製本され研究 者のように供されることになります。人によっては商業出版として世に問うことも 最近では多く見られます。今、述べましたように最近ではIC レコーダーを始めオーラルヒストリーの機材が昔とは比較にならないほど良く なり支障をきたすことが少なくなりました。

1990年代から四半世紀近く、我々は様々な オーラルヒストリーに挑戦してきました。それを官僚組織に即して整理をすると、当事者を通して各省庁のあり方や組織文化が 浮かんでまいります。まず最初に我々が取り組んだのは当時、最も不明瞭であった内閣官房です。最も優れた官房長官、副長官経験者と最も多くの総理に仕えた官房 副長官。この2人のオーラルヒストリーを同時に始められたことが我々にとって幸い でした。一方は慎重に言葉を選びながら、他方は水流が流れるごとく自らの体験を 語っていただき、内閣官房の姿が朧げながら、分かってきたのです。

2人ともそれ をしばらく寝かせておくことなく即自の商業出版を望まれました。その結果、かたや20万部のベストセラー、こなた教科書のように使われるロングセラーとなりました 。政治とは何か、官僚とは何かが具体的事例を持って迫ってくる。このオーラル ヒストリーの良きテキストになりました。今では古典と言っても過言ではありません 。

同時にオーラルヒストリーが社会現象化し、新語辞典に取り上げられたり 、東京大学の入試問題にまで使われるという事態になりました。こうしてオーラルヒストリーという言葉はあっという間に人口に膾炙し、聞き手 話し手ともにその後は大した説明を試みることなく理解者が増大する結果ともなり ました。

この間、我々のプロジェクトでは外務省、内閣法制局及び最高裁判所への歩みを進めていきます。外交官は意外にも多くの方が次から次へとオーラルヒストリーに応じてくださり、今では退職後にオーラルヒストリーを出すことが当たり前のように なってまいりました。例えば外務審議官というポストがありますが、このポストに ついた方が何代かに渡ってオーラルに応じてくださると、そのポストの意義と変遷が 極めて明確に伝わってまいります。組織は生きているんだなという実感を持つのは まさにこのような出会いのある時です。

内閣官房でも内閣法制局でも場の再現が重要です。会議や打ち合わせの時にどのような部屋でどのような座り方で行うのか。話し手にとっては当たり前のことですが、聞き手は根掘り葉掘りそれを立体化していきます 。小さな部屋を想定していたのが、実は出入り自由の大部屋だと分かった時は、決定のあり方が全く異なることが判明し、改めてオーラルヒストリーの意味を再確認しました。

最高裁判所における最高裁判事の1日の動線のあり方、どういう風にその建物の中を歩いていったかというそのあり方も実は我々にとって重要な発見でありました。

こうして官僚組織を生き抜いた方のオーラルヒストリーを重ねていくと 話し手の喋り方の中に各組織に特有のものがあると気づかされます。公文書の整理の仕方などもオーラルを通して見てくると組織ごとの特色というものが浮かんでまり ます。つまりオーラルヒストリーの体験が官庁文学と言われる各組織特有の文書作成の あり方を読み解く重要なキーになるわけです。

さらに言えば明治大正期にある文書の中で、どうしても理解できなかった箇所という ものが現代のオーラルヒストリーの応酬の中で、それこそ時空を超えて理解できる瞬間 に出会った時、やった感というものは半端なものではありません。

テーマごとのオーラルヒストリーも試みました。それは国鉄民営化であり、道路公団の民営化でありました。まだ生々しい素材で あり、結果も判然とはしない、やや危ない事例でしたけれども、それぞれの組織の立役者と直談判をしてオーラルヒストリーに臨みました。ある意味でそれは勝者、勝ち組の オーラルヒストリーに他ならないわけですが、どちらも検証可能性のある形で 一般向けに出版いたしました。今読んでも緊迫感が伝わってまいります。

河川協会ここを中心、ここを主体として土木の オーラルヒストリーを現場の技官、これを中心に行ったこともあります。 技官は事務官とはまた異なる組織文化の中で育まれていました。ただし回を重ねるに つれて事務官よりは胸襟を開く度合が高かったように思います。

もう1つ日本銀行に触れておきましょう。バブル経済の解明のためにオーラル ヒストリーを行いたいという申し出がありました。最も秘密を守り抜くとされた日本 銀行が、どのような形で口を開くかに興味がありました。日本銀行としては今後の政策 の作成と決定に資する資料収集の一環としてオーラルヒストリーを行うという 位置づけになりました。

日本銀行内部の方だけを聞き取りするのではなく、必ず1人は 部外者を入れるという方針にしました。なあなあを防ぐこと、内部で聞かずじまいになると、こういう事項をなくすようにすることが大事だったからです。

ここではまた官庁組織とは異なる日本銀行気質のようなものを知ることができて有意義でありました。入行した方のライフヒストリーを比較すると、やがてそれが国内派あるいは また国際派に分かれていくその様子を十分に伺うことができたからです。

オーラルヒストリーを行っていくうちにオーラルヒストリー相互の対比列伝の試みが可能となります。私が試みた同時代を生き抜いた2人の元総理への オーラルヒストリーを用いて比較分析をすることができました。 頭の切れの良さでは政界ナンバーワンの総理と面倒見の良さでは右に出るものがいない総理との戦後政界での出会いは互いに互いを全く理解できないというところから 出発します。会っても会話が交わせないという微妙な心理的葛藤の末に2人が ようやく相互了解の域に達するのは2人共に不本意 ながら総理を退いた後のことでした。

当時、なお長老として存在した2人は、そこはかとなく相互協力が可能となり、政治という世界で、その老いて分かる人間関係の面白さを 十分に味わせてくれました。それこそがオーラル対比列伝の醍醐味であるかと思い ます。

こうしてオーラルヒストリーの世界は、この四半世紀で多様性を帯びて まいりました。そして文書資料とは異なった趣きの方法 と資料のあり方を豊富にしたと言えます。数が多くなればいわゆるクロスチェック、相互にそれを比べること。これが可能になり言いっぱなしの放談扱いはされなく なっていきます。それでもなお文書の資料に迫れるような検証可能性を高める自己努力がオーラルヒストリーの関係者には今後とも求められ続けることでありましょう。

最近、オーラルヒストリーの作品としての成熟度の高まりを感じることがありました。政治にも関与した2人の知識人で1人は経営者にして文化人、1人は劇作家にして文化人という、この2人のオーラルヒストリーを15年ほど担当してきました 。2人とも文化人らしく時に張り切り、時に逡巡し、成果物への道は当初よりはかに難行しました。何度、絶望の淵に立たされたことか知れません。しかし2人とも 長きオーラル人生にようやくピリオドを打ち、自らの生き様を知らしめた成熟度の 高い作品として数年前に商業出版されました。その時、嬉しかったことは多くの新聞、雑誌にオーラルヒストリーならではの作品として、またオーラルヒストリーだからこそ 残せた作品として批評されたことでした。単なる歴史資料の方法を変えたものとして オーラルヒストリーが評価を得たことでありました。

オーラルヒストリーは今や政治史学の1つの方法から、その領域も他の学問分野との 比較考察が可能になり、また対象となる人物も広がりを見せるようになりました。 我々はこれからも一歩一歩オーラルヒストリー研究の歩みを進めたいと思って います。 以上です。

御厨氏は皇位継承について男女平等が世界の潮流としており、
これは皇室の御意向と同じものと思われます。

―森喜朗元首相の女性蔑視発言でジェンダー平等への関心が高まった。
「天皇家には何千年と続く伝統があり、現代の男女平等の価値観とは切り離すべきだという意見があるのは当然だ。だが世界の潮流はそのような段階ではない。森氏の発言もあって男女同権の意識はフェーズが変わり、天皇陛下だけは別だという議論を立てられる時期は過ぎた。皇室は国民から無視されれば存在できない。軽薄という意見があるのも分かるが、国民の支持を得続けるためには、世界の潮流に乗っていかざるを得ない」
皇位継承 東大名誉教授・御厨貴氏 男女平等が世界の潮流 2021/4/3【山陰中央新報】

さらに御厨氏は、安倍政権に女性宮家創設に着手するよう求めていました。
女性宮家創設、安倍政権で着手を【毎日新聞】2017年4月23日

天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」座長代理として
女性宮家の創設を求めていた御厨氏がご進講に招聘されたことそのものが、
やはり皇室の御意向を表しているように感じます。

令和の有識者会議において、憲法違反であると疑義を唱えた憲法学者が複数人いたにも関わらず、養子案が報告書に盛り込まれてしまったのは、まさに、内閣官房や内閣法制局が恣意的にヒアリングの意見を取捨選択した官庁文学と言われる各組織特有の文書作成によるもの。

官僚たちは自らの存在の証を求めて自分の過去 を振り返るとき、何ら恥じることがないように、安定的皇位継承について、あらゆる手段を講じて欲しいと思います。

「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ

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