
久しぶりの「ふしぎ発見」(3/14:TBS)はエジプト特集で、岡田准一がミステリーハンターを勤めていました。日本とエジプトとの合同調査隊がカイロの南サッカラで第2王朝や第18王朝の王墓を発見しており、番組で紹介され岡田が発掘に立ち会ったのは3300年前(第18王朝)の未盗掘の王墓でした。被葬者は小ぶりの黄金マスクを着けた30代の女性王族と推定されました。これはツタンカーメン王墓以来の発見かもしれません。
さて、筆者は以前「~ファラオにも呪われろ!」でネフェルティティ(アメンホテプ4世=アクエンアテンの后)を採り上げ、アクエンアテンの独裁的改悪が王朝を衰微させ、ネフェルティティの復古的改革が王朝を建て直した件について書きました。アクエンアテン(10代王)とキヤとの間に生まれた子が「悲劇の少年王」ツタンカーメン(12代)であり、アクエンアテンとネフェルティティとの間に生まれた子が王妃アンケセナーメンですが、王族の異母姉弟婚は古今東西よくあることです。そして中継ぎの11代王はスメンクカーラー(アクエンアテンの王弟)だとされ、実権を握って改革を主導したのは王太后ネフェルティティだと思われます。また一般にアクエンアテンの暴政から立て直したのはツタンカーメンだとされますが、少年王には無理だと思われ、義母ネフェルティティの業績と考えるのが妥当です。ツタンカーメン王が19才で亡くなると宰相アイ(非王族)が未亡人アンケセナーメン(王族)に言い寄り、後にアイが第13代王に収まりますが、彼は王族ではないから「易姓革命」が起こったことになります。アクエンアテンの因果(悪政)が子に祟ったわけです。
ところで、第18王朝の王都ルクソールにあるルクソール神殿にはラムセス2世(第19王朝の3代王)の像が多く建っており、それは巨大な王の足元に極小の王妃像が添えられるという男尊女卑そのものの意匠ですが、一方ツタンカーメンとアンケセナーメンは同じ大きさの像が並び立ち、ツタンカーメンの肩にはアンケセナーメンの手が添えられています。マッチョなラムセス2世を神武天皇(男系固執派が崇める)に例えるなら、ツタンカーメン&アンケセナーメンは戦後の天皇皇后両陛下、特に沖縄の「ひめゆりの塔」付近で火炎瓶テロから皇太子殿下(当時)を美智子様が庇おうとされた件を髣髴とさせます。でも狂った男系固執派はラムセス2世を求めるのでしょう。
文責:京都のS
3 件のコメント
京都のS
2026年3月19日
これまでに「ふしぎ発見!」を題材に書いたものは以下の2つです。
・「イースター島民(東の果ての親戚)からの教え」( https://aiko-sama.com/archives/29840 )
・「カザフ騎馬遊牧民(西の果ての親戚)からの教え」( https://aiko-sama.com/archives/31465 )
京都のS
2026年3月18日
岡田准一の「推しファラオ」がラムセス2世だったのは残念でした。マッチョな役(武士・軍人…)を演じることの多い岡田なら致し方ござらんとも思いましたが(笑)。
京都のS
2026年3月17日
本論の構造を戦後の皇室周辺に当て嵌めて分析すると、アンケセナーメンは女性皇族、宰相アイは旧宮家系国民男子、ラムセス2世を崇めるマッチョは男系固執派、でも常識的な庶民はツタンカーメン&アンケセナーメンを推してきたという構図ですね。