
9月17日の「知恵泉」が岩倉具視を採り上げました。出世の望めない下級貴族でしたが、議論では論敵を徹底論破する人物でした。やがて関白・鷹司政通の引き立てで近習に抜擢されました(1857)。当時は異国船が近海に出没し、岩倉は幕府追従を批判しましたが、多くの公家は他人事でした。幕府は欧米列強国との和親条約から通商条約に進もうと画策し、攘夷派を抑えるために勅許(天皇の許可)を得ようとしました。岩倉は貿易が始まると供給過小(インフレ)で民が困窮するとして反対しますが、朝幕関係悪化を恐れる関白・九条尚忠は容認の意向でした。この時、岩倉は中下級貴族88人と共に関白邸に押し掛けて貴族世間の空気を変え、また攘夷派だった孝明帝も反対したため、幕府は勅許の無いまま不平等条約を締結しました。
この件で非尊皇のイメージが付いた幕府は皇女・和宮の降嫁(14代将軍・家茂との婚姻)を画策し、妹を慮る孝明帝は反対しましたが、岩倉は帝を説得して降嫁を認めさせました。当時の朝廷は既に反幕府と攘夷に傾いており、孤立した岩倉は追放されました(1862)。隠棲中の岩倉を大久保利通が何度も訪ねて密談し、やがて岩倉も倒幕に舵を切りました。15代・慶喜は倒幕の大義を失わせるべく大政奉還(1867.10)しますが、小御所会議(1867.12)で岩倉が「慶喜は官位と領地を返せ」と迫り、やがて倒幕派の挑発から戊辰戦争(1868~)が勃発し、岩倉の捏造した「錦の御旗」が幕府を朝敵に追いやり、内戦は広域化・長期化しました(※「令和の極左~」「暗いパトス~」「大河2~」「仕掛人~」「バカチン~」参照)。
さて、岩倉は明治帝(17歳)の行幸によって民に新時代をアピールし、同時に無位無官の下級武士(大久保利通・木戸孝允・後藤象二郎…)とも対面させました。つまり天皇の政治利用です。また番組は、岩倉使節団(1871)が不平等条約の改正を目的としていた件を隠し、欧米視察から帰った岩倉が鉄道敷設に情熱を傾けたことにのみ焦点を当て、天皇は鉄道で行幸しただの岩倉鉄道学校だのをアピールしました。
西郷隆盛や留守政府には全く触れず、西郷を除いた明治の元勲を持ち上げた番組の意図は一つでしょう。大久保と岩倉の思い通りに進んだ明治期の礼賛であり、明治回帰を熱望する現政権への阿りです。大久保の玄孫と明治帝の女系の玄孫(岩倉具視とも遠縁)が望む先は、男尊女卑の象徴としての皇統男系主義の永続です。
文責:京都のS
1 件のコメント
京都のS
2026年9月19日
ふぇい様、掲載ありがとうございました。NHK歴史番組の「弾劾ス」シリーズです。やはり幕末期~明治期は岩倉と大久保が最も悪いと再認識できます。