石破茂 列伝④

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3/13(日)のゴー宣道場に登壇される石破茂氏の半生を紹介するシリーズ(全5回)、今回は石破氏がいよいよ政治家の道を歩み始めます。

三井銀行の銀行マンとして、悩みながらも充実した社会人生活をおくっていた石破氏でしたが、転機が訪れます。
(第3回はコチラ https://aiko-sama.com/archives/10338

■父の死

昭和55年(1980)、鈴木善幸内閣で自治大臣、国家公安委員長に就任していた父・二朗が病に倒れます。
かなり進行したすい臓がんでした。
12月に手術を受けましたが、手遅れな状態で、翌年9月に享年73歳で亡くなりました。
石破茂氏、24歳の時のことです。
「覚悟はしていたものの、やはり父の死は堪えた」と石破氏は語っています。
しかし、人生とは不思議なもので、父との別れが新たな結びつきを生むことになります。

大学卒業時にフラれていた彼女から弔電が届いたことで、関係が復活したのです。
後に結婚することになる、佳子夫人です。
同級生の父親が亡くなったことに対する心遣いだったようですが、石破氏はすぐに「弔電ありがとう」と電話し、それから連絡を取り合うようになったのです。

父・二朗は亡くなる間際、盟友田中角栄に「最後の頼みだ、俺の葬儀委員長をやってくれ」と頼んでいました。
田中角栄氏は、鳥取での県民葬を優先させるという筋を通した後、東京で葬儀委員長として盛大な葬儀を執り行いました。
葬儀で涙ながらに弔辞を読んだ田中角栄氏は、そのお礼に訪れた石破氏に、父の跡を継いで政治家になることを強く勧めます。
もともと政治家になる気は全くなかった石破氏でしたが、悩んだ挙句、昭和58年(1983)に三井銀行を退職し、ひとまず田中角栄氏の事務局に勤務することになりました。
ちなみに、田中角栄氏からはお見合いを猛烈に勧められましたが、意中の人がいることを伝え、キッパリ断りました。

その年の秋、石破茂、佳子の2人はついに結婚します。
佳子夫人は石破氏の突然の退職の決断と、自分が政治家の妻になることに対し随分思い悩んだようです。
父親に正直に悩みを打ち明けたところ「キミは職業を選ぶのか? 相手を選ぶのか?」と言われ、その言葉に納得し、政治家の妻になる覚悟ができたのだそうです。

■政治家として

出馬の準備を進める石破氏、そして同じく2世議員の小沢一郎氏、羽田孜氏に田中角栄氏はこう言いました。
「おまえたち、知ってるか?若くして自民党の国会対策委員長になった梶山静六、東北のケネディと言われる渡部恒三、あいつらはエライぞ。あいつらから見れば、おまえらなんか単におやじが国会議員だっただけじゃないか。」
そう言われて悔しかったら、いますぐ鳥取に帰って5万件挨拶回りしてこい。地元の人たちに寄り添い、彼らの声に耳を傾けてこい、という田中角栄氏の激励をしっかりと受け止めた石破氏は、地元鳥取で選挙の準備を始めます。

昭和61年(1986)、第38回衆議院議員選挙に自民党公認候補として鳥取全県区から出馬し、初当選します。
29歳。中選挙区制で得票数は最下位ながら、当時全国最年少の国会議員でした。
その時の石破氏の公約は「鳥取県のために働きたい」の一点張りで、まだまだ日本全体あるいは世界の中の日本の在り方についての視点は明確になっていなかったと述懐しています。
「いまから思うと、ほんとうに申し訳ないというか赤面の至りというか。そんな公約だけで国会議員になって良かったのかという気がします。」(石破氏)

ついに石破茂氏は政治家の道を歩み始めることになったのです。

(次回:最終回 政治家石破茂、尊皇議員石破茂 に続きます)

【参考文献】
『石破茂の「頭の中」』鈴木哲夫 著
石破茂オフィシャルブログ

文責:千葉県 まー

6 件のコメント

    ma-

    2022年2月26日

    コメントいただきありがとうございます。
    urikaniさん
    石破茂氏は「結婚まで紆余曲折あった」と表現されています(^。^)

    基礎医学研究者さん
    石破氏は個人のキャラでなく政策で勝負!という点から小選挙区制を推していました。
    さすがに候補者も国民もここまで堕落するとは想定してなかったのでしょう。

    ダダさん
    父親としてこう言えるのは凄いですよね!

    チコリさん
    人間的な魅力が、すごく封殺されている世の中だなと思います。
    まずは我が身を省みる姿勢、素晴らしいです!

    青ネギさん
    そのエピソードも面白いのですが、紙幅(?)の都合上、泣く泣くカットしました。
    角栄氏「なにい!丸紅とは何事だ!ワシにうらみでもあるのか!」
    石破氏「いえ、しかし彼女のご両親は新潟出身です」
    角栄氏「おお、そうか、ならいい」

    青ネギ

    2022年2月26日

    田中角栄元首相の薫陶を直に受けた数少ない現役政治家なので、石破さんには大いに期待しております。
    石破派の人数が減って、派閥ではなくグループになるなど今は苦しい立場かと思われますが、「雌伏」の時期だと思います。反転攻勢に期待します。

    …余談ですが、佳子夫人は結婚前は『丸紅』にお勤めされていたそうで、それを聞いた角さんが、ロッキード事件の事もあって仰天したものの二人を祝福したという逸話があり、角さんの器の大きさがうかがえます。

    チコリ

    2022年2月26日

    石破議員の背景を知ると、ぐぐっと親しみが湧いてきますね。
    政治に無知な私は、石破さんを政治家になる決意させた、田中角栄という人についても知りたくなりました。

    最初は「鳥取県のために働きたい」とスタートしたという事ですが、もちろんそれなら、まず市議会、県議会議員だろう、と突っ込まれるでしょうけど、
    政治家になるつもりがなかった人が世のため人のためと思えば、まずみじかな地元を良くしよう、と思うでしょう。正直な方なのかな、と思いました。
    読んでいると、政治にも政治家にも、実は何も期待していない自分に気がつきます。国民がこんな事だから、日本の政治、政治家が劣化するんだな、と改めて実感しています。
    まず自分、と思いました。

    ダダ

    2022年2月26日

    石破さんは佳子夫人のことを、ずっと好きだったのでしょうね^^
    しかし、佳子婦人のお父様も凄いです!
    私なら娘の結婚相手の職業を気にしちゃいます・・・(;^_^A

    基礎医学研究者

    2022年2月25日

    今回も楽しく読ませていただきました。関心を惹きましたのは、2点。まず、父親の死から結果的に政治家を目指すことになったとはいえ、やはり4年間の銀行員としての社会経験は、石破議員にとっては重要だったのだろうと思う事。2点目は、政治家への転身の際に、田中角栄という歴史を作った政治家の薫陶を受けたのは、大きかったのだろうということ。そして、もう1つ思うことは、やはり中選挙区制をきちんと勝ち抜いたということは、議員個人の政治家としての器量があったのだろうと思う次第です(これは、ノスタルジーでいうのではありません。現行の小選挙区制下であきらかに小粒になった政治家を見ていると、問題はいろいろあるとは思うのですが、やはり中選挙区制の方が、地力のある政治家を選出するのに適しているのでは?と思う次第です)。

    urikani

    2022年2月25日

    出たーっ!田中角栄!
    石破さん佳子夫人と結婚出来て良かったですね
    (*^_^*)
    いよいよ政治家としての道を歩み始めるのですね。
    「鳥取県のために働きたい」から「“尊皇派”“国会議員”」へ、どう変わっていくのか?
    明日で終わるのは寂しいですが(´;ω;`)
    続きが楽しみです♪

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