(前半より続く)
「書経」牧誓篇には、「牝鶏の晨」についてこう書いてあります。
王曰、古人有言曰、牝無晨。牝鶏之晨、惟家之索。
(意訳)王(周の武王)は言った。
「昔の人はよく言ったものだ。
めんどりが(雄鶏より先に)朝を告げる(朝に鳴く)ことがあるものか。
もし雌鶏が先に朝を告げるようなことがあれば、これは家にとっての「索」だ。」
古代シナには、「周」という王朝がありました。
あの「キングダム」で有名な「秦」王朝は、「周」を滅ぼしてシナを統一した王朝です。
「周」は「秦」よりずっと古くに建国した王朝です。
「周の武王(ぶおう)」は、「周」の初代の王、王朝の建国者です。
彼は前王朝の「殷(いん)の紂王」を倒して、殷王朝を滅ぼし、周王朝をひらきました。
紂王は傍に仕えていた妲己(だっき)という女性のおかげで政治を乱したから、武王が紂王に代わって政権を獲るのだ、ということが書かれています。
いや、その理屈はおかしいやろ。
と思わずツッコミを入れたくなります。
ところで、文中の「索」という言葉についてですが、
これは「尽きる」という意味があり、
「惟家之索」は、「家運が尽きる」という意味と捉え、
それ故に、女性が家(国家)を滅ぼすというふうに従来解釈されてきました。
私は、「索」→「尽きる」説には、疑問があると思いました。
次回は、その疑問を述べていきたいと思います。
(Twitterより)文責 関西在住 地球田
2 件のコメント
l_k
2020年6月9日
地球田様
ご投稿いただきありがとうございます。
『封神演義』が好きなので、武王、紂王、妲己と聞くと食いついてしまいます(笑)
美女にたぶらかされてしまったがために国を傾けてしまったというのなら、「男などに権力を握らせてはならない」という方向に向かいそうなものなのに、そうならないのは「権力は男が握るもの」という感覚が空気と同じくらい自然なものだったからでしょうね。
まさに男尊女卑そのものです。
次回も楽しみにしております。
ふぇい
2020年6月9日
恥ずかしながら、
牝鶏の晨の原文
初めて見ました(^^;;
索が「尽きる」説の疑問
次が気になります☆