3/23発売の週刊新潮(3月30日号)のありえない記事に対して、ゴロンさんから意見投稿を行ったと報告がありましたのでその内容をご紹介します。
週刊新潮様
表紙の記事紹介のタイトルだけでも不敬極まりないことが解らないのでしょうか。前回の旧宮家の子孫の方との妄想話に続いて、今度は「女性自身」の妄想話の焼き直し。どれだけ妄想好きなのでしょう。 皇室のことであれば、何を書いても反論されないので構わないと思っているのでしょうが、これでは、下世話な興味を煽るだけです。皇室に関する記事は、国民に皇室に対する崇敬心を生じさせるものであるべきです。
今回も八木秀次氏の持ち込み企画なのでしょうか。何が『小室さんと眞子さんの結婚の余波があるのだ、と先の皇室ジャーナリストは指摘する。一連の騒動で皇室が被ったダメージを考えると「宮内庁はじめ周囲が神経を尖らせるのは当然」と言うのだ。』ですか。その匿名ジャーナリストも八木氏自身ではないですか。小室夫妻の件で皇室にダメージを与えたとすれば、あなた方マスコミです。盗人猛々しいとはこのことです。
皇室には、門地による差別の意識はないのです。だから眞子さまは小室氏を選んだのでしょう。それを、「門地による差別」が大好きなあなた方が、大衆を巻き込み、旧皇族の子孫だの旧華族の子孫だの、国民の中に特別な階級があるかのように仕立てようとしているのは差別主義を増長させるだけで許せることではありません。
最近、安定的な皇位継承の議論の話が岸田首相から発信されたことから、男系男子固執派が、憲法第14条の「門地による差別」にあたる「旧宮家の子孫の養子による皇籍取得(初めから国民なので「復帰」ではありません)」の抜け道を作り出そうと躍起になっているようです。今回の記事もその一環のように思えます。
ありえない話ですが、万が一、門地による差別を無視して、「旧宮家の子孫の方は血筋が良いから、皇籍取得されました」などということにでもなったら、皇室が部落差別などの「差別の元凶」として国民に認識されることになります。それこそ八木秀次氏の目的じゃないでしょうか。ご存じと思いますが、彼は、反日・反天皇カルト集団の統一協会(宗教とは考えられないのでこのように称します)と関係が深い者です。そうすると、彼の目的は、天皇・皇室の権威の失墜ではないかと考えられます。あなた方はそれを解って、このような記事を仕立てているのでしょうか。
2020年9月16日のダイヤモンドオンラインの記事で、元週刊文春編集長の方が、週刊新潮の編集長とのトークイベントでの話として、週刊新潮の編集長の方は「週刊新潮は読者に迎合しない雑誌なので、(読者の投稿など)読まないことにしている」と言っていたとされ、週刊新潮は「見識」を示すメディアなのだとされていました。
そうであれば、今回の意見投稿も読まれないかと思いますが、言わせてもらいます。 今回の記事であなた方は「見識」を示していると自信を持って言えるのですか。 これから安定的な皇位継承について、国会でオープンな議論が始まれば、「旧宮家の養子案」が憲法違反であることが間違いなく明らかにされます。その上で、天皇を戴き続ける国であるためには、早々に令和3年の報告書に見切りをつけ、平成17年の報告書を復活させて、それをベースに議論を進め、皇室典範改正により、女系天皇への道を開くべきなのです。 愛子皇太子が誕生することになれば、様々な要因で閉塞した日本に、爆発的に明るい光が灯ることになると思います。 そのような「見識」を記事にしてほしいものです。
2 件のコメント
くろひょう
2023年3月26日
養子案への抵抗を少なくしたいのかもしれません。
小室さんの時と同じやり方のように見えます。
ただ淡々と紳士的に、これしかないのだと訴え続けるしかないと思います。
継続的に行われてきた世論調査の結果も踏まえて。
各政党のHPに意見を出し続けるのも一つの手段かもしれません。
ある天皇から見れば男系だけれども、別の天皇から見れば女系である、という天皇は割と多くおられます。
例えば顕宗天皇から見れば欽明天皇から先の全ての天皇は女系ではないかなと思います。
そういったことも同時に訴えていけばいいと思います。
蜷川新右衛門
2023年3月26日
インドのカースト制度と日本の部落差別の違いは、
前者は廃止運動があるとはいえ現在も合法化された制度であるのに対して、
部落民というのは法律的には存在しない民衆ということにされてる事。
存在してない筈だが差別と偏見の実態は現存している。
朝鮮寺は今も廃墟のまま。
旧皇族も憲法上はただの民間人であるはずなのに、
旧宮家と皇族は菊栄親睦会という特別な親睦団体を設立して、
宮内庁からの下賜金や優遇で直近では赤坂御用地で親睦会が開催されている。
あんな所でただの民間人が皇族招いて茶会なんて出来るかよ?
マスコミは現存する日本型カースト制度を肯定しているかもしれないが、
彼らは身分格差の「主催者」ではない。