(編集者より)
(バイアスかけないで言いますが)今回、私見では本連載の中では、まあまあ“まとも”です(・_・?)。まるで、鬼の霍乱(かくらん)のような!サトルさんはどうでしょうね?では、どうぞ<(_ _)>
次は……と。
「何十年も先の話を今から必要とする皇室」
……うん。「ここだけ」見るとマトモだが……まぁ倉山の言うことだからな……。
P167
「皇族が一人もいなくなってしまうかもしれない危機にどう対応するか。」
うん、ここもマトモ。やれば出来るじゃない。
(まだ1行だけど……)
「江戸時代中期の政治家に新井白石……略……(新井白石は)宮家の創設を提言しました。当時、伏見宮、桂宮、有栖川宮の三宮家がありましたが、皇統の維持に危惧を覚えたわけです。新井白石の提言に添って、…………略……閑院宮家の創設が決定されました。……」
実に興味深いね。
「側室制度があった時代に……」だよね?
ふむふむ。
「側室制度があった江戸時代に……」って書かないと、誤読しちゃうよ。
「……新井白石の危惧は六十年ほど後に現実のものとなります。第百十五代桜町天皇以降と第百十六代桃園天皇が病弱であられ、子供もなかなかお生まれに……」
うん。実に興味深い。
「側室制度」もあり、また「男性が病弱であったがため」、子供もなかなかお生まれにならなかった……と。
「……これでは皇室の直系が絶えてしまうかもしれない。どうすべきか、という議論が起きます。結果、閑院宮家に聡明な皇子がおられたので……」
実に興味深い。
「これでは、皇室の直系が絶えてしまうかもしれない」ので「議論」が起き、(閑院宮家に)「聡明な」皇子が「おられたので」……。
「直系」「聡明」が価値基準にはあった……ってことだね。(君たちの言う)
中継ぎにも必要……ってことだよね?
P168
「こうした努力が二千六百年続けられてきたから、皇統は保守されてきたのです。」
あらあら大変。二千六百年続けられたの?
まあ大変。倉山さんは「タイムトラベラー」だったの?
倉山さんみたいな方の「私の書斎」かなんかを拝見したいもんですなぁ。さぞや……。
つづく。
4 件のコメント
サトル
2023年4月24日
皆さま コメントありがとうございます。
私、この「新井白石」の項に関しては、強い興味があります。
徳川の時代において朱子学が、日本独自のかたちで、深まるわけですが、時代の要請の部分もあったのではないか……という「視点」です。
結果として「儒教」の中にある「宗教的」側面が解体されてもいる。
また、倉山の「思想的側面」は「時代の価値観」がすっぽり抜けており、前提すら無視する。
これは、本人が気づいてるかどうか知りませんが(なにせ、バカなんで)、いわゆる「左翼的設計主義」と同類だなと思っています。
ここで、新井白石の功績?を考えるのであれば、「時代背景、制限」を考えなければ、歴史には学べないですし、それこそ「先例に学ぶ」ことすら、出来ないかと。
私的考えでは、これは、「裁判的民主主義」の理解にも程遠い……かと。
さまざまな意味合いにおいて、「保守」とは断じて言えないかと思います。
ただ、新井白石は「正しく」問題に気づいていると共に、「限界」も「露呈」していた……と捉えるのが、「歴史」「先例に学ぶ」態度であるとおもいます。
ただし
2023年4月23日
今回も、お疲れさまでした。
m(_ _)m
「安定的な皇位継承」のために、あれやこれやと手を打って来たと普通に捉えれば、全て合点のいく話なのに、「男系」のためなんてデタラメと結び付けようとするから、論理もヘッタクレもなくなるのですよね(汗)。
京都の(サタンのSじゃねーし)
2023年4月22日
男系絶対朱子学者の新井白石も危惧していた皇統の危機を一切合財ガン無視できる厚顔無恥男が、ストロング憲政こと倉山なんですね~。そして「男系>直系&聡明」という公式が堅持ってわけですね~。
基礎医学研究者
2023年4月22日
(編集者からの割り込みコメント)正直、ちょっと拍子抜けしましたがΣ(˙༥˙ノ)ノ、この文脈は、側室制度が必要だったこと、宮家の創設は急務だったこと、中継ぎも重要であったことなど、「皇位の安定継承継承ということがまずあって~」という目的を、正しく踏まえていると思います。なので、この箇所は読む価値あり!としておきましょう(わたしたちの基本姿勢は是々非々だから、です)。