【連載】倉山満の新著「決定版 皇室論」を斬る! (その44(特別編))

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(編集者より)
前回サトルさんより、この特別編掲載にあたっての丁寧な返信コメントをいただきました。キーワードは、「応える」と「答える」の根本的差異であります。では、どうぞ<(_ _)>

「平成二十八年八月八日玉音放送 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」

倉山
『本文では、「ビデオメッセージ」と書いたが、天皇陛下が自らの声を放送に載せ重大事を国民に訴えられたのであるから、本来ならば「玉音放送」と呼ぶべきである。』
「また宮内庁ホームページの件名より文書名を付した。」
『そして以下の原文に基づいて、……』
『高齢でも国民との絆の為に尽くす気であるけれども、どのようなあり方がよいかを皆で考えて欲しい』と要約した。

戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。

伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室がいかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになったことから、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。

既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。

私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切に考えて来ました。

天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。

皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、

『天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。』

天皇の高齢化にともなう対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。

また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。

しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。

更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2か月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。

その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

『始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。』

『国民の理解を得られることを、切に願っています。』

倉山よ……。もう「国語力」の問題ではないぞ?

お前も「わかっている」ハズだ。

最後に、丁寧に「陛下御自身がまとめられている。」

以上で「第三章」おわり。

「それでもなお」、倉山は「第四章」から「おわりに」まで、更に……。
つづく。

4 件のコメント

    サトル

    2023年5月11日

    双系派にとって……いえ普通に、倉山の「要約」は不自然極まりない。
    理由は簡単。
    「触れられたくない点」があり、そこをバッサリ切ってしまったが故に、
    こんな「2、3行ポッチ」の要約にならざるを得ず、また得意の「マウント解説」「博識自慢」すら繰り出せない。

    それは「自滅」を招くから。
    実にわかりやすい……と思う次第です。

    サトル

    2023年5月11日

    基礎医さん
    京都のSさん
    コメントありがとうございます。

    おっしゃるとうりかと思います。双系派は「応えるための」答え。
    ダンケー派は「応えられない」答え。
    そして、ダンケー派の答えは「自説の答え」に終始する。

    もっと言えば「陛下にマウント」するかのような「答え」……。

    「応え」にならない「答え」は、全く「意味がない」と思います。
    有象無象が出てきて、公論戦士に論破されてますが、「陛下のおことば」に、ほぼ全て「答え、応え」はある!と思っております。
    既に陛下御自身が「おことば」に込められている……と。

    基礎医学研究者

    2023年5月11日

    (編集者からの割り込みコメント)う~む。心して読ませていただきました。で、自分は上皇様のこの原文を見て、倉山の要約と称する「『高齢でも国民との絆の為に尽くす気であるけれども、どのようなあり方がよいかを皆で考えて欲しい』とは読めないですね(玉音放送という文言を使いたくなる気分は、多少はわかりますが)。むしろ、この原文から伝わってくることは、「皇室の弥栄」を考えるために、「天皇の(公的な)行為をどう考えるか?」および「皇位をどう安定継承していくのか」ということを、国民とともに考えていきたい!ということかと思います。で、私には「応える」にはその言葉の中に能動的な意味が、「答える」にはやや受動的な意味があると理解しておりますが、天皇陛下の原文には、国民に目先のことではなく未来も見据えた「応え」をしているように、感じた次第でございます。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2023年5月11日

     サトル様、特別編をありがとうございます。お疲れ様です。
      (出張論破)
    屑山マン@ゲロ嘔吐スタイル「本文では『ビデオメッセージ』と書いたが、天皇陛下が自らの声を放送に載せ重大事を国民に訴えられたのであるから、本来ならば『玉音放送』と呼ぶべきである」
    尊皇派「枝葉末節に拘って自分が尊皇家である見せかけているが、貴様のやってることは、『象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ』ておられる陛下の大御心を踏みにじっていることを自覚しろ!!」
    屑山マン@ゲロ嘔吐スタイル「『高齢でも国民との絆の為に尽くす気であるけれども、どのようなあり方がよいかを皆で考えて欲しい』と要約した」
    尊皇派「雑な上に都合よく手前勝手な訳し方してんじゃねーわ!『<政治に関する権能を有しない>と決まってるからハッキリとは言えないけど象徴天皇の務め(皇位)が安定的に続くようにしてほしい』というのが大御心に決まってるだろ!」

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