本来は“国体護持”だったはずの「神道政治連盟」の成立時代背景について

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サイト運営、いつも本当にご苦労様です(※激励、ありがとうございます(^_^))。「日々是皇室」には初投稿になりますが、よろしくお願い致します。

今回は、日本会議と並ぶ国産の男系カルトとしてお馴染みになった神道政治連盟(神政連)について、創設された時代背景を探ってみました。

朝日新聞の藤生(ふじう)明記者の『徹底検証 神社本庁』によれば、神政連創設のきっかけは1966年の「建国記念の日(旧紀元節)」の制定だそうです。

これを契機に保守層の間では、紀元節と同様にGHQに奪われた伝統を取り戻そうという気運が高まり、同時に1968年に明治百年を迎えることと相まって、伝統の始まりは明治(成熟したのは昭和の戦争中?)という明治原理主義が形成されていったようです。安倍晋三がよく叫んでいた「日本を取り戻す!」というスローガンの原点はこの時代にありました。

この60年代後半は佐藤栄作の首相時代(1964~72)に当たり、70年安保闘争に向けて左翼系の学生運動が過激化した時代でもありました。

その中で反共を掲げて共闘していたのが統一協会系の原理研や生長の家の学生達で、1968年には国際勝共(しょうきょう)連合が設立され(空気散弾銃まで輸入)、1970年には生長の家の学生OBらが、後に日本会議の中核団体となる日本青年協議会(日青協)を結成しました(三島由紀夫の割腹事件も同年)。

神社本庁でも国政への足掛かりが必要として、1969年に神政連が設立されました。

一見して物騒な時代かと思いきや、戦後の高度経済成長が最高潮に達し“いざなぎ景気”と呼ばれ、GNPが世界第2位となり、家庭にカラーテレビやクーラー、自家用車が普及。1970年には大阪万博が開催、一億総中流と云われ、国民は豊かさを享受しながら未来を夢見ていました。

この当時、占領政策や共産主義から国体を守ろうとした神社本庁や生長の家の活動には、確かに正しい面がありました。

ただ神政連の発足から半世紀以上が過ぎ、明治主義が利権化・カルト化してしまっています。反共団体としての役割も終え、神政連は存在意義を失っているように思えます。

神社本庁の内部は、昨年から分裂状態が続いています。正常化する際には、統一協会の関係者が出入りする日本会議とは距離を置き(多分無理でしょうが)、時代の変化に則した体制に生まれ変わることを願っています。

文責 愛知県 昭和43号

*最後に、神社本庁の設立経緯を流れ図にまとめてみました(※本編だけでも理解は可能なのですが、昭和43号さんご本人による力作なので、より深く知りたい方は、どうぞ<(_ _)>)。


註は必要最小限にしたつもりですが、まだ煩雑すぎるかもしれません。少し補足すると、

緑色の欄は教導職らが設立した神道の布教機関です。教導職は、官吏(国家公務員)ではあっても無給かつ自費での活動となるので、現在でいう準(みなし)公務員に相当します。また、神道事務局(神社本庁の先祖)などは、特殊法人に相当するものと考えられます。

8 件のコメント

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2023年7月7日

     そう言えば「ツイッター最前線」で一世を風靡したガブリエル君も「生長の家」を「立憲民主党」と共にハンドルネームに添えていました。大天使ガブリエルと言うよりは熾天使ルシフェル(堕天後の名はサタン)だな~と感じていましたが。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2023年7月3日

     43号様、「生長の家の谷口雅春は現憲法破棄と明治憲法復活を唱えて」ましたか。その影響下にある人たちも同様のことを言いますね。しかし明治の憲典体制を復活させたいのであれば、男系固執の明治典範も絶対視される可能性が大です。たとえ平泉澄の学派(皇国史観)が女系公認の立場だったとしても、相当な矛盾を抱え込んでいることになりますね。皇国史観と右派系雑誌「論争ジャーナル」の関係については「三島由紀夫の女系公認論(奥)」( https://aiko-sama.com/archives/25328 )をご覧ください。

    昭和43号

    2023年7月2日

    基礎医さんとふぇいさんには今回本当にお世話になりました。
    メールのやり取りで面倒をお掛けしてしまったこと心より反省しております。
    神社本庁の初期の事務総長には内務官僚の経験者が数名いました。そのせいか、戦前の神社局や神祇院が持っていた神職の任免権まで継承してしまい、基礎医さんが言われたように、神社本庁内は悪しき官僚主義に侵されているようです。
    ただ個々の神社は男系固執という訳ではないと伝え聞くので、僅かに残る自浄作用に期待したいところです。

    基礎医学研究者

    2023年7月2日

    (編集者からの割り込みコメント)大変な力作、興味深く読ませていただきました。自分、神社については、やはりもっとも身近に神様と接することができる場所であるので、基本悪いイメージはありません。また、靖国神社を現在まで存続させている努力についても(庶民の支持があってのことですが)、敬意を表します。ただ、昭和43号さんの作成された図の全体を俯瞰すると、明らかに組織が巨大かして細分化されていることが、自分にはやはり気になります。このようになると、やはり本来の素朴な動機(元号法制化)はだんだんどこかへいき、本来彼らが嫌っているはずの官僚主義が浸透したようですね(しかも、皇位継承問題については、明らかに硬直しておりますよね)。私、毎日新聞を読んでいてこの神社本庁の利権問題について触れられていた記者(古賀攻記者の「水説」)の記事を読んでいて気にはなっていたのですが、今回のブログでそれがよく理解できた次第です。

    昭和43号

    2023年7月2日

    ひとかけらさん、コメントありがとうございます。
    まだ勉強不足の段階ではありますが、統一協会と神社界の関係については直接の関係にも見えますが、本来は神社本庁と同盟関係にあった生長の家や日本会議を介した間接的な関係だったと考えています。
    個人的には、神社界は統一協会などと関わらないためにも、積極的な政治活動は止めるべきだと思っています。

    昭和43号

    2023年7月2日

    京都のSさん、早速の感想ありがとうございます。
    三島由紀夫については全く不勉強だったので、Sさんの投稿三部作とコメント群は相当に読み応えがありました。その前の憲法についての投稿と併せて本が一冊できそうなくらい濃い内容だと思います。
    この時代、生長の家の谷口雅春は現憲法破棄と明治憲法復活を唱えており、石原慎太郎も似たような事を言っていたように記憶していますが、三島の憲法草案が全く独自のものであることはSさんのコメントで初めて知りました。
    三島が女系天皇公認だったという事実は、男系保守カルトの連中は決して認めたくないでしょうね。

    ひとかけら

    2023年7月2日

    明治期に神社神道と国家を結び付け日本人の精神を向上させようとする動きが戦後になっても終わってなかったということだと思います。戦後、GHQの神道指令によって国家神道は解体させられたと思われてましたが紀元節祭復興運動などが神社本庁主導で行われ日本人教化しようという人達は政治家や神社界では少なからず居るのかも知れません。1968年7月15日に山梨県の本栖湖で行われた会議では日本右翼の大物の笹川良一や統一教会日本支部の久保木修己そして文鮮明が出席して反共を旗印に国際勝共連合の設立の礎になったようです。私はこの会合によって国家神道が統一教会に毒され男系固執の足がかりになったと見ています。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2023年7月2日

     43号様、資料も本文も物凄い力作でありました。日本会議・神政連・神社本庁は三位一体だと聞いたことがあります。三島由紀夫が高度成長期を享受する敗戦受益者に対して投げつけた言葉が「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう…それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」ですが、その対象は三位一体の彼らでしょうね。
     私からも三島絡みで参考資料を一つ提供します( https://aiko-sama.com/archives/25328#comments )。

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