国民主権病=明治政府病

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 先日、私は以下の記事を見つけました。

誰もが知っている「神武天皇」、じつは「急に」押し立てられた天皇だったという「衝撃の事実」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c6181f287e3a2fafd7c590a8cc699d2e5764c242

この記事によると、神武天皇は明治維新のために押し立てられた天皇でした。というのも、明治維新の主役となった志士たちはあくまで無名の下っ端であったために、”なんでぽっと出のおまえらなんかが急に主役なのか”と言われるおそれがあったからです。
 そんな彼らにとって、はるか古代のあまり史料もない神武天皇は都合がよくこれを利用して好き放題できるうってつけのものでした。

これを見て、私は男系カルトの異様なまでの男尊女卑や皇室の政治利用上から目線の”国民主権病”も、この明治時代が元なのではないかとも思いました。なぜなら、”神武天皇、伝統”というマジックワードを使えば自分たちの好き放題にできるからです。いままで彼らが皇族に押しつけてきた、男系男子絶対主義やその他因習もいわば、明治政府に事を発しているといえるでしょう。いわゆる保守派は、戦前は国民も尊皇心が強く、戦後はそうではないとよく言いますが、現在の皇室バッシングや政治利用、男系男子絶対主義といった”国民主権病”の始まりは、”戦前”だったのかもしれません。

これから、我々が愛子天皇・皇太子を戴くにあたってはこのような視点から論理を展開していくということも必要になってくるのではないでしょうか。

文責 山梨県 JACKER

5 件のコメント

    ひとかけら

    2023年8月15日

    明治期に富国強兵のためには西洋の諸制度を取り入れる必要が有ったが国民統合のために祭政一致国家を目指す点では揺るぎがなかったと島薗進氏の国家神道と日本人には書かれてます。つまり国家神道が他の宗教や諸制度より上で監督、管理する事が可能になります。その後、教育勅語が導入されるようになると公の場で天皇崇敬を表さない者は職を追われるという内村鑑三のような例も出てきます。日本国憲法が誕生し個人の自由や基本的人権の尊重が認められるようになっても大日本帝国憲法の万世一系の天皇が統治するという考え方が男系固執派の頭を占めているのでしょう。それは神武の男系を維持するために国民は努力すべきだという妄念の押し付けに過ぎません。だから門地による差別や個人の自由を無視して旧宮家国民男子を皇室入りさせても問題無い、本人に確認を取る必要ないと思っているのでしょう。このような国家的横暴を現代令和において許される筈も有りません。男系固執派は権力横暴派と名を変えたほうが宜しいかと感じます。

    ただし

    2023年8月15日

    凄く勉強になり、また、深く同意いたします。何か、全ての符号が一致したような感覚がいたします。
    小林よしのり先生が、明治から日本は道を踏み間違えたとのことを再三描かれていますが、そういうことなのかと改めて感じ入りました。

    佐々木

    2023年8月14日

    どうせなら天照大神の天壌無窮の神勅まで遡って欲しかった・・・。

    サトル

    2023年8月14日

    大変興味深く拝読しました。
    (URLが……なので推察ですが。)

    「この説」は、磯田道史氏もチラチラ発言しますね……所属する◎◎センターには、ダンケーがうじゃうじゃいるので、遠慮がちですが……。

    余談ですが、先日放送された磯田道史氏の番組で「日本植物学の父 牧野冨太郎」を朝ドラの絡みで放送。牧野は「雑草と言う名の草はない」の元の発言者と言われている。昭和天皇のご発言と間違われることが多い。ただ磯田の面白いところは、「昭和天皇は、牧野が大好きで、事あるごとに「牧野は元気か?牧野はどうしてる?」と気にしていた。陛下は、牧野のような研究者人生を歩みたかったのかなぁ……と思ったりします」
    「研究者(オタク)にとって、牧野は憧れの人。ボクは彼の孫弟子になりたい。」そして、「彼のような、笑顔を浮かべる学者が今の日本にはいない。前からいない。今は更に陰気臭い。これは大問題。」など、なかなか興味深い。

    閑話休題。
    磯田道史氏は明治政府の天皇=錦の御旗……利用(これは明言)は、かなり批判的です。

    西郷が「最後に錦の御旗」を使わなかったのは、「実に西郷らしい」とも。自分達が「散々利用したのに」、最後は「敢えて」使わなかったことに、尊皇……は西郷にあったとも。

    そんなことを思い出しながら、拝読しました。

    京都のS

    2023年8月14日

     「神武創業」=「本来の姿に帰れ」=「伝統という魔語」というわけですね。自らに下駄を履かす行為ですね。

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