ドラマ「何曜日に生まれたの」は終わりましたが、まだ論点が残っていました。筆
者がナンウマを題材にするのは今回で4度目です。
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「ナンウマ」第8回には、三島公平(公文竜炎:溝端淳平)への恋心に気づいた黒目翠(飯豊まりえ)が、ある事件から入院している妹の三島蕾(アガサ:白石聖)を精神科の病室に訪ねるシーンがあります。蕾はオレンジ色のウィッグを着けてアガサという架空のキャラを演じていないと安定しないという病状です。また、三島公平が公文竜炎という(天才作家の)仮面を被らないと生きていけなくなったキッカケは蕾が母と母の再婚相手を刺した傷害事件にあり、自分が高校から全寮制の学校に入ったせいで小学生だった蕾を護れなかったことを悔いているからだと翠は考えました。翠は自分もコモリビト(引き籠り)だったことを蕾に伝え、それは優しくて弱かったから、私と貴女は一緒、友達になれる、その優しさを「公文竜炎という仮面」から兄を解放するために使ってほしい…と続けた後に印象的な強い一言を発します。「自分を守るための優しさは弱い」「誰かを守るための優しさは強い」というものです。

コロナ禍の時は「高齢者を守るために若者は自粛しろ!ワクチンを打て!」と主に高齢の専門家が言い、皇位継承問題では「男系継承や男尊女卑を信じてきた我々のプライドを守るために皇族は不安定な立場で居続けろ!」と識者が言い、ジャニーズ問題では「外圧に弱い日本の世論から我々を守るためにジャニーズタレントもアイドル文化も守らない!」と各界の著名人が公言しています。これらは全て世間の世論に迎合するマスコミ人が読者・視聴者、そして広告主の機嫌を取ったために起こった「マスコミ禍」や「世間禍」だと言えます。戦前に好戦的な世論を盛り上げたのもマスコミなら、戦後マッカ-サー様に尻尾を振りまくったのもマスコミです。マスコミ大衆が「自分」を守る傍らで犠牲になった「誰か」こそが真の被害者です。
ナンウマ劇中で、三島蕾の状態について「可哀そうにとは思うよ」と言う来栖久美(シシド・カフカ)に対し、翠は「どっちが?」と訊き返しますが、翠は三島公平の方こそ可哀そうだと言いたかったわけです。ちなみに翠は仲間の力(レインボウパワー)を借りて公平も蕾も救いました。
さて、誰が本物の被害者なのか?守るべき対象は誰なのか?それを「第112回ゴー宣道場・マスコミはなぜ常に狂うのか?」( https://www.gosen-dojo.com/event/37854/ )で一緒に学びませんか?
文責:京都のS
※編集部より。京都のSさんが宣伝して下さった「東北ゴー宣道場」
ご応募はこちらから
1 件のコメント
京都のS
2023年10月23日
世に溢れかえる似非正義に対し、「本当の被害者はどっち?」と問える人に成りたい方は第112回道場に応募しましょう。それにしても「ナンウマ」で4回も書くことになるとは(笑)。