男尊女卑の最終定理を解除せよ!

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 裁判官にして数学者のピエール・ド・フェルマー(1607~1665)の最も有名な業績に「フェルマーの最終定理(FLT)」と呼ばれる命題があり、それは「nが3以上の時、X^n(Xのn乗)+Y^n=Z^nを満たす自然数X、Y、Zは存在しない」というものです。フェルマーの死から100年後に天才数学者のオイラーがn=3とn=4の場合を証明しましたが、そこから大きく進めたのはソフィー・ジェルマン(1776~1831)という裕福な商人の娘(即ち女性)でした。当時は彼女の母国フランスでも「女に学問は不要」とされる時代でしたが、彼女は数学を学べる新設の学校にルブランという男性名を騙って潜入しました。ソフィーは自分が女だと打ち明けても指導教官を引き受けてくれたラグランジュの下で実力を付け、オイラーの死から約半世紀後に最終定理の次の扉を開きました。ソフィーはフェルマーの方程式(X^n+Y^n=Z^n)においてnが素数(1と自分自身でしか割り切れない数字)の場合について研究し、その業績は後に続く数学者たちをFLT証明へ導いたと言えます。

 ところでソフィーは、こうした研究成果を「数学史上で最も優れた数学者」と評されたカールFガウス(1777~1855)にルブラン(学校潜入の際にも使った男性の偽名)の名で送り、やがて友人となった二人の文通が始まりました。ナポレオンによる普仏戦争を契機としてルブラン(ソフィー)は女性だとガウスにバレました(※ソフィーはガウスの安全を確保するようフランス軍の指揮官に訴え、指揮官は「ソフィー・ジェルマン嬢のお陰」とガウスに言ってしまった)が、それでも二人の友情は続きました。後にガウスは物理学へ転身し、その影響があるかは測りかねますが、やがてソフィーも物理学者となりました。ソフィーは物理学でも弾性体の研究などで大きな成果を上げましたが、女性差別が蔓延る学問の世界は彼女に報いませんでした。彼女に名誉博士号を贈るよう大学に働きかけたガウスでしたが、それを受け取る前にソフィーは亡くなりました(享年55歳)。

どんなに偉大な成果を上げても女性という理由だけで認められない時代は過ぎ去ったと思われるでしょうが、今も極東の島国では女性という理由だけで皇族女子は皇位継承資格を剝奪されています。今、我が国の各界にガウスやラグランジュのような人物が居ないのなら、やはり庶民が声を挙げて邪悪な定理をクリアするしかありません。   

文責:京都のS

6 件のコメント

    京都のS

    2023年12月2日

     そうそう、取り上げたソフィー・ジェルマンは超絶美女です(敢えてのルッキズムw)。ソフィー・ジェルマンとカール・フリードリッヒ・ガウスの友情に恋愛感情や性欲は混入しなかったか?と問うことも出来ましょうが、天才数学者2名の共通言語は純粋に学問だったと信じたいと思います。

    光る式部も活躍した京都のS

    2023年11月29日

     「士農工商」という序列では「商」が下位ですが、これは儒教の教義によると思われます。まぁ「君子」や「官僚」を最上位に置く思想では「武士」も蔑まれる身分でしたが…。つまり朱子学を官学とした江戸期にあっては、武士の官僚化は必然でした。そして幕府の官僚が権力を握り、地方の武士が蔑まれた末に「赤穂事件」が起きたわけです。
     ところで江戸期の識字率は世界一でしたが、これには寺子屋などで学んだ農民も商人も含まれました。そうした中では教わりに来た子供を僧が物色した例(稚児候補?)もあったでしょう(サクッと「ジャニーズ問題」的要素もブッ込んでおく)。
     さて、朱子学に絶対帰依していた松平定信が農工商から学問を取り上げようとしたのは必然でした。定信は商人を卑しむとともに経済活動を締め付け、さらに文化も統制しました。和算の関孝和も不遇な時代を生きたわけですね。
     やはり、その時代を描く「べらぼう~蔦重栄華の夢噺」(2025年の大河)は観なきゃいけません。で、その前の大河(2024)は「光る君へ」です。妻問い婚や通い婚が普通だった古代(平安中期)の物語です。嫁入り婚からの男系主義(江戸期から現代まで続く)を相対化するには良い素材でしょう。しかも紫式部(吉高由里子)は当代きってのキャリアウーマンですから、藤原道長(柄本佑)を相手にしても主導権を手放さない展開を期待します。帝に入内する皇后や中宮も道具として扱われない展開を望みます。

    京都のS

    2023年11月26日

     れいにゃん様、いつも「オワコン」風S論考にお付き合いいただきありがとうございます。いきなり松平定信に話が飛んでビックリしました。日本人は本当に「真実<正義」な人民ですね。「朱子学的道徳が正義」な徳川の世では「農工商に学問(真実)は必要ない」ばかりでなく「武士も学問的な真実より朱子学的な空理が上」でしたから…。それから300年ほど経ってもメンタリティーは何も変わっていません。朱子学的な道徳がキリスト教的な人権に入れ替わっただけで、相変わらず真実は置き去りです。「男系固執では皇統が続かない」という真実も、「男系&男尊が正義」な人々の似非の正義によって圧殺されています。

    れいにゃん

    2023年11月26日

    いつも多角的な視点で皇統問題が語られるのが愉快です。ソフィー・ジェルマン(1776~1831)が学校で勉強出来た頃は、日本では松平定信が町民を締め付け始めた頃でしょうか?定信は、領地では、女どころか百性に読み書きは必要ないと、学問を取り上げました。自由の幅の振り幅が激しかった頃でさえ、和算は独自の発展を遂げていて、俗世に潰されない真理の強さ、愉しさがあるのでしょう。そんな真理を追求する人が因習によって理不尽な目に遭うのは、もう終わりにしたい。愛子さまが皇太子になれない民主主義なんて、自由の無駄遣いです。男尊女卑の最終定理は男女貧富別なく知恵を絞って解かなければいけませんね。

    京都のS

    2023年11月25日

     タイトルを「フェミナーの最終定理を解除せよ!」にしても良かったのですが、今は別の意味のフェミがジャニーズ問題で暴れてるので止めました。割とタイトルにも気を使ってます(笑)。

    京都のS

    2023年11月24日

     掲載ありがとうございました。ところで、11月24日、25日には「三島由紀夫の女系公認論」を読んでほしくなります。
    (表)…( https://aiko-sama.com/archives/25322
    (裏)…( https://aiko-sama.com/archives/25325
    (奥)…( https://aiko-sama.com/archives/25328

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