文藝春秋1月号の皇室記事に関する感想②(基礎医学研究者)

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先月、当サイトでは、文藝春秋1月号(2023年12月8日発売)に掲載された、祝卒寿 上皇陛下をお育てした私たちについて、紹介しました。

この記事についても、2月号を見ても反響がよくわからなかったのですが、実は私、この記事に関する感想も編集部に送っておりましたので、以下に要約して示します。

※なお、ゴー宣道場のGJ(ゴー宣ジャーナリスト)において、ちょうど良いタイミングで連載陣のだふねさんは、皇太子になる前の浩宮さまが、柏原芳恵さんのコンサート会場で花束を渡すエピソードについて、記事に書かれています(→エンタメを通して皇室を語る)。制作会社の、”サプライズを期待した依頼”という部分を見て「まあ、そうやろな~制作会社もなかなかやるな( ̄▽ ̄;)」と思いましたが、陛下も、柏原芳恵さんも、会場参加者も楽しめた様子が伝わってきたので、微笑ましいエピソードだったのではないかと(と思うのが、庶民だと思いますが、上記の文藝春秋の記事のトーンは、明らかに違います)。是非、読み比べてほしいかと<(_ _)>


対談された方は、上皇陛下と学習院初等科から高等科までの同級生だったこともあり、上皇陛下の学校生活における人間くさい一面が語られている部分は、おもしろく読めました。ただし、対談者の意図とは異なり、上皇陛下は「公私」の峻別がこの頃からしっかりしており、やはり庶民とは異なる存在だということが、浮彫になったと思います。

また、対談の最後の方で「天皇に競争は不要」といわれる部分も、天皇が「権威」を体現する存在、という歴史・伝統を考えると、一致できるところはあります。しかし、好意的に読めるのはここまでで、以下の点には、同意できないところがあります。

世代の問題があるのかもしれませんが、なぜ愛子さまがおられるのに女性天皇を除外して話を進めるのでしょうか?また、榮木(さかき)氏にはまだ上皇陛下のお考えを理解されている慎重さがみられますが、明石氏の意見には「皇室」の方々に対する、時代錯誤的な硬直した考え(「因習」)が散見されます。上皇陛下や天皇陛下が恋愛結婚されること、ファンとして花束を渡すことの、どこがそんなにおかしいのでしょうか?上皇陛下や上皇后さまは時代とともに「伝統」は柔軟に変化するということを実践された方々ですが、「国民の敬愛」は変わらないと思いますが。

 最後になりますが、伝統というものは、やはり「皇室」の聖域という環境で育まれて受け継がれてきたものであり、そのような「皇室」の方方と未来を歩んでいきたい、と思う次第です。
(基礎医学研究者)

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