〈記事紹介・感想〉第8弾 森暢平成城大教授の警鐘(これでいいのか「旧宮家養子案」)

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森先生のこれでいいのか「旧宮家養子案」第8弾です。

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サンデー毎日:臣籍降下を「推進」した昭和天皇の真意 社会学的皇室ウォッチング!/106 成城大教授・森暢平

 昭和天皇は11宮家の臣籍降下に抵抗した―。そう主張するのは、前回、本連載が批判した国士舘大学客員教授百地章(ももちあきら)である。ところが、この説はほとんど根拠を持たない。逆に、多くの史料から昭和天皇と皇族は何かと対立し、ときに火花を散らしていたことが分かっている。

と始まる今回。
ダンケーカルトからも話が出てきます。

百地章は、昭和天皇の

「諸般の情勢により、秩父、高松、三笠の三宮を除き、他の皇族は全員臣籍に降下することが妥当であるような事情に立ち至った。誠に遺憾であるが、了承してもらいたい」

この発言を根拠に有識者会議で「昭和天皇が最後まで反対した」と述べた。

梨本宮妃伊都子さまの日記にも

「色々の事情より直系の皇族をのぞき、他の十一宮は、此際(このさい)、臣籍降下にしてもらい度(たく)、実に申しにくき事なれども、何とぞこの深き事情を御くみとり被下度(くだされた)い」

とあります。
森先生は

 いずれにしても、昭和天皇は「申し訳ないが離脱してほしい」としか述べておらず、離脱に反対、あるいは抵抗したことを読み取ることはできない。

と書かれています。

私はこちらの昭和天皇のお言葉を拝見して、

昭和天皇は、11宮家が臣籍降下することを誰に対して抵抗・反対していたのかが読み取れません。

その後記事は皇室内部にフォーカスを当ててています。

 連合国軍総司令部(GHQ)と日本政府は、天皇の地位を維持するという一線を守るために他の改革で共闘していた。

ところが、東久邇宮稔彦がAP通信の記者に、国際問題になりかねない発言をし宮内省、日本政府が対応に苦慮、昭和天皇も批判的に見ていることを書かれ、昭和天皇の弟宮が新憲法審議に抗議の欠席(高松宮宣仁さま)、途中退席(三笠宮崇仁さま)し、昭和天皇を困らせている例を挙げています。

そして臣籍降下の方向性(11宮家からの提案、昭和天皇、日本政府も推進)が見えてきたなか、
11宮家の臣籍降下に強い異論を唱えたのは高松宮さまで、皇籍離脱最後の手続きが行われた12月24日の皇室会議で

「(提案理由に)終戦後の国情の変化ということがありますが、その説明をうかがいたい」
「外国の圧迫によるものと解してよろしいか」

と質問(本来皇室会議は用意された議案が、質疑もなく可決することがほとんどとのこと)
同会議で三笠宮さまは

皇族身位令の改正26条が「臣籍に入りたるものは一家を創立し……」とあったのに対し、「臣籍」の文字は「封建制の残滓(ざんし)」と主張した(中略)採決の結果、三笠宮だけが反対の意思を示したが、残りの9人の賛成多数で原案は可決した(以上、宮内公文書館所蔵「皇室典範増補中改正外」を参照した)。

森先生は結びに

 天皇は、宮内省と一緒になり、「国体護持」の最低線を守るために宮家の皇籍離脱を推し進めた。それに反抗する弟宮に昭和天皇は忸怩(じくじ)たる思いを抱いたのである。

と書かれています。

今回の記事に書かれている事実と第5弾を拝読し、

昭和天皇は、11宮家が臣籍降下することを誰に対して抵抗・反対しているというより推進している。
そして、高松宮さま、三笠宮さまは昭和天皇・宮内省・日本政府、GHQ(米国)に対し、11宮家が臣籍降下することに最後まで抵抗・反対していた。

こう私は読み取りました。

これを百地章は、

昭和天皇は、11宮家が臣籍降下することを誰に対して抵抗・反対しているというより推進している。
そして、高松宮さま、三笠宮さまは昭和天皇・宮内省・日本政府、GHQ(米国)に対し、11宮家が臣籍降下することに最後まで抵抗・反対していた。

と赤字の部分を有識者会議で報告したのですね。

これが「男系固執という自身の説擁護のため」という恣意的な目的で使われたのであれば大問題ですし、知らずに報告していたらヒアリングを受ける資格なし。失格です(どちらにしても失格ですが)

「故意でない」なら許されるのか?のブログで頂いた基礎医学研究者当サイト編集長のコメント

仮に間違えただけ?としたら、それは「識者」としての百地氏を貶めていることになりますよ(ふぇいさんいうように、専門家のくせに、相手を説得するための大事な資料に注意を払わなかったのかと)。で、それが間違いだとわかったのならば、公的に謝罪する必要があったのではないですか。でも、そんな動きはまったくなかったので、森氏の記事がでてきたと思いますが。まあ、こういうところが、もはやカルトなのだろう、と改めて思った次第です。

安定的な皇位継承を議論する大事な会議で自身の発言に注意を払わない「センモンカ」
それを受け入れる「有識者会議」

有識者会議の報告書の信用ってあるのでしょうか。

森先生の次回作も楽しみにしています。

文責 愛子天皇への道サイト運営メンバー ふぇい

(追記:ブログ内「高松宮さま」の表記が一部「高円宮さま」になっていたので訂正しました。お詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。)

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2 件のコメント

    くりんぐ

    2024年3月15日

    昭和天皇のお言葉からは、皇籍離脱の件を旧宮家系皇族の方々に丁寧に伝えようとされる配慮を感じました。
    旧宮家の皇籍離脱に反対される意図があるようには、どう読んでも読めません。

    昭和天皇からすれば、皇室の品格を貶める問題行動を繰り返す傍系の宮家の維持のために、戦争で疲弊した国民の負担を増やすわけにはいかないというお考えがあったのでしょう。

    ですがそのお気持ちは、弟である高松宮さまと三笠宮さまには残念ながら伝わらなかった。

    高松宮さまは、宮内大臣から直接、皇族費がこれまでと違って国家負担になることを説明されても尚、抗議の意思を変えることはなかった。
    日本が戦争に敗れたばかりで大変な時に、「国民に宮家維持の負担がどれだけかかっても構わない」と思われていたのなら、悲しいことです。

    SSKA

    2024年3月14日

    戦後の昭和天皇の孤独を感じさせる非常にシビアな内容の記事でした。
    ご親族と言えどマッカーサーともほぼ差しの状態で対面し国民や国家を背負われた方と皇族の立場を優先する人とでは認識が違ったのでしょう。
    弟君に占領国に対する矜持や抵抗心があったのかもしれませんが、そもそもが旧皇族は普段の素行の問題から破門に近い扱いを受けている面もあるので私心が勝っている様にも感じられますし、その客観性を欠いた心理を男系が揃って受け継いでいますが現皇室がその子孫を再度受け入れるのもあり得ないと分からない彼等の頭はどうなっているのでしょうか。
    時代が続いた後も天皇陛下の孤独は変わらない事から、一生を過ごすお相手には信頼が必要で血統で選ぶのはあり得ないと改めて思いました。

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