女性優位の軍事国家は、可能か?~錦の御旗としての “女系天皇”~その3

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【国防の為の「戸籍」】

次に、古代日本社会における「戸籍」に着目してみましょう。

西暦にして690年、時の持統天皇は、諸国の国司らに戸籍の作成を命じます。この命によって作られた戸籍を、この年の干支にちなんで「庚寅年籍(こういんねんじゃく)」と呼びます。

※ いきなり余談ですが、この時代の戸籍は散逸が多く、そのままの姿を現在もとどめているものは、非常に少ないようです(*これ、もし現在も散逸せずに残っていたら、人類遺伝学や人口学にとって大変貴重な史料となっていましたね。惜しいby基礎医)当時、「紙」というものは非常に貴重で、保存期限の過ぎた公文書が東大寺などに払い下げられ、ウラ紙を再利用する、という事もフツーに行われていたようです。今はどこの役場でも、反故紙は即、シュレッダー行きだもんね。古代の日本の方がよっぽど、SDGsを実践してるんじゃね??(笑)

・・・話が逸れてしまいましたが、そういった公文書の一種である「戸籍」もまた同様の扱いだったらしく、「反故にされた戸籍」の断片が正倉院などに現存するおかげで、我々は古代の人々の実態を読み解く事ができるようです。

さて、我等がスーパー女帝・持統天皇の命によって作成された「庚寅年籍」ですが、そのうち現存するもので有力な史料のひとつに、大宝二(702)年の御野国(みののくに:現在の岐阜県)加毛郡の、半布里戸籍(はにゅうりこせき)があります。

男女合わせて1119人の記録が残る半布里戸籍ですが、なかでも特に女性は、年齢による人口構成のバラツキが多く、男性のデータと比較して、信頼性が著しく低い事が指摘されています。

これは、律令制度下の日本が良民男性を課税対象としていた事もさることながら、「一戸一兵士」の原則に基づく兵士の徴発の為、男性の数を正確に把握する必要があったことも原因のようです。

さらに、庚寅年籍から遡る事約20年(西暦670年)、日本で最初の全国的戸籍である「庚午年籍」の作成を命じたのは天智天皇ですが、同時に河内の高安城の修理と、長門に一つ、筑紫に二つ、それぞれ築城を命じてもいます。

白村江の戦いに敗れたばかりの日本で、唐・新羅連合軍の侵攻に備える為の軍事的動員の必要性というのも、日本における戸籍誕生の根強い背景だった事がわかります。

『戸籍が語る古代の家族』の著者である今津勝紀氏は、律令制度下にあった古代の日本において、おおよそ成人男性の4人に1人が徴兵されていた事を指して、「日本律令国家は軍事国家なのである」と評価しています。(今津p38)

国民に兵役の義務を課す事で、外敵に備える国家を「軍事国家」と今津氏が定義するのであれば、現在の韓国も台湾も「軍事国家」という事になるし、近い将来の日本も、有事であるなしに関わらず、平素から恒常的に軍事国家でい続けなきゃならん、という事になっちゃいますけどね。

しかも、本ブログのテーマである「女性の地位」もちゃんと維持しながら。

※ ここからは完全に俺の雑談ですが、たとえば『鎌倉殿の13人』とか『光る君へ』とか、新しい大河ドラマが始まる前には毎年、軽く「予習」はしてるんですけどね。 『どうする家康』はそもそも観てないです。

平安時代にせよ鎌倉時代にせよ、特に貴族階級でない女性の登場人物に関して、史実では「生年不詳」「生没年不詳」がやたら多い事も、先述した戸籍上の女性の人口把握が杜撰だった事と無関係ではないかも知れないなと、今回調べてみて何となく合点がいきました。

紫式部の没年すら、明確にはわかってませんから。

ガッキー扮する、伊藤祐親の娘の八重なんか特に、源頼朝と引き離された後、身を投げた説が有力なのに、ドラマでは北条義時と結婚してましたもんね。

「生没年不詳」であるが故に、ドラマ的にはいじりやすいのでしょう(笑)。

文責 北海道 突撃一番

参考文献

・今津勝紀『戸籍が語る古代の家族』吉川弘文館2019年10月1日
・三猿舎『歴史人物ツアーガイド 誰もが知ってて知らない紫式部と平安京の有名人103』 2023年11月24日
・『北条義時と同時代を生きたキーパーソンたち』株式会社東京ニュース通信社 2021年12月14日

3 件のコメント

    突撃一番

    2024年6月15日

    コメントありがとうございます!
    そういえば、庚寅年籍の成立年も、壬申の乱という大乱の後でしたね。内乱の芽を摘む為に直系継承実現へ向けて苦心した持統天皇も、治安維持の為の軍備を疎かにする事は出来なかったという事かも知れませんね。貞永式目への考察も、非常に奥が深いと思いました。

    SSKAさんご指摘の「女性の戦争参加」については、自分も一応、徴兵制には賛成ですが、男には義務を課すけど、女は志願のみでよい、と今のところは考えています。

    理由は、次回ブログで詳述してますんで、お楽しみに!

    SSKA

    2024年6月15日

    天皇と歴史的な政策、特に軍事に注目しない男系派からは戦後反戦サヨクの片鱗を感じます。
    明治の男系規定の背景にも富国強兵の当時の雄々しい政策が反映されていますが、それで軍隊が強くなったわけではありませんから、あくまでもナショナリズムを礎とする国民軍が近代戦争の勝利をもたらしたので前時代の武士の価値観は何の貢献も無いと分かります。
    男系(男尊女卑)は当時の世情とされましたが、社会から姓が廃止されたと同時に特定の階級が武力を担った時代は過去のものとなり国防思想としても効果は皆無で息絶えているんですよね。
    現代(戦後)は更に自衛隊は男女の国民から選ばれ、世界的にも紛争国ほど女性の戦争参加が注目され称賛を浴びる潮流もある中で男尊女卑は古臭いだけでなく、必要とされる団結を性別で分断する悪影響を生み組織の弱体化に繋がると、自虐史観と反軍思想を排した本来の保守ならば男系主義は武士も居ない時代に不必要と表明するのが正しい見識だと思います。
    天皇と軍事とそれを担う国民の関係を正しく理解しない自称保守は国民の団結力を生むナショナリズムが愛郷心から発する事を忘れ去っているので何を守っているのか分からない存在になり果てています。

    京都のS

    2024年6月15日

     戸籍から読み解く視点が新鮮かつ的確だと思えました。戸籍が必要な理由は徴兵か徴税だと思われます。庚午年籍(670)は白村江(663)の後に防人を増強した時、庚寅年籍(690)は「壬申の乱」(672)後に徴兵制を再整備する必要に迫られたからかもしれません。兵役は♂>>>…♀ですから、古代の戸籍も男中心ですが、対外戦争が少なく、かつ内戦も武士団のような私兵が戦うだけの平安後期から中世にかけては、戸籍は主に徴税用(♂≧♀)だったかもしれません。そして「貞永式目」の時代には女子にも財産権があったようです。中華風の「律令」を排した和風の「式目」時代に女子の権利を亢進させる取り決めが増えたのは、それこそが日本の伝統に適っていたからだと思われてなりません。
     対外戦争の緊張が高まった明治期の戸籍や民法(その象徴的存在が皇室典範)が尾を引き、さらなる対外戦争時代も予測される現代日本において、どのように男女公平を担保するかの思考実験の続きを待ちたいと思います。

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