平成22(2010)年3月3日
愛子さま 8歳の時
同級生のいじめにより、一人で登校できなくなる
以来、平成23(2011)年秋頃まで1年半、雅子さまに付き添われて登校された。
週刊誌等では、「わんぱく坊主を見て怖がっちゃうような環境で育てられているわけですから、それは学校が直すというよりも、ご家庭で直していただかないといけない」(『週間女性』同年3月23日号)という学習院側の言葉が載るなど、ご一家に批判の矛先が向けられていた。
よしりん先生は『女性自身』同年3月30日/4月6日号に、「今の学習院には、皇室への〝敬意〟が欠けている!」という見出しでコメントを寄せられた。
(展示時「ココ好き」シール 11枚※
※全て、怒り・悲しみの気持ちとしての投票)
2月下旬、愛子さまは風邪を引いて学校を休まれました。
高熱と嘔吐、腹痛があったといいます。
その後、熱が下がり、腹痛だけが残った状態で、侍医の中村嘉宏医師に診てもらったとき、中村医師が学校に行かれるか尋ねると、
「学校に行くと食欲がなくて給食を全部食べられないから、残してしまうと迷惑がかかってしまうでしょ。だから今日はお休みするの」
と答えられました。
いつもと違うお話に異変を感じた中村医師は、優しくどうしてなのかを聞き出そうとしますが、同様のお返事を繰り返され、それ以上はお話しになりませんでした。
このことは、中村医師から野村大夫を通じ、皇太子さま、雅子さまに伝えられました。
ご夫妻は驚かれ、ご心配されましたが、すぐに愛子さまから事情を聞き出そうとはされず、日をおいて改めて優しく問いかけられました。
すると
「学校に行くのがこわいの」
と答えられました。
続けてその理由を聞かれ、そこで愛子さまが乱暴な男子から、耳元で大声を出して脅かしたり、下駄箱に頭を押し付けられそうになったことまで話されました。
実は学習院では、前年から児童の問題行動が目についていた状態で、監視・指導体勢を強化していました。
いったん収まったため3学期からは元に戻したのですが、その後問題行動が再発。
特に教師の目が離れる給食室での時間は、「やんちゃぶり」が激しかったといいます。
あまりに乱れた学校内のできごとに、ご夫妻は言葉を失いました。
雅子さまは、楽しそうに学校へ通いながら何も言えずに苦しんでいた愛子さまを不憫に思い、そっと抱きしめられたそうです。
3月5日、野村東宮大夫は定例会見で、愛子さまがいじめを受けられ学校を休まれていることを発表しました。
本当なら東宮職と学習院で秘密裡に解決するのが望ましかったですが、情報が漏れて、憶測で記事にされるリスクなどを考慮した結果、皇太子ご一家を守る最善の方法として公表に踏み切ったといいます。
皇太子さまもそれを了承され、併せて他の児童に十分配慮するよう求められました。
同日、学習院も記者会見を行いましたが、愛子さまへの直接の暴力行為やいじめの事実を否定。
一方で、乱暴な児童がいたことは認めました。
その内容は次のようなものでした。
「昨年七月に数名の男の子が、靴を投げたり、教室で大声を出したりしたことがありました。授業中に教室を走ったり、物を投げたり、私も参観しましたが縄跳びの縄をくるくる回したりしている子どもがいました」
ジャーナリストの友納尚子氏は、
「公立の小学校でもここまで乱れたケースというのは、そうはない。」
と評しています。
この会見を機に、学習院の保護者の口から、様々な実態が暴露されました。
愛子さまに関しては、
「ランチルームで以前、給食を残しそうになったときに問題の男子から何度も罵倒されたといいます。その時、愛子さまは泣き出してしまわれたそうです」
という話もありました。
後に雅子さまに付き添われて登校を再開するようになっても、しばらくランチルームには近くに寄ることもできませんでした。
このような状況でありながら、学習院は愛子さまへの暴力行為を認めず、さらには冒頭に挙げたような声まで漏れ伝わってくる始末だったのです。
愛子さまは、学校には行きたいが勇気が出ない、という状態でした。
そこで3月8日、雅子さまとの付き添い登校を開始されました。
始めは毎日一時限。それでも愛子さまは通い続けられました。
それは、アフリカにご訪問されていた皇太子さまとの約束を守ってのことでもありました。
付き添い登校が長引くにつれて、バッシングも高まっていきました。
しかし、皇太子さま、雅子さまには、何とかして学校に通い、集団生活を学んで欲しいという信念があり、
根気強く愛子さまに寄り添い続けられました。
皇太子さまは、翌年2月のお誕生日記者会見で、
「この1年近く,親として愛子のために何をしてあげられるのかという思いで,雅子と共に考え,歩んできました。愛子は,学校で怖い思いや辛い体験をしましたが,それを乗り越えようと,前向きに頑張ってきており,私たち親としても,精一杯支えてあげたいと思ってここまできております。」
と述べられました。
同時に、雅子さまに対しても
「ここ1年ほどは,愛子の通学への付添いを含めて,愛子が元どおりの通学に戻るために母親として可能な限りの努力を払ってきているのが現状であり,私自身傍で見ていて,大変だと思いますし,雅子自身の体調が万全でない中で,毎日本当によく頑張っていると思います。」
と述べられました。
友納氏は、付き添い登校に臨まれる雅子さまの心境を、次のように推察しています。
「これまで皇太子と愛子さまに助けられながらご回復に向かってきた。
今度はご自分が愛子さまの力になるべきと強く決意されたのだった。」
※肩書きや称号は、すべて当時のものです。
※このできごとについては、『皇后雅子さま物語』(友納尚子、文春文庫)で詳しく記載されていますので、そちらもぜひご覧になってみてください。
参考文献:
・『皇后雅子さま物語』(友納尚子、文春文庫)
・『新天皇論』(小林よしのり、小学館)
・『天皇論 平成29年』(小林よしのり、小学館)
・皇太子殿下お誕生日に際し(平成23年)
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文責:静岡県 L.K
2 件のコメント
サトル
2024年8月27日
わたしゃあこの件を報道で知った時は、瞬間的に「こりゃ土下座もんだよな!」と、思ったものです(親戚縁者なら当然)。
あまりに酷い。
上皇陛下が天皇ご在位時の「肩揉んで」おばちゃんも、身内なら土下座&おばちゃん大説教と、これまた瞬間湯沸かし器でしたが(これはいまだにモヤモヤしてます。ニコニコ陛下が肩揉まれてた……にしても)。
この件は、
さらにその上をいくとんでもないことだと。いくらなんでも酷い。
勿論「腹を切れ!」と言いたくなる魑魅魍魎言論人、政治家たちもいますが。
あしたのジョージ
2024年8月27日
どこの学校でもイジメはあるものですが、学校はイジメを認めようとしない事もよくあるみたいですね。
雅子さまは、ご自分の病気も治ってないの
にさぞかし大変だったと思いました。
一番大変だった時かもしれませんね。