赤壁の戦いにて曹操は大敗し、命からがら自国へ
逃亡し、更にゲリラ戦にて劉備達からも追撃されます。曹操軍の落ち武者達に雨が容赦なく降り注ぎ、いつもは覇気に満ち、ピンチな場面でも強気で対抗する曹操もこの時は生き延びれるか、それともここで死ぬのかという境目にあたり必死でした。(この時の天候の描写は作品によって違います。)もうすぐ窮地を脱するという瞬間に、曹操達の目の前に関羽の隊が道を塞ぎ、曹操は”ここまでか!?”と覚悟をしました。
曹操は大体は勝てば官軍側にいましたが、今は敗軍の賊軍の立場におり、敵に命を握られています。
曹操は「久しいじゃないか、関羽。」とやや諦めが入った気持ちで関羽に声をかけると、関羽は沈痛な面持ちで、「曹操殿、首を貰い受ける。」と言い、なるべく情が動かないように曹操の顔を余り見ないようにします。
曹操は関羽がまだ自分に情けがあると観て、必死に訴えかけます。
「関羽、見てくれ。わしはこの通りの身だ。この冷たい雨で今も兵士達が死にそうなんだ。どうか昔の誼(よしみ)を汲んでくれまいか?」
最初は情に訴える曹操に、関羽は冷たく「顔良・文醜を斬って既に恩は返しました」と返しますが、曹操はすかさず、
「(劉備の下に帰るため、)五関で守将を斬った行ないを咎めなかったのをお忘れか」と言うと心が揺れます。
関羽は曹操の言葉で改めて曹操軍を観ると、兵士達は冷たい雨に濡れ震えており、いつもは偉そうに振る舞う軍師や将軍達も関羽に下馬し、曹操までもが下馬して泥の地に膝をついて関羽に懇願するよう頭を下げます。
関羽のまぶたにかつての曹操が関羽にした、厚い温情がよみがえり、また悪戯に兵たちを痛めつけるのも忍びず、武将や軍師達が曹操の助命する姿をみて、いたたまれず、関羽は孔明達に厳命されましたが、暫し思案します。そして(横山光輝『三国志』曰く)、
「わしにこの者達は討てぬ」
と道を開けます。
曹操達は「かたじけなし」と駆け抜けます。戦場に置いては敗者に情け無用とする振る舞いもありますが、関羽や張遼といった、文武に通じ、また義理人情も併せ持つ武人にはどうしても敗者を切り捨てる事は出来なかったのではと思います。
かつての日本の大東亜戦争でも戦が終われば敵味方問わず助けた名将もいて、彼らは武断派からは弱腰と非難されるも、仁義を通しました。
また、君主である天皇も自国の民にも寄り添いますが、相手方を想う心あり、大陸、日本にも共通にあった惻隠の心だと推察します。
話は戻り、関羽は劉備達のところへ戻ると、
「申し開きはしません。首をはねてください。」と首を差し出します。
孔明は冷たく、
「軍事に置いての命令違反、そして先にした約束にて関羽の首をはねます!」と側にいた武将に関羽を捕らえて首をはねるよう命じます。
「待ってくれ!軍師殿!俺も昔、酒を飲んで呂布に城を盗られた時、死んで詫びようとしたが、生きて恥を注げ!と兄者(関羽)にいわれ、今ここにいるんだ!だから、兄者を許してやってくれ!許さないなら俺も斬れ!」と張飛の訴えに、
孔明は「弱りましたね。罪の無い張飛の首を切る訳には・・・(チラっ)。」と劉備を観ると、劉備は孔明に、「ここは軍令にそいつつも罪は罪と預けとき、次の戦いに償わす訳にはいかないか?」と返します。
孔明は「そこまでお二方がおっしゃるのなら、関羽殿の命は次の戦いの時まで預けましょう。」と無事に終わります。
孔明が関羽に厳しくした理由に、1つは関羽が曹操の恩義に縛られて動きにくさが出るとこの先命取りになると思ったからです。もう1つは、借りに最初からここで関羽をなあなあで許したさい、関羽が自責の念で自害する恐れがあったからとあります。
こうして赤壁の戦いの一幕が終わり、
曹操は天下統一の立て直しを計り、
孫権は劉備を牽制しつつ領土を護りながら攻めの姿勢をみせ、
劉備は南と西に勢力を築かんと孔明達と歩調を合わせます。
今回はここまで。赤壁の戦いをご紹介しました!
三国志編はその16に続きます。
文責 神奈川県 神奈川のY
3 件のコメント
神奈川のY
2025年5月2日
コメントありがとうございます!
明日鍍 禮Xロックに抗議中さま、
国会にどしどしと、良い人を送りこんで、活躍してほしいですね。孔明がいなければ孔明のような人材を国民が育てなきゃです。
あしたのジョージさま、
武人の情けですね。
それが出来るのが立派な武将の条件かも
しれません。関羽は癖がありますが、人情深い人と推察しています。
あしたのジョージ
2025年5月1日
関羽の心の葛藤は、わかるような気がします。
殺さなければ殺される時に情をかける事は弱い事でしょうか。
難しいですが、私は強いと思います。
絶対に勝てる立ち位置にいながら、相手の事を思い見逃してやる事は、強い者にしか出来ないと私は思います。
なんちゃって🥴
明日鍍 禮Xロックに抗議中
2025年5月1日
「徳」には「人情」が付き物と思います、権威より何より最後に物を言うのは「徳」。
公明のそこを理解しつつも、軍規に特例を持ち込み士気の緩みを危惧を削ぐために「首を刎ねよ」と命じますが張飛やその他の兵の恩赦を予測し最終決断を劉備に託す処は流石軍師と状況判断の読みに膝を打ちました。
利権まみれで堕落し、ステルス侵略を許容した国賊自民党にこのような軍師は居ないと思います。
可能性があるのは、野田馬淵の立憲尊皇派と菅野志桜里さんのみと判断します。