2.26事件の後、阿南惟幾氏は陸軍内の派閥がゴタゴタする中、政治的に無色であったことから、軍紀・風紀の監督部署として軍務局から分離・独立した兵務局長に就任しました。
この時の陸軍省(りくぐんしょう)は、1903年以降、1945年に至るまでの主な附属官庁に航空本部・技術本部・兵器廠・造兵廠・科学研究所・被服廠・糧秣廠などがあり、内局に、大臣官房・人事局・軍務局・整備局・兵器局・経理局・医務局・法務局があったそうです。
阿南惟幾氏は兵務局長時代に、「科学的防諜機関」の設置を発案し、これが後に後方勤務要員養成所(陸軍中野学校)として結実しました。
この養成所はスパイ養成学校で諜報にゲリラ工作など活躍します。ちなみに、日本の諜報力は高く、後の探偵の調査術にも影響があったそうです。戦時も平時も諜報は国防の要になります。
*この事実は、注目すべき点です。現在のCIA(アメリカ)、MI6(イギリス)、さらに、モサド(イスラエル)にも潜在的には匹敵する諜報機関だったのでしょうかね(by基礎医)
この頃の阿南惟幾氏の人望や職務への精勤ぶりへの評価が徐々に高まり、「同期に阿南あり」と言われるようになったそうで、陸大の同期生で、上官や上層部に対する歯に衣着せぬ発言で知られる石原莞爾氏も、阿南惟幾氏には生涯にわたって好意を抱き続けたそうです。癖の強い石原莞爾氏は自分にない阿南惟幾氏の円満な人格を高く評価し、滅多に人の意見を肯定しない癖強の石原莞爾氏が阿南惟幾氏の意見だけは、素直に「阿南さんがそういうならよかろう」と肯定して周囲を驚かせたこともあったそうです。
阿南惟幾氏が人事局長時代に力を入れたことのひとつに、将校の不足解消であり、不況による軍事費削減で日本陸軍は現役将校不足に悩まされていましたが、阿南惟幾氏が各方面に将校不足を説いて回り、ついには800名増員を実現したとあります(ウィキペディア参照)。
1938年の3月1日、阿南惟幾氏は 陸軍中将に昇進し、7月に板垣征四郎陸軍大臣から、陸軍参謀本部が発議した皇族軍人の秩父宮雍仁親王を参謀総長に就任させる案の検討を命じられます。
秩父宮雍仁親王は、昭和天皇の弟君です。
陸軍軍人で安藤輝三大尉の思想に感じ入り、昭和天皇と激論したと言われ、青年将校と引き離され、2.26事件の際は昭和天皇からお叱りを受け、歩三の森田利八大尉を介して青年将校らに自決せよと伝えたエピソードがあります。またそこから成長し、後の同盟国ヒトラーとの会談にてヒトラーがソビエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンを激しく罵り、「私は彼を信じない、また憎みます」と口にしたさい、秩父宮雍仁親王は英語で「お互いに一国の責任者として、民族を指導し、世界の平和に貢献しなければならない重大な責務のある貴方のような方が、他国の代表者を、そのように毛嫌いしたりまた憎んでもよいものでしょうか?」と返したり、付き武官の本間雅晴に対して「ヒトラーは役者だ。彼を信用することは難しい」と述べていたりします。
話を戻し、
英邁と名高かった秩父宮雍仁親王を、老齢の現参謀総長閑院宮載仁親王と交代させたいという意向の人事であったそうですが、いくら英邁とは言え秩父宮雍仁親王はまだ陸軍大学を卒業して7年しか経っておらず、大佐にすら昇進していなかった為、軍規に厳格な阿南惟幾氏は、このような特例人事には批判的であったそうで、「参謀総長は陸軍大将、中将であることを要し、いかに皇族だからといって階級は級を追って進むべきである」と拒否したとあります。
しかし、参謀本部は1度では諦めず、3週間後にもう1度同じ発議をしましたが、阿南惟幾氏は前回と同様な手順でこれを拒否して首を縦に振らなかったとあり、このことで阿南惟幾氏は(皇族に)忖度したい板垣や参謀本部から煙たがられることとなります。
また、阿南惟幾氏の軍規に厳格であったことを示すエピソードとに、ある日部下と「忠臣蔵」の話になったとき、阿南惟幾氏は「忠臣蔵の大石内蔵助は忠臣の鑑とたたえられているが、私は同意できない。大石は法を犯している時点で褒められるべきではなく『道は法を越えず』でならなければならぬ」と部下に諭して聞かせたことがあったそうです。この忖度良しとせず実直な性格が後に阿南惟幾氏の出世に左右します。今回はここまで、
次回は大陸で八路軍と戦いにおける、阿南惟幾氏の強さをご紹介します。(阿南惟幾氏その5に続く。)
*現在連載されています、神奈川のYさんの連載ブログですが、これ以後は、DOJOサポーター中四国支部ブログに場所を移動して続きます。引き続き、よろしくお願い致します(by基礎医)。
文責 神奈川県 神奈川のY
4 件のコメント
神奈川のY
2025年5月24日
あしたのジョージさま、コメントありがとうございます。また皇統クラブ活動の報告など書かせて頂きますので、終わりじゃないですよ。阿南惟幾氏と鈴木貫太郎氏のブログや軍人さんシリーズはお引越しになりますが、引き続きよろしくお願い致します。
あしたのジョージ
2025年5月23日
陸軍中野学校という市川雷蔵主演の映画があります。
私は見たことないですが興味深いですね。
その陸軍中野学校の基礎を築いたのが阿南惟幾氏なんですね。
皇族軍人をいきなり参謀総長に任命するのに納得しなかった態度は、忖度無しの強い意志がありますね。
鈴木貫太郎氏といい阿南惟幾氏といい今の人達にはない強靭な意志力と懐の深さがあるように思いました。
今回で連載は愛子さまサイトから離れるのでしょうか。
だとしたら残念ですね~🥹
基礎医学研究者
2025年5月23日
(編集者からの割り込みコメント)ブログ主さまからのコメント、ありがとうございました。「愛子天皇への道」サイトを代表しまして、これまで、多数のブログを寄稿いただいたこと、感謝致します。
で、「陸軍中野学校」というと何かダークなイメージがありましたが、実際はその諜報技術はなかなかのものだったようですね。私立探偵「濵マイク」、自分も見ていました!これが、大東亜戦争の戦略立案にはあまり役に立っていなさそうなのは、少し残念なところ(要は、重要な情報を正しく認識し、用いれるのかどうかにかかっている、ということになりますね)。あと、個人的には、石原莞爾は、板垣征四郎だけでなく、阿南さんにも素直だったのですね。どうも、こういう切れ者は、自分とは違うタイプ(器量の大きい人物)にやはり惹かれるのだと、改めて思った次第です。
神奈川のY
2025年5月23日
基礎医さま、素敵な編集・推敲ありがとうございました!また、皇統クラブ活動の報告ありましたらお世話になります。
また、基礎医さまが言及された諜報機関ですが、当時海軍の暗号など解読されまくりでしたが、陸軍の暗号は解読難しいとありました。陸軍の売りは諜報・ゲリラ活動・ゲリラ戦かもです。また、陸軍の元諜報員が創始者の探偵養成所は戦後から人探しから始まり、濱マイクシリーズにも関わったところで、そこの教えは陸軍中野学校のノウハウが観れると思います。外国の要人も一目置いたとか。日本の公安もすごいと思いますが、民間の探偵もすごいと思った次第です。