愛子さまの御名をタイトルとして、天皇ご一家沖縄ご訪問における対馬丸記念館でのご様子を描写した記事を、読売新聞が出していました。
壁一面に児童や引率者ら413人の遺影が並んでいた。犠牲者の一部しか集まっていないと聞いた
愛子さまは「写真だけですか。肖像画を集めてはどうでしょうか」と提案もされたという。
視察のあと、対馬丸の生存者高良政勝さん(85)らと懇談された。
「愛子も連れてくることができました」という皇后さまの言葉に高良さんは「つい、友達みたいに……」と恐縮していた。両陛下は3年前の沖縄訪問で面会した高良さんから、
「次はぜひ愛子さまも」と誘われたことを覚えておられたのだった。
「どういう仕組みがあるとボランティアがしやすくなりますか」能登半島の被災地においても
愛子さまは実務的なお言葉を述べておられました。
愛子さまがすべての人々にきめ細やかな感性で寄り添いつつ、それをどう実現してゆくかという知性的な視点を持ち合わせていらっしゃることが伝わります。
「3代目もご一緒されたのでね、非常に光栄に思いました」と次代の象徴として相応しい
愛子さまへの自然な敬愛の言葉を誕生させた方は
雅子さまに素敵な願いを叶えていただいていたのですね。
人々の思いを掬い上げ、最善の形で実現しようとする類まれなる資質を示された
愛子さまと雅子さま。ここでも麗しき継承がなされているように感じます。
「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ
1 件のコメント
京都のS
2025年6月22日
これらのエピソード群を思えば、西田昌司氏が如何にネトウヨ的かは明々白々ですね。