古代の双系社会と皇位継承(2)重要な役割を果たした女性天皇

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前回は、古代日本が双系(双方)社会であったことを説明しました。

1.双系社会だった古代日本 https://aiko-sama.com/archives/5652

2.重要な役割を果たした女性天皇 (今回)

3.女性天皇の御子にも皇位継承資格があった (6/5 掲載予定)

4.時代によって変わる皇位継承のあり方 (6/7 掲載予定)

今回は、古代日本における女性天皇の姿を、初の女帝である推古天皇を中心にご紹介します。

2.重要な役割を果たした女性天皇

従来、推古朝で実施された冠位十二階制定などの政策はすべて「皇太子」で「摂政」でもある聖徳太子(厩戸皇子)の実績で、女性である推古天皇は形式的存在と考えられていました。

   

しかし現在の研究者の間では、このような認識は概ね否定されています(荒木 1999、成清 2005、義江2021)。

   

それでは、女性である推古天皇はなぜ即位し、天皇としてどのような立場にあったのでしょうか。

   

7世紀末までの日本は律令国家の仕組みができておらず、支配機構が未熟であるため、天皇には統治者に相応しい個人的資質や統治能力が必要とされました(荒木 1999、義江2021)。

   

額田部皇女(推古天皇)の場合、敏達天皇のキサキとして独自の「宮」(経営拠点)を持ちその経営実績があるほか、皇族の女性尊長(長老)として穴穂部皇子の諌殺許可や崇峻天皇の次期天皇への指名など実質的な天皇代行としての統治実績がありました。(仁藤 2006、義江2021)。

   

推古天皇の前代の崇峻天皇が暗殺されたことで、群臣はこの後安定した政治を回復できる統率力のある執政者を切望しており、群臣がこの統治実績によって即位を要請したことにより、額田部皇女は即位したのです(義江2021)。

  

実際の統治も、推古天皇の命令(詔)で群臣が活動しており(仁藤 2006)、また推古天皇が崩御し舒明天皇が後継者として決定された際には推古天皇の遺志が影響を及ぼしました(成清 2005、佐伯 2019、義江2021)。

  

研究者たちは、こうした実績から推古天皇の統治者としての地位の重みは中継ぎと言えるものではなかったと評価しています。

   

また、持統・元明・元正天皇も、これまで文武天皇や聖武天皇が成長して即位するまでの中継ぎの存在と見なされてきました。

  

しかし、実際にこれらの天皇は、譲位後も太上天皇として国政に関与し大きな影響力を保っていたことが分かっており、また都の造営や律令の編纂など大事業が目白押しの時期の中で、これらの女帝を単なる「お飾り」とするのは無理があるとされます(仁藤 2006、義江 2021)。

  

以上のように、古代の日本では双系(双方)社会を背景に、女性も天皇として「中継ぎ」という消極的な立場にとどまらない重要な役割を果たしていたのです。

   

次回は、女性天皇の御子にも皇位継承資格があったことをご紹介いたします。

   

参考文献

荒木敏夫 1999 『可能性としての女帝』青木書店

佐伯智広 2019 『皇位継承の中世史』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館

成清弘和 2005 『女帝の古代史』(講談社現代新書)講談社

仁藤敦史 2006 『女帝の世紀』(角川選書)角川書店

義江明子 2021 『女帝の古代王権史』(ちくま新書)筑摩書房

  

 文責 東京都 りょう

  

次回は 6/5(土) 掲載予定 3.女性天皇の御子にも皇位継承資格があった 

9 件のコメント

    れいにゃん

    2021年6月5日

    額田部の皇女、穴穂部皇子、等の名を出されては「日出ずる処の天子」好きとしては、反応しないわけにはいきませんでした。推古天皇を「中継ぎ」とみるのはかなり無理があることが、このまとめでもよくわかります。血筋の上でも敏達天皇と同格、蘇我系の後ろ楯もあり、宮の経営実績もある。明らかに実力があり、相応しいから、望まれてその地位についたことがよくわかりますね。

    基礎医学研究者

    2021年6月4日

    期待していた通り、りょう様の今回の論考も非常に説得力があり、かつ勉強になりました。まず、これが、率直な感想でございます。”愛子さまを皇太子に!”、最終的にはこのような強い思いの”熱量”となっていくのだと思いますが、一方で、双系こそが本来の歴史・伝統であるという、理論的裏付けがある方が、確実に多数の人々を説得しやすいと思います(柔軟な思考を持った人に限りますが(^_^;))。そして、「中継ぎ」という言い方には確実にnegativeな印象がありますが、この言い方自体が今回論じられているように、やはり「ドグマ」なのだと思った次第です。
     それでは、次回に期待致します。

    チコリ

    2021年6月4日

    コメント2回目です。すみません。

    「旧来の研究は近代の価値観をそのまま古代に当てはめて「女性は中継ぎ」と思い込んでいたと現代の研究者の多くが指摘」

    なるほど!ですね。
    今の価値観を当てはめて、自分の知らない時代を語る、
    雑に生きていると、無意識にやってしまいます。
    私も母との日常会話でよくやってます。古い!みたいな。

    何故そんな短絡で野蛮な事をするかといえば、
    当時そこにいた人の背景を理解しようとする気持ちが全然ないから。
    自分の価値観で間違いないのだ!と言う傲慢な気持ちが根底にあるからですよね。

    今は、皇室存続の危機、カウントダウンの時だから、
    真剣に、検証しないと、ですよね。

    でも、過去に女性天皇がどうだったか、という検証がそんなに大事な事だろうか?
    仮に、過去に女性天皇が中継ぎ的存在だったとしても、
    今、皇室存続の危機にあって、だから女性天皇はダメという理由には、絶対!ならないですよね!
    (ああ、なんだか、怒りが湧いてきました。書いてる事が支離滅裂ですみません)

    最近すっかりニヒリズムに陥ってしまい、
    「日本愚民は、皇室が消滅して初めて、失ったもののあまりの大きさに気づいて、号泣しろっっっ!!!」とか思っていました。
    すみません。(自分もその日本愚民の1人のくせに)

    ここで一貫して声を上げ続けている皆さんのお陰で、覚醒され、喝を入れて頂き、心から感謝しています。ありがとうございます。

    愛子さまを皇太子に!女性宮家創設!皇室の安定的存続を成し遂げましょう!

    りょう

    2021年6月4日

    皆さま、コメントありがとうございます。史料を素直に読むと政治的資質があり豊かな経験を持った女性皇族が天皇として影響力を発揮していたことが分かるのですが、旧来の研究は近代の価値観をそのまま古代に当てはめて「女性は中継ぎ」と思い込んでいたと現代の研究者の多くが指摘しています。

    ちなみに、泊瀬部皇子(崇峻天皇)は、額田部皇女(のちの推古天皇)の推挙により即位しています。額田部皇女が強い影響力を持っていたことを示す事例です。

    タルト

    2021年6月3日

    参考文献を何冊も読み込んで、文章を簡潔にまとめられていて、素晴らしいと思います。
    第3回、第4回も楽しみにしております。
    日本古代の良いところを復活して生き生きとした日本の未来が開けることを、念願します。天皇直系の愛子様が皇位を継承され、新しい伝統が始まることを、心から希望いたします!

    ただし

    2021年6月3日

    真の能力主義が、双系社会で機能していたのですね。外敵が居なければ、これほど暮らしやすい社会はないですね☆♪

    ねこまる

    2021年6月3日

    男系派の「女帝は中継ぎ」という主張が偏見に満ちた思い込みだという事が良く分かりました。
    きっと資料など関係無く「女だから」と決めつけているのでしょうね。
    そんな決めつけで皇室を存続の危機に晒すわけにはいきません。声をあげましょう。
    愛子さまを皇太子に!

    チコリ

    2021年6月3日

    たくさん本を読まれて勉強され、わかりやすくまとめて下さり、ありがとうございます。頭が下がります。

    女性天皇を、あくまで中継ぎのお飾り的なものであったと決めつけてる人達は、「自分の信じたいものだけを信じる」人で、真実を見ようとしない。お勉強も検証もしない、したくもないのでしょう。
    変えてはいけない伝統とか言っちゃってるけど、
    つまり、「女じゃダメなんだーっ!」それだけです。

    私達は、きちんと知識をもって、冷静に、打ち砕いていきたいものです。(ああ、ワクワクしてきました)

    ダダ

    2021年6月3日

    推古天皇は先代の崇峻天皇からの指名(!)で即位され、後継の舒明天皇の即位にはご自身の遺志が反映されていたのですね。
    しかも統治実績と群臣からの要望もあったというのですから、これを形式的存在と評価するのは無理がありますね。
    勉強になりました。投稿ありがとうございました!

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