【8/6~8/15 天皇制を考える10日間】1. 愛子さまの作文 ~天皇の祈りと現実の葛藤~

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「愛子さま 皇太子への道」実行責任者のL.Kです。
本日、8月6日は広島原爆の日です。
76年前の今日、広島に原子爆弾が落とされ、多くの命が奪われました。
その9日後の8月15日に、日本は終戦を迎えます。

本日を含む10日間に、上皇陛下が挙げられた
「(日本人が)忘れてはならない4つの日」のうちの3つが集中します。
この10日間は、日本の存亡を大きく左右する10日間でした。
それは同時に、天皇の存在が色濃く表れた10日間だったともいえます。

この10日間を機に、改めて天皇制について考えてみませんか。
本ブログでは、6日、9日、11日、そして15日に、それぞれに設けたテーマに沿ったブログを振り返りながら、天皇制について考察します。
参考にしていただけましたら幸いです。

1回目の今日は、「愛子さまの作文 ~天皇の祈りと現実の葛藤~」です。
まず、愛子さまの作文を扱ったブログを2本再掲します。


愛子さま 広島 女性ならではの感性


愛子さまは広島へ修学旅行に行かれましたね。
私はその時の作文を拝読して、次の箇所にハッ!としました。

『原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた』
『七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない』

原爆にあった人たちの声にならない声を聴き、ご自分の事のように受け止められたこれらの文は、「優しさ」とか「共感性」といった言葉では十分に言い表せません。
言葉をはるかに超えた、鋭いキラリとした感性と言えばいいでしょうか。

こんな鋭い感性をわずか15歳の女の子が身につけているということに、私は驚き胸を衝かれたのです。
愛子さまの感性はかけがえのないもの。
身に付けようと思っても身に付けられるものではありません。

だからこそ、その女性ならではの感性でもって痛む人たち、悲しむ人たちに寄り添っていただければと願っています。

女性ならではの感性を豊かにお持ちの愛子さま。
愛子皇太子を切望しています。

文責 京都市 ユディト(初出:令和2年5月8日)


平和は人任せにしない


先週、こんな記事を目にしました。
【国連次長が感動した愛子さまの作文「平和は人任せにしない」】
https://jisin.jp/domestic/1886818/

この記事では、天皇陛下が日本武道館の「全国戦没者追悼式」において

《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》

と新型コロナウィルスに言及されたことが紹介されています。

また「皇室担当記者」によれば、
「平成の時代、戦没者追悼式のお言葉に自然災害や社会情勢への言及が盛り込まれることはありませんでした。今回、天皇陛下がコロナ禍に触れたことは異例のことです」

どうしても避けられない自然災害や社会情勢とは事情が異なるためか、
陛下のご真意は想像するしかありません。
しかし、今回の新型コロナ騒動は、感染拡大そのものよりも、
その恐怖の拡散によって引き起こされた、経済被害、人々に根付いてしまった
偏見や差別など、疫病以外の大規模な人災という視点も大きいと思います。

ここに、天皇陛下が、異例であっても、先の大戦と重ねられていることに、
天皇というお立場のスケールの大きさや、常人では及ばぬ深いご洞察を感じずにはおれません。

同時に、あくまで人任せにせず、自分たちの手で困難を乗り越えていこう(いける)、という力強いメッセージとしても受け取りました。

この記事では、その後半で、愛子様の作文も紹介されています。ご存じの方も
多いと思いますが、愛子様が広島を訪れになったときの作文です。

《「平和」は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築き上げていくもの》

これが中学生の作文かと思うほど、力強い使命感を感じるメッセージですが、
この記事を書かれた記者さんが、「全国戦没者追悼式」での天皇陛下のお言葉で、この愛子様の作文を想起された感覚は、よく分かる気がします。

平和はもちろん、疫病やそれに伴う偏見や差別などの人災も、
災害も、自由も、法治主義も、民主主義も、
国民のことを思い続けて下さる天皇陛下も、
天皇と国民が敬愛で結ばれ続けるための皇位の安定的継承も、

天皇陛下のご意志を直接受け継ぐ愛子様の仰る通り、

「人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築き上げて」

いかなければならないと、思いを新たにしました。

(文責 広島県 三味線)(初出:令和2年9月5日)



愛子さまは、修学旅行で広島を訪れられ、その時受けた衝撃を卒業論文に認められました。
そこには平和への切実な願いとともに、それがいかに困難であるか、という現実への葛藤が伺えます。
その願いはまさしく天皇の祈りに通じるものでしょうし、同時にご自身の願いに反する現実に向き合う誠実さも表れています。

厳しい現実を前にしたとき、私達は天皇の祈りとどう向き合うべきなのでしょうか。
天皇の祈りを金科玉条として、ひたすら衝突を回避すべきか。
あるいは、現実を優先して天皇の祈りを無視するのか。

どちらも違うと思います。
国政の権能を託された私たちは、戦争も含むあらゆる手段を選択肢に入れて、日本を守っていかねばなりません。
しかし、日本を守るためなら何をしても良い、ということには当然なりません。
なるべく犠牲を出さないように。講和への道を閉ざさないように。
法の及ばない、人道的態度を保つために最も強い規範となるのが、天皇の祈りであると考えます。
日本を守りつつ、最大限、天皇の祈りを体現すること。
それが私たちに求められることではないでしょうか。

そしてこれは、戦時中に限りません。
平時の政策においても、天皇の祈りを指針とすることが、
日本が日本として発展していく上での道しるべとなるのではないでしょうか。

4 件のコメント

    ただし

    2021年8月10日

     心に響く文章でした。
     どうも、ありがとうございます。

     日本を守りつつ、最大限、天皇の祈りを体現すること。
     これこそが、我々日本人が目指すべき道なのだと言うことが、分かりました。

    基礎医学研究者

    2021年8月8日

    L.Kさまのこの企画に感謝致します。私は、愛子様のこの作文を知らなかったもので、とても貴重な知見でございました。そこからは、”平和への祈り”といっても決して、安易な反戦主義的な意味ではなく、日本の歴史を背負った葛藤が、ユディトさまおよび三味線さまのブログから伝わってきた次第でございます。

    京都のS

    2021年8月7日

     戦時中の全体主義とコロナ禍の全体主義はよく似ています。前者は「ぜいたくは敵だ」「鬼畜米英」「一億火の玉だ」、後者は「外出は敵だ」「ゼロコロナ」「一億(感染の)火だるまだ(から自粛しろー!!)」…。どちらも非常に好戦的で、弱者のことを全く等閑視しています。戦時の前者は出口戦略を自ら手放した部分もあるように思いますが、現在の後者も同じく出口を自ら閉ざし始めています。天皇の御心を思うなら、その赤子たる国民は、己の立場やメンツといった私事を捨てて出口戦略を模索すべきだと思います。国民に多大な犠牲を強いるワクチンが出口戦略だと考える軍部的な専門家やマスコミ人、政府要人らは、己のメンツのことしか考えていません。天皇陛下が体現される無私の態度を少しは見習うべきでしょう。

    ダダ

    2021年8月7日

    まず、L.Kさまのこの企画が凄いです!
    ご紹介のお二方のブログからは天皇の精神が受け継がれていることが良く分かりました。
    国民も天皇に続かなくてはいけませんね。「個」は誰にでもあるのですから。

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