
『「世間」とは何か』(阿部謹也著)によれば、日本の「世間」で重視されるのは「長幼の序」と「互酬」だとされますが、互酬は「何かをしてもらったら相応の何かで返す」という義務感を双方が持つことを意味し、これが「お互い様」の相互扶助に展開し、口約束も違えない相互信頼の源泉にもなり、それゆえ「縄文文明」は文字や法を発達させる必要が無かったと思われます(文字が不要なら文明の必要条件④:×)。また長幼の序は年齢の上下よりも世間的な権威の方が暗黙的に重視されたと思われ、縄文期の母系血族集団では相応しい振舞の「長老(♀)」に権威が付いたはずです。こうした縄文文明のエートスが活きているからこそ、古墳被葬者の半数が女性首長となり、『養老令』の継嗣令には「女帝の子も亦同じ」という原注が付いたわけです。要するに「女系天皇こそ縄文文明から続く日ノ本の伝統」だとすら言えます。
一方、異邦人(渡来人)を邦人として迎え入れるのは「世間の空気」だと考えられます。コロナ自粛禍やワクチン禍を経た今「空気」にはネガティブ・イメージが付き纏い、また戦前の「イケイケどんどん」な空気が大東亜戦争に向かわせたことも一面の真実ですが、だからこそ異なるルーツや背景を持つ人々を包摂する程のパワーも期待できます。なお、空気には発生源や蔓延の経緯によって種類があると思われ、それは❶権威者の容認した空気、❷インフルエンサーの起こした空気、❸世間の中で自然発生した空気の3種類です。❷+❸が禍(排外的暴動・侵略戦争・自虐史観・従米ホシュ・原発ムラ・不謹慎狩り・コロナ自粛・ワクチン薬害・キャンセルカルチャー・皇室バッシング…)を起こす悪性の空気だとすれば、国民が権威者(天皇)を忖度した場合の❶は良性の空気だと言えます。ただし、ポピュリスト(近衛文麿・軍部…安倍晋三・高市早苗…)が天皇を政治利用した場合は❷であり、それに民が乗っかる事態(❸)は徹底批判せねばなりません。
ちなみにルーツの異なる移民とて日本的世間主義(個人の意見を貫くより世間の空気に同調する)に染まってしまえば、多数派の蔓延させた空気には逆らい辛くなるでしょう。それゆえ自らのルーツに関わりなく蔓延する空気に水を差す覚悟が求められる時代かもしれません。しかし、かつて安倍政治を批判した左派ですら高市批判に及び腰な今、約80年前(大東亜開戦前)と同程度にヤバいと直感されます。
文責:京都のS
1 件のコメント
京都のS
2026年2月20日
以前、「平等と格差の間」( https://aiko-sama.com/archives/26956 )で井上達夫氏の皇室廃止論に反論を試みたことがありますが、本論の「空気の種類❶~❸」で回答できたかと思います。井上氏は❶も❷も❸も一緒くたにして空気の発生に関わるものとしての天皇制を全否定しましたが、❶か?❷❸か?を厳しく分別することで破局は免れると考えます。悪いのはポピュリストやインフルエンサーや悪質なデマ屋です。