平等と格差の間(起)~ガチャという難問

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 「親ガチャ」が話題に上ることの多い昨今ですが、これは親の容姿や才能といった遺伝子配列、親の性格や家庭の文化・経済状態といった生育環境が子供の未来に大きく影響することを指す、主にガチャ敗者による恨み節だと思われます。ここで皇室に生まれることはガチャ勝者なのか?という論点が出てきます。天皇が権威と権力を併せ持っていた古代ならいざ知らず、国家が国民の人権(自由・平等)を保障する建前の近現代立憲国家にあっては、国民の範疇から外れた皇族は人権を大きく制限されます。国民から好き放題に言われても皇族や関係者は反論すら許されていないことが典型です。ゆえに遺伝子・文化・経済状態などの点で有利と見えても、皇族という特殊な地位は奴隷や生贄に近い身分だと思われ、やはりガチャ敗者としか思えません。従って真正リベラルの井上達夫氏ならずとも常識人の目には皇族方の現状は「フェアネス(公正)じゃない」と映るでしょう。

 ところで、ガチャには「遺伝子ガチャ」や「環境ガチャ」だけでなく「時代ガチャ」や「場所ガチャ」もあると思われます。例えば「時代ガチャ」なら、第一次世界大戦の軍需により空前の好況を享受した世代が大恐慌期を経て第二次大戦を熱望し、結果として下の世代を戦地に送り出して戦傷病死させたことになるわけですが、この両世代間の格差は天と地だと言えます。これは日本における団塊と団塊ジュニアの関係やコロナコワイ世代と自粛世代の関係とも相似形です。そして「場所ガチャ」ですが、4大プレートの合わせ目に位置することで巨大地震や津波のリスクに晒され、また太平洋上で発生した台風や低気圧の通り道であるために大量降雨による水害・土砂災害のリスクに晒される日本列島の住民は場所ガチャ敗者ではないか?という論点をココから導けます。

 しかしながら有利と不利は背中合わせであり、水の多寡も同様です。例えば、住民が過ごしやすい気候(温暖湿潤)、動植物が育ちやすい環境(造山活動がミネラルを湧出)、利用できる陸水が豊富(植物が地下水を涵養)といった条件は農耕・漁労・採集で命を繋ぐには有利ですが、上記したように水災害で命を落とすリスクとはトレードオフの関係です。

(承)に続く。  

文責:京都のS

6 件のコメント

    京都のS

    2023年6月4日

    京都のS

    2023年6月2日

     「平等と格差の間」シリーズは、浩宮殿下の御著書『テムズとともに~英国の二年間』をテキストとして書かかせてもらった「自由と規制の間~その悲壮な覚悟」( https://aiko-sama.com/archives/25940 )の後継ブログです。今回の基本テキストは同じく浩宮殿下の御著書である『水運史から世界から水へ』です。
     ちなみに、フランス革命時掲げられた「自由・平等・博愛」という三福対に対する西部師匠からの回答は、自由と規制との間で平衡を取って活力、平等と格差との間で平衡を取って公正、博愛と競合との間で平衡を取って節度です。

    京都のS

    2023年6月2日

     続いて論点②です。「反出生主義」の中で一般化されたものは出生前診断です。これは親が調整するものです。また親が障害者の場合も「産む権利」を認めろと言う声は左側から聞こえてきますし、社会全体で産まれてきた子をケアしろとも言います。つまりリベラル的に「気前よく」やれってわけです。「五体満足で産まれたんなら文句を言うな…他のガチャ敗者であってもソンナノカンケーネー…カネを出せ」ってわけです。
     そして、親が調整しない場合(子が否応なく生まれてくる場合)がカルト二世や虐待する親から生まれた子です。これらは親に復讐しても許されるケースだと私は考えます。山上徹也氏はカルトの頭目に復讐する道を模索し、それが出来ないと知るや最もデカい広告塔(安倍晋三)をターゲットに選びました。この件は「カルトと結びついた政治屋どもの世間」という直接的な問題点だけでなく「男尊女卑世間」や「男系固執世間」といった副次的な岩盤世間の存在を露呈させました。また小川さゆり氏は外国特派員協会での記者会見という形を取りました。これもカルトへ厳しい目を向けるべきことを実感させました。
     さて、「無理ゲー」とは言っても、人間という動物は元々の自然状態では弱肉強食でした。不利な状態で産まれた野生動物も本能に従って生き、そして死んでいきます。本能が壊れた人間だから不合理・不条理を感じ、救いを求めて宗教や大いなる存在に縋ります。これが「不合理の棚上げ先としての天皇」という、「日本病を癒すのは誰か?」( https://aiko-sama.com/archives/21995 )で挙げた論点です。

    京都のS

    2023年6月2日

     殉教様、また難しい論点を出してきましたね。世間には「救われるべき弱者」と「自業自得の弱者」が居ると思われており、それを決めるのは実はメディアだったりします。「感動ポルノ」として数字の取れそうな件が「救われるべき弱者」で、悲惨ではあっても同情を引けそうにない件は「自業自得の弱者」とされるはずで、後者が「中途半端な立ち位置」に相当するはずです。ただし、弱者のルックス次第で「救われるべき弱者」に昇格できる可能性があるのも世間のイヤらしい点です(世間はその地位からの転落すらも楽しむ)。「中途半端な弱者」も、そして「救われるべき弱者」のみに同情の目を向ける「中途半端な強者」も共に!皇族方や関係者に対して怨嗟の声を上げていたりします。つくづく世間とは度し難いものだと感じます。しかしながら世間は空気で動くものですから、いくつかの岩盤世間が崩れるのを目にすることで空気が入れ替わり、いくつかの問題解決の糸口になるかもしれません。以上が論点①に関して思うところです。

    殉教@中立派

    2023年6月1日

    2つほど、論点が浮かびました。
    ①「棚上げ先」の天皇と、相対的弱者
     歴代陛下のサバイバル術の一つに「一番下の弱者と握手する」があります。その上で祈りを行い、ご公務で触れ合う事が出来なかった「弱者」「死者」まで含め、祈りで包み込むのが、現代の天皇像だと思います。
     一方、親ガチャ敗者・相対的貧困層などは、弱者としては「中途半端な立ち位置」でしょう。「一番の弱者層」「一番の強者層」は、理由こそ違いますが、陛下や皇族と、お目通りの機会があります。そこに含まれなかった弱者の一部が「#小室さんの結婚に反対」「#秋篠宮家の離脱を求めます」に走っているのではないでしょうか。日本のような大きな国で、皇室の存在をリアルに実感できる機会は、少ないようにも思います。そうした隙間を、悪質メディアや男系カルトに狙われると、今以上に(民と皇室の)紐帯が揺らぐでしょう。

    ②ガチャ問題の回答としての「反出生主義」
    (ちょっと自分の趣味に走ります)
    「そんなにハズレくじ(ガチャ結果)に文句を付けるなら、最初からくじを引かなければいいだろう!」というのが、反出生主義です。
     くじの結果部分については、事前に「調節」できる要素も、一部にはあるでしょう。例えば、障害者施設のカップルが「不妊手術」を受けていた問題。生まれた子供が、ほぼ100%ヤングケアラー化する以上、「子供の福祉」の問題が出てきます。「親の権利(産む権利)」VS子供の福祉が衝突する以上、不妊手術は100%悪とは、言い切れないと思います。これは山上容疑者や小川さゆりさんのような、宗教2世などにも当てはまります。つまり「産まれてくることよりも、こないほうが幸福だ」という事。
     そうした「敗北の要素」をプラスに転化できるのか・改善は可能なのか。出来ないならば、棚上げは可能か。誰もがそれを求めてもがきますが・・・現代では、そうした取り組みが実を結ぶことは、極めて「無理ゲー」と化した感があります。皮肉にも、こうした背景があるからこそ、皇室の役割を(肌感覚で)実感しています。

    京都のS

    2023年6月1日

     最初は何を書いてるのか判らないと思います。(承)→(転)と進むにつれ、ますます判らなくなるかもしれません。でも(結)を迎えたら少しは解っていただける気がします。「Sの日本人論シリーズ」の中でも難問だった「世間論」にも、現時点では(結)で一応は回答を出せたと思います。

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