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新渡戸稲造の『武士道』を参照した上でのSナッシュ(西部邁)氏の解釈によれば、武士道の構成要素としては、仏教全般から死に親しむ観念、禅から絶対へ向かう精神の鍛練法、神道から忠や孝(儒者の山崎闇斎らによる朱子学との習合の結果と思われる)、孔子から仁慈と処世の智恵、孟子から惻隠の情(同情心)を取り入れ、さらに行動者としての武士には陽明学の「知行合一」も必要だったとしています。
『武士道』を書いた新渡戸稲造と『代表的日本人』を書いた内村鑑三は共にキリスト者ですが、内村は西郷隆盛こそが最も代表的な日本人だと捉えており、その西郷は陽明学徒として生きました。また内村は王陽明こそがキリスト教の信仰に最も近づいた東洋人だと考えたようですが、これはキリスト教の良心と陽明学の良知との近似性によるでしょう。しかしながらナッシュ氏は、知行合一を掲げて良知を致す陽明学徒が矯激な行動に走りがちなことを指摘し、そうした傾きが西郷にも無かったとは言えず、三島由紀夫が矯激な行動者の代表と見られた点も押さえ、それゆえ武士道を陽明学的色付けから解放したいと言いながらも、山本定朝による『葉隠』の最高潮である「武士道といふは死ぬことと見つけたり」へ至るには陽明学も必要だったと結論したわけです。また日本国民の道徳規範としての武士道が陽明学の良知を含むからこそ、Rベネディクトの「恥の文化」批判への反論も成り立つと言えます。
少し当サイトの趣旨からズレますが、ここから『葉隠』に深入りします。「武士道といふは死ぬことと見つけたり、二つ二つの場にて早く死ぬはうに片付くばかりなり、別に子細なし、胸すわって進むなり」に続けて定朝は、当てが外れたら犬死とか言うのは思い上がった武道であり、生死の境で必ず目論見を果たせる保証は無いから、人は生き残れる方に正当な理由を付けがちだと見抜き、もし目論見が外れて生き残ったら腰抜け、目論見が外れて死んでも死狂いであって恥にはならず、これが武士道の要諦だと言います。そして、常に死のイメトレをしておけば武士道を我が物とし、一生落度なく職務を全う出来ると言います。ちなみに、死が遠のいた江戸期の太平武士の場合、家老となって主君の非道に諫言し、然る後に切腹を命じられて果てることが最高の忠義だとされ、遺体を焼く煙から我が心を察してほしいという願いは狂おしいばかりの主君への恋闕だと言えましょう
(急)に続く。
文責:京都のS
2 件のコメント
京都のS
2023年3月15日
『葉隠』に迫ったものとしては他に「男前な女性たちに倣い、胸すわって進もう」( https://aiko-sama.com/archives/21825 )があります。
京都のS
2023年3月13日
さあ、明日の(急)で到達する着地点を見てくださいませ。