『天皇陛下万歳』への道程(序)

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 以前、当サイトにスティーヴン・ナッシュ氏の『日本人と武士道』をテキストに書いたブログを何度か掲載していただきましたが、本書は米日の比較文化論に留まらず「より良く生きる」ための哲学書・思想書でもあり、さらには最も核心に迫った武士道指南書でもあります。また謎の米国人Sナッシュとは、自身の死生観を始めとする思想を自身の人生でもって体現(自死でもって完結)した故西部邁氏なのです。当サイトは、その性質上「菊と刀」においては当然「菊」が中心ですが、場合によっては「刀」の部分にも踏み込まざるを得ない時があると思われ、そんな時は西部師匠の武士道論が最適だろうと考えました。

 まず導入で少し触れたルース・ベネディクトの対日プロパガンダ書『菊と刀』から論じます。Rベネディクトは同著で、過去と世間に負い目を負う者としての日本人には自立心が無く、それゆえ集団に埋没して全体主義を形成し、だから戦争も起こすのだと言いたいようです。直ぐにも反論すべきですが、3年以上も弱毒コロナを恐れて自粛した我らに資格は有りましょうか? ナッシュ氏は新渡戸稲造の『武士道』を引きつつ、日本国民の中に「『武士道の光』への感受性が残っているか否か」が問題だと反論します。以下では、我々に「武士道の光」が残っているのか?と問いつつ皇室問題も絡めて論じたいと思います。

 「宗教なしでどうして道徳教育を授けるのか?」と尋ねられ、新渡戸が出した答えは「自分の正邪善悪の観念を形成しているのは武士道」というものでした。『武士道』の徳目の一つ「名誉」の感覚には「人格の尊厳や価値の自覚を含む」ために武士は「深い廉恥心」を持ち、ゆえに名誉を汚されることを嫌ったとナッシュ氏は言います。であれば、ベネディクトの言う「欧米キリスト者は内面的な罪の自覚から善行を行う罪の文化」で「日本人は外的強制力によってしか善行を行えない恥の文化」という二項対立は愚かしく思えます。なぜなら、切実な道徳問題を伴う限界状況(二つ二つの場)において「早く死ぬ方に片付く」ことには、世間や先祖への廉恥心ばかりでなく、人格の尊厳を守るという内的な自覚も共存するからです。また行為の結果が生死に直結しにくい現代社会にあっては地位や職を辞すことが「早く死ぬ方」に該当します。従って誤ったコロナ対策を推進した医学者やマスコミ人、男系に固執して皇統断絶に導く言論人や政治屋は「武士道の光」から最も遠い存在だと言えましょう。

(破)に続く。      

文責:京都のS

5 件のコメント

    京都のS

    2023年5月2日

    京都のS

    2023年3月18日

     私は、この手の日本人論を当サイトで何本も書き連ねていますが、興味のある方は右上の「キーワード検索」の窓に「京都のS」と入れて🔍(検索)すると150本ほどヒットし、その中での50本ほどが該当すると思われます。試してみてください。

    京都のS

    2023年3月13日

    (参考文献)
    『日本人と武士道』(スティーヴン・ナッシュ著・西部邁訳)
    『武士道の逆襲』(菅野覚明著)
    『神道の逆襲』(菅野覚明著)
    『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』(小林よしのり著)

    京都のS

    2023年3月12日

     「師匠の思想で以て公邸2名を弾劾ス」( https://aiko-sama.com/archives/18469 )、「男系派ってバカジャナカロカ?」( https://aiko-sama.com/archives/20626 )、「歴史から自由になった日本人民は皇室を戴けるか?」( https://aiko-sama.com/archives/22679 )などが、Sナッシュ氏の『日本人と武士道』からです。
     本論は西部師匠への追悼の意味を含む論考であるとともに、Sの日本人論シリーズの最終章でもあります。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2023年3月12日

     掲載ありがとうございます。これは私が投稿した中でも過去一ヤバい奴です。序・破・急と続きます。間違っても「序」→「破」→「Q」になったり、「シン・テンノーヘイカバンザイ」が続いたりはしませんから安心してください(笑)。

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