(編集者より)
今回は、倉山の引用は1行しか出てきません!?それは、前回何げなく書かれていた「1行」は、これまでの文脈の中で考えると変な意味で「こちらの期待を裏切らなかった~」というもので、サトルさんが、これ以後展開する「(倉山の)妄言」に対する導入的解釈を行っているためであります(いつもと違う編集スタイルですが、あえてサトルさんのコメントの引用から始めます)。では、どうぞ<(_ _)>
*なお、朱子学については、当サイトでは京都のSさんがたびたび言及しております。自分の理解では、朱子学については、京都のSさんはややネガティブ、サトルさんはややポディティブなとらえ方をしていると思いますが、倉山のそれとは異なる態度なのではないかと…
(その36に対するサトルさんのコメント)
私、この「新井白石」の項に関しては、強い興味があります。
徳川の時代において朱子学が、日本独自のかたちで、深まるわけですが、時代の要請の 部分もあったのではないか……という「視点」です。
結果として「儒教」の中にある「宗教的」側面が解体されてもいる。
また、倉山の「思想的側面」は「時代の価値観」がすっぽり抜けており、前提すら無視する。
これは、本人が気づいてるかどうか知りませんが(なにせ、〇〇なんで)、いわゆる「左翼的設計主義」と同類だなと思っています。ここで、新井白石の功績?を考えるのであれば、「時代背景、制限」を考えなければ、歴史には学べないですし、それこそ「先例に学ぶ」ことすら、出来ないかと。私的考えでは、これは、「裁判的民主主義」の理解にも程遠い……かと。
さまざまな意味合いにおいて、「保守」とは断じて言えないかと思います。ただ、新井白石は「正しく」問題に気づいていると共に、「限界」も「露呈」していた……と捉えるのが、「歴史」「先例に学ぶ」態度であるとおもいます。
P168
「こうした努力が二千六百年続けられてきたから、皇統は保守されてきたのです。」
さて、倉山クン。
新井白石を、出してきてマウント取りたいのかな?
あのね、「側室制度が存在している状況」と「存在していない……させられない状況」とでは、なにか違うって思う?
「前提条件が違う」って言うんだな、これが!
前提条件が違う時に、同じことをすると、どうなるのかな?
それに、「閑院宮家」を作って「たから」と力説するけど、3宮家、さらに1つ加えて4宮家、
おまけに側室制度が「あってもなお困難だった」んと違うの?
で、今は、宮家はいくつ?側室制度はあったっけ?
子供の死亡率がぁ~!ってすり替えはやめてね。
つづく
6 件のコメント
京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)
2023年4月25日
屑山マン@ゲロ嘔吐スタイル「こうした努力が二千六百年続けられてきたから、皇統は保守されてきたのです」
尊皇派「まず飛鳥・奈良期に女系継承があったから『皇統=男系』という考えは間違っている!次に側室による非嫡系継承を認めるという『努力』なしには男系の皇統は続かなかったんだから、貴様ら男系派は側室の復活を主張しろ!」
サトル
2023年4月25日
基礎医さん
ありがとうございます。
コメント引用手法……御手数おかけしましたm(_ _)m
コメント記入に時間がかかったのも、理由はそこにあります。
意を汲み、かつ仕立ていただき、感謝にたえませんm(_ _)m
京都のSさん
補足……というより、簡潔にして明瞭……重要なコメントありがとうございます。(守破離、陽明学も、実はツボです。これはまた後程)
「一旦価値相対」して、ネガティブな部分、ポジティブな部分をだして「決める」……とても重要かと。
「因習化した今、変えなきゃいけません。一般人の家庭も皇室も。」……まったく同感にございます。
(偶然シンクロ?しましたが、先日の「おどれら……」には励まされました。)
それこそ歴史に臨む態度であるし、(皮肉なことに)先例、歴史に学ぶ……ではないかと。
余談ですが、倉持師範の「上書き保存の日本人」も実に興味深く、示唆的です。
倉山は「先例すら語れない人物」だった……と言うことですね。合掌。
京都のS
2023年4月25日
朱子学と陽明学を武士道との関わりで述べたのが「『天皇陛下万歳』への道程(破)」です。( https://aiko-sama.com/archives/24141 )
京都のS
2023年4月25日
朱子学(究理・先知後行)には良い面もありました。幕末に向けて水戸学(理を究めれば将軍より天皇が上)が興ったからです。しかし、それを実際の行動に移すためには陽明学(心即理・知行合一・致良知)が必要でした。水戸学は言うまでもなく水戸(藤田東湖・徳川斉昭・一橋慶喜…)で、陽明学は薩長(西郷吉之助・吉田松陰・高杉晋作…)です。
基礎医学研究者
2023年4月25日
(編集者からの割り込みコメント)サトルさんを差し置いて話を進めてしまいますが(;^_^A、京都のSさん。朱子学についての詳細な補足、ありがとうございました。なるほど、これは確かに男系主義を強固にした思想基盤ですかね(しかも、設計主義的なにおいすらする)。今回の連載ブログは、その啓蒙者となった新井白石ですら、男系のみによる継承の困難さに気づいているのに、倉山は結局のところ曲解するわけですよね。こうなってくると、あの方、いまさらいうなよ感がありますが、保守かどうかはかなり怪しいですね(先例主義という設計主義者疑いありですね)。
京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)
2023年4月25日
朱子学について。日ノ本では朱子学を本格導入したのは林羅山だと思われます。直ぐに刀を抜く戦国武士を太平の世の官僚に変えるためには必要な措置でした。ただ、その副作用は男系主義の定着という面で現れました。室町中期までは婿入り婚が多かった日ノ本ですが、戦国期に入ると男性性のプレゼンスが爆上がりし、朱子学の男系主義とも相性が良かったため徐々に浸透しました。そして織豊期から江戸期への変化において朱子学が幕府の官学となったため、男系主義も強固になり嫁入り婚も士農工商を問わず一般化しました。これが300年近くも続いたため男尊女卑が脳髄に沁み込んだわけです。しかし、因習化した今、変えなきゃなりません。一般人の家庭も皇室も。