前回は、古代の女性天皇が、決して「中継ぎ」的存在ではない重要な役割を果たしていたことを説明しました。
1.双系社会だった古代日本 https://aiko-sama.com/archives/5652
2.重要な役割を果たした女性天皇 https://aiko-sama.com/archives/5707
3.女性天皇の御子にも皇位継承資格があった (今回)
4.時代によって変わる皇位継承のあり方 (6/7 掲載予定)
今回は、古代において女系による皇位継承が認められていたことをご紹介します。
3.女性天皇の御子にも皇位継承資格があった
日本は、7世紀末から8世紀にかけて律令制度を導入しました。
この律令制度は手本とした唐の父系制の影響を大きく受けていますが、日本の事情を考慮して独自のルールを設けている個所もあります。
その中の一つが、皇族の身分・範囲を規定した『養老令』の「継嗣令」皇兄弟子条であり、そこには以下の下線部のような注がつけられました(荒木 1999、成清 2005)。
「凡そ皇の兄弟皇子を、皆親王と為(せ)よ。女帝の子も亦(また)同じ。」
これは、女性天皇の御子も「親王」として皇位継承資格を持つことを意味します。
また、この注は、『大宝令』の注釈書である『古記』にも「父が諸王であっても、子は親王とする」という解釈とともに記載されており、大宝令でも存在したことが分かっています(荒木 1999、成清 2005)。
そして、元明天皇の時に、男帝を父としない女帝の御子の処遇が現実の問題となりました(義江 2021)。
氷高内親王(元正天皇)は母である元明天皇の譲位により即位しましたが、これは(大宝令の注の規定に沿った)女系による皇位継承と考えられます(仁藤 2006)。 また、元明天皇は、和銅8年(霊亀元年)(715年)2月に娘である吉備内親王の子供を皆皇孫として扱うという勅を出していますが、これは大宝令の注の規定を準用したものとされます(成清 2005)。
吉備内親王の夫は天武天皇の孫である長屋王であり、子供は男系であれば三世王(天武天皇の曽孫)となりますが、女系の二世王(元明天皇の孫)として皇位継承候補と扱われたのです。
このほか、大宝令の「女帝の子も亦同じ」規定が過去に遡って適用された例もあります。
皇極(斉明)天皇は、舒明天皇との婚姻以前に、高向王(用明天皇の孫)との間に「漢」というお名前の御子を設けられました。
父系であれば天皇の御子ではないため「漢王」となりますが、『日本書紀』は母斉明天皇の御子として「漢皇子」と記しています(仁藤 2006 義江 2021)。
以上のように、8世紀に成立した大宝令・養老令には女系の皇位継承を認めた規定が存在し、実際に有効な条文として当時の人々に認識されていました。
参考文献
荒木敏夫 1999 『可能性としての女帝』青木書店
成清弘和 2005 『女帝の古代史』(講談社現代新書)講談社
仁藤敦史 2006 『女帝の世紀』(角川選書)角川書店
義江明子 2021 『女帝の古代王権史』(ちくま新書)筑摩書房
文責 東京都 りょう
次回は6/7に掲載予定 4.時代によって変わる皇位継承のあり方
5 件のコメント
ただし
2021年6月6日
大変、勉強になりました。
どうも、ありがとうございます。
資料検証こそが、歴史学ですね。
資料検証を蔑ろにして勝手な理屈を述べる、いわゆる男系固執派と、今現在のデータを見ようともせずテレビで勝手な持論を垂れ流す自称専門家は、同じだなと感じます。
双系継承という伝統を守り繋いでくれた当時の方々に、感謝の念が絶えません。
希蝶
2021年6月5日
話が脱線するかも知れませんが、吉備内親王と長屋王の子が2世王扱いされなかったら、長屋王の変は起こらなかったわけで(長屋王のほかの子供は罪に問われていないから)、そう考えると、女系が尊重されたのは事実であり、膳夫王など、長屋王の子も自殺させられたのが、気の毒でなりません。男系派はこのことをどのように考えているのでしょうか?
基礎医学研究者
2021年6月5日
今回も興味深く、かつ勉強になりました。先の時代に、斉明天皇(母)から天智天皇(息子)への”女系継承がございましたが、りょう様により論証された例は、非常にクリアーな例と思われました(自分の中では、「継嗣令」なぜ上記の条文が足されたのかも、明確になりました)。ここには、やはり、双系社会というものを想定しないと、理解できないものがある、ということなのだと思います。
それでは、最終回に期待致します。
愛知のT
2021年6月5日
男系を支持する方の脅し文句として、「変える覚悟があるのか?」「前例にないぞ!」というものがあり、それによりブレーキがかかり、自分の心に素直になれず今ひとつ踏み出せない人もいるかもしれません。
そんな方はこのような事実を認識して、自信をもって前に進めば良いと思います。
素晴らしいブログありがとうございます。
ダダ
2021年6月5日
女帝が存在していたからこそ、継嗣令に「女帝の子もまた同じ」が足されたわけですよね。
元明天皇(母)から元正天皇(娘、女帝の子)への皇位継承があり、元明天皇の孫が女系として扱われていた。
ここに双系社会を見ることができますね。
男系男子に固執する理由なんてあるのでしょうか?