神武天皇陵についての考察が、ヤフーニュースになっています。
日本最古の天皇陵は160年前に決められた? たった7カ月で築かれた神武天皇陵の真実【草の実堂 ヤフーニュース】
草の実堂は、「色々なものを調べる雑学メディア」とのこと。
初代神武天皇から第9代開化天皇までの初代・「欠史八代」は、現代の文献史学においては神話上の存在、すなわち「架空の天皇」と見なされており、その実在はほぼ否定されていながら、それぞれに陵墓があるのは、ペリー来航で政権の失地回復を試みようとした幕府が、朝廷との友好関係を強化するために、幕末に比定(同質のものがない場合、他の類似のものとくらべて、そのものがどういうものであるかを推定すること)されたからだそうです。
神武天皇陵には三つの候補地があり、一つ目は神功皇后を祀った祠が存在していたとのこと。
神武天皇陵は、短期間で整備できるミサンザイという場所に決まったようですが、
神功皇后は、明治のみならず、幕末にも、神武天皇の権威を裏打ちしようとしていたことが伺えます。
大正15(1926)年の皇統譜令、第15代天皇、初の女性天皇とされていた神功皇后の威光に支えられている架空の神武天皇を権威とする男系固執派の愚かさが、ここからも類推できますね。
「神功皇后論」の続き、そして男系固執派粉砕の金字塔となる
「愛子天皇論③」、ますます読みたくなってきました。
「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ
2 件のコメント
SSKA
2025年6月27日
幕権回復を目的とした政治決断も孝明天皇崩御後は討幕運動が過熱した為に努力は実りませんでしたが、尊皇攘夷派も幕府も多くが朱子学の徒だった事で女性の神功皇后の存在は軽視されたのでしょう。
長い歴史の間陵墓の多くが整備されず山野や田畑として放ったらかしにされた事実を見ても万世一系が一貫して支持された主張は嘘っぱちですし、同様に現代において男系皇統のみで人の心を集めるのも不可能だと冷静に見れば分かります。
近代の対外戦争の歴史においても神功皇后の民衆心理に訴える力の方が利用されたり、神武の様に謎に包まれて実在性が薄い存在は精神的支柱とするには極めて頼りないのが実際のところで、万世一系も男系も架空の念だけで国家や天皇の絶対的な根幹として扱うには脆過ぎるのが現代人の自然な捉え方ではないでしょうか。
両翼が自由に使えるのに片方だけで飛ぼうとして崖から墜落する馬鹿な発想にしか見えないのが男系説です。
京都のS
2025年6月27日
まず息長帯姫を15代・神功天皇とし(応神以後の帝は+1)、また清寧天皇(22代+1)の次は24代・飯豊天皇(飯豊青皇女:仁賢・顕宗が見つかるまで在位)とすべきですね。そうしたら以降は+2ですから、今上陛下は128代、愛子天皇は129代です。