大河ドラマを観て天皇というご存在について考えてみた

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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』終わって一週間が経ちますね。

日本で最初の武家政権‐鎌倉幕府その誕生から、承久の乱までを、2代目執権北条義時を主人公にして描いていました。
いや~大河ドラマ史上に残るダークヒーローだったのではないでしょうか?
謀略、誅殺、暗殺の連続…まさに「しぬどんどん」でした。

さて、最終回『報いの時』では幕府vs朝廷の最終決戦、承久の乱が描かれました。

結果は史実の通り(まぁ当然なんですが)幕府軍の勝利、後鳥羽上皇は隠岐へ流罪となるのですが、
幕府軍はその気になれば朝廷を滅ぼす事も出来たのに、それはしなかったですね。

六波羅探題を置いて、朝廷に睨みを利かせただけですね。
考えてみればすごい不思議なことだと思いました。


幕府軍って言うなればアンシャンレジーム(旧体制)を打倒した革命勢力ですよね。

その革命勢力が、旧体制を打倒することなく残し、自らの後ろ盾とする…この図式が以降江戸時代まで続き、今日の立憲君主制にも繋がっていると思えるのです。

承久の乱の結果、権威と権力が分離され、
天皇様は権威を司ることで、
独裁者の出現を防ぎ、権力や財力ではなく、「在り様」によって人々の尊崇の念を集めるご存在となったのではないでしょうか。

承久の乱がなければこの国の形はどうなっていたのか?
承久の乱がなければ今の日本があったのか?
と思わずにはいられなくなりました。

ひょっとして後鳥羽上皇そこまでお考えになっていたのかと…

それは後世の人間の邪推というものですね。


文責:東京都 yan ryu


☆☆yan ryuさんの過去投稿☆☆

銀河英雄伝説のセリフを引用したり、鉄道の話をご紹介くださったり、視点がバラエティ豊かです(^^)

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6 件のコメント

    Richard Tiger

    2022年12月27日

    日本以外の国であれば、間違いなく天皇とその一族は滅ぼされてますからね🤔

    京都のS

    2022年12月26日

     古代は天皇が権力と権威を共に保持していました。平安期に入ると上皇や法皇が院政を敷き、より「治天の君」としての法皇に権力が集中しました。平安末期に平清盛が権力を奪うと権威と権力が分離し始め、京から離れた鎌倉で軍事政権(幕府)が成立すると分離が促進され、さらに権力再奪取に動いた後鳥羽院が敗れると完全に分離しました。承久の乱とは、権力を望んだ三方の上皇には退場していただき、天皇には変わりなく権威を保持し続けていただく体制にしたわけです。この一連の動きは日本的統治機構(権威と権力の分離)が完成する階梯だったと見ています。
     「鎌倉殿の13人」における北条義時は、政治から私利私欲を排して世の安定だけを願う存在として描かれました。自らの手を血で染めたのも、そのためだったという描かれ方でした。牧の方(りく)に坂東をプレゼントしたがった自身の父である時政を排除した一件は典型的です。逆に後鳥羽上皇は、田舎者に奪われた権力を取り返すことに妄執しましたが、その願望には再び戦乱の世に戻る可能性が孕まれていました。ゆえにこの時点では、時所位を得ずに権力を望んだ上皇は私、世の安定を願った北条は公だったのではないかと考えています。また、これで結果的に日本的統治機構が完成しました。ただし、これは劇中の描き方に過ぎないので史実だとは言いきれません。さらに息子の泰時は、律令という(シナ的)継受法を排して貞永式目という(日本的)固有法を成立させました。これは近世や近代の法体系にまで影響を与えるものとなりました。

    基礎医学研究者

    2022年12月26日

    興味深く読ませていただきました。承久の乱の表面的なところだけをみると、まるで中国の覇権争いのような感じに見えますが、大きく異なるところは、武士が天皇にとって代わる(王朝が交代する)などということはなかったわけですよね。子供のときに、「三国志」などの中国ものを見ていると、上記の感覚がよくわかっていなくて、日本史の時代の変わり目は、あくまでも政権交代なのだということがわかったのは、後のことです。そして、yan ryuさん言われるように、ここが「権威」と「権力」が分離されるターニングポイントである、ということには、激しく同意です。

    ダダ

    2022年12月26日

    確かに。幕府軍には平家物語の「盛者必衰の理」が浸透していたんですかね?
    シナのような王朝交代が起きると、権力側は国民のクーデターを警戒するため、権力と権威の分離は画期的ですよね。

    L.K

    2022年12月26日

    yan ryuさん
    ご投稿ありがとうございました!
    ドラマを見て、「承久の乱は革命なのではないか?」と私も思いました。
    後鳥羽上皇の性格の悪さといったら!
    演出も多分に含まれているでしょうが、上皇といえど権力につながっている者の、どうしようもない性分を表しているように見えました。
    権力から離れ、公の体現者として日々研鑽を積んでこられた歴代天皇・皇室を、改めてありがたいと感じました。

    ノブヲ

    2022年12月26日

    「しぬどんどん」、確かに!
    まだ武士道もない時代、ヤクザの抗争みたいな「しぬどんどん」なのに、恩ある源氏の頭領の血筋は迷わず絶やしたのに天皇は滅ぼさなかったのは、権威と権力の分離が世の安定につながるという知恵がこの時生まれたということなのでしょうか。
    鎌倉殿は、本来なら手にすることのなかった権力を手にしたオジサン達が若者を躊躇なく犠牲にして権力に執着する話という点で、コロナ禍の今に通じるものがあり、見ていて心が痛いです。(録画した最終回まだ見てない)

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