偉大な女傑を中継ぎと言いたがる心理は男尊女卑

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 NHKの「歴史探偵」という番組が「白村江の戦い」をテーマにしていました(11.29.)。

 韓国南西部には前方後円墳が多くあり、共通の埋葬品も有ったことから、百済と古代日本には相当に深い交流があったと伺い知れます。葬送の形式が近いことは精神性の近さにも直結すると思われるからです。古代日本に仏教を伝えた百済は新羅・唐連合軍に敗れて滅亡し、残った百済復興軍は、20年ほど日本に居た百済王子(扶余豊璋)を百済王として擁立したいと希望し、また援軍も求めました。斉明天皇と中大兄皇子(後の天智帝)は友好国復興のために派兵を決意し、福岡に朝倉橘広庭宮を造って半ば遷都する程の規模で臨み、数万の大軍も集めました。しかし、百済復興軍に送り届けた扶余豊璋(新王)は復興軍の将軍・鬼室福信と仲違いして彼を殺害し、また日本船団は干満の激しい白村江(現在の錦江)の泥濘で身動きが取れなくなり、そこを唐・新羅連合軍に襲われて惨敗しました。さらに戦いの最中に斉明帝が亡くなったため中大兄は敗戦を受け入れ、本土防衛のために福岡に水城を築きました。

 VTRが終わるとスタジオゲストの森公章氏(東洋大学教授)が突然、「当時は東アジアに女帝が多く存在した」として古代日本を相対化し始めました。大陸には即天武后、半島には善徳女王・真徳女王が即位し、従って古代日本の斉明天皇も世界的な風潮に乗っただけだと言わんばかりでしたが、当時の日本には制度としての父系継承が根付いておらず、40歳以上で統率力があって国を纏められる人なら臣下に認められ、男女を問わず天皇になれた時代だと付け加えざるを得ませんでした。

 斉明天皇は初の譲位(→孝徳天皇)と重祚(中継ぎを挟んで2度即位、35代:皇極…37代:斉明)を行い、蝦夷を征伐して版図を本州の北端まで拡げ、さらに友好国を救うために大規模な対外戦争も行った女傑でした。そのような女帝を中継ぎだと言いたがる人の意図は男尊女卑以外には考えられません。また天智天皇(38代)が舒明天皇(34代)の息子だからとして斉明天皇(37代)からの女系継承とは認めない理由も同様です。業績よりも血の一滴が大事だと言うなら、ネトウヨさんの言う「日本スゴイ」の根拠なんか総崩れです。      

文責:京都のS

5 件のコメント

    京都のS

    2023年12月10日

     突撃様、「当時の日本に父系原則なんか、存在しません」の件は、父系を強調したがった森公章氏が後で付け足した言葉です。男系固執の空気に一度は負けたけど、学者の知的誠実さが後から首をもたげたものと見ています。
     父系の方が都合が良かったのは娘を入内させて権力を握った藤原氏などですね。でも、儒教要素に塗れた律令が導入されても「女帝の子も亦同じ」という原注が入りました。これが日本の伝統ですね。

    突撃一番

    2023年12月10日

    冊封体制由来の、群臣達の「男帝へのこだわり」は、推古天皇が既に破壊してしまわれました。

    皇極天皇は、日本古来の「双系的血統観」によって即位されたまで。

    京都のSさんおっしゃる通り、当時の日本に父系原則なんか、存在しません。

    京都のS

    2023年12月9日

     SSKA様、※ありがとうございます。「女系継承について認めたくない人というのは、皇室が自己の意思を発現される事で自称尊皇を気取る彼等以上に国民の信頼を得る事が本音では気に食わないのだろう」が全てでしょうね。ワタクシ100%です。

    SSKA

    2023年12月9日

    歴史家がこうであるから皇統問題もなかなか進展しないという側面が間違いなくあるのでしょう。
    皇族が実権を取り戻す目的で行われた乙巳の変を経た後に、一度退いた身でありながら再び返り咲く執念や胆力と政治的実力が並々ならぬものであった所を見ても事件の背景と無関係であったと考える方が極めて不自然です。
    信頼出来る息子の力を存分に用いつつ、自身は天皇の権威を高め基盤を築く事に全力を注ぎながら、皇位継承までの道筋を確固たるものにしたと見る以外無いのではないでしょうか。
    譲位に対する見方にしても、譲った後も斉明帝の様に力を保持されたままの方とそうでは無い場合とで分けて考えるのが正しい歴史の見方のはずです。
    現代の上皇陛下も一線を退かれましたが、未だにそのご存在をお慕いする心は国民からは失われてはいませんし、平成→令和(今上陛下)と言う生前における直系継承を実現した事により皇室の存在感はより重みを増し、安心感を得た国民の方が圧倒的多数を占めているはずです。
    かつての生前退位や現在議論されている女系継承について認めたくない人というのは、皇室が自己の意思を発現される事で自称尊皇を気取る彼等以上に国民の信頼を得る事が本音では気に食わないのだろうと言う気がします。

    京都のS

    2023年12月8日

     12月7日・8日には「天皇陛下万歳への道程」( https://aiko-sama.com/archives/24139 )を読んでほしくなります。以下は続編です。
    (破)…( https://aiko-sama.com/archives/24141
    (急)…( https://aiko-sama.com/archives/24143

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