これまで3回にわたってご紹介してきたように、古代の日本は、双系(双方)社会を基盤に、直系男子に必ずしもこだわらない系譜意識および男女の性差よりも年齢・資質を重視する皇位継承システムが存在した(仁藤 2006)と考えるのが、最近の古代史研究の主流になっています。
1.双系社会だった古代日本 https://aiko-sama.com/archives/5652
2.重要な役割を果たした女性天皇 https://aiko-sama.com/archives/5707
3.女性天皇の御子にも皇位継承資格があった https://aiko-sama.com/archives/5636
4.時代によって変わる皇位継承のあり方 (今回)
この性差のない皇位継承システムから誕生した古代女帝の歴史は、(古代中国の)父系原理が律令官人制を通じて貴族社会に浸透し、官人を経た熟年男性の即位の連続によって8世紀後半に終焉します(義江 2021)。
そしてさらに、9世紀以降外戚である藤原氏が摂政・関白として統治権を代行することで、幼年での立太子や即位が忌避されなくなり、資質よりも血統を優先する父子直系継承が確立されました(佐伯 2019)。
このように皇位継承のあり方は、天皇と権力の関係、天皇の親族をめぐる問題と深く関わって、時代ごとに移り変わってきました(佐伯 2019)。
しかし、それでも女性天皇や女系による皇位継承は制度上否定されることはありませんでしたが、近代になって旧「皇室典範」が制定されることで制度上「廃止」となります。
古代女帝像の根本的な見直しを提起した研究者である荒木敏夫氏は、旧「皇室典範」について、前近代まで自身の進退・後継者について規制のなかった天皇を法の枠内に封じ込めた面をもち、その枠内で女帝即位の可能性が封じ込められたが、それは「前近代の天皇-王権が保持していた諸状況に対応する「柔構造」=フレキシビリティを確実に弱くさせた」と指摘しています(荒木 1999)。
この指摘は、「男系主義は日本古来の伝統」という主張が、実際の歴史だけでなく皇室の存続可能性に照らしても正しいかどうかを考えるうえで示唆的であり、安定的な皇位継承にとって重要な視点といえるでしょう。
参考文献
荒木敏夫 1999 『可能性としての女帝』青木書店
佐伯智広 2019 『皇位継承の中世史』(歴史文化ライブラリー)吉川弘文館
仁藤敦史 2006 『女帝の世紀』(角川選書)角川書店
義江明子 2021 『女帝の古代王権史』(ちくま新書)筑摩書房
文責 東京都 りょう
5 件のコメント
れいにゃん
2021年6月9日
双系シリーズ、ありがとうございました。改めて歴史の中で「男系」なるものを見つめてみれば、つい最近の「制度」であることは明らかなのですね。歴史を紐解けば伝統は双系であり、時代に合わせる柔軟性を奪われているのが現状なのですね。文言化されたばかりに
間違った言霊に縛られているのが男系固執主義なら、尚更、本物の国民の願いを言霊にのせて発信し続けなければいけないと改めて思いました。
ただし
2021年6月8日
フレキシビリティーを調べましたら、柔軟性と書いてありました。柔軟性を確実に弱くさせたのですね…。
今、間違いなく皇室の危機を迎えているのですから、柔軟性を取り戻さなければいけないと強く思いました。
ダダ
2021年6月7日
いわゆる「男系」は近代からの「制度」なのであって、伝統では無い!
とても勉強になりました。ありがとうございました!
上皇陛下と天皇陛下が繋げようとしている伝統(双系継承)を支持します!!
基礎医学研究者
2021年6月7日
最終回も非常に読み応えがあり、かつ勉強になりました。ここまでのりょう様の連載を見ますと、これならば”双系”で現在まで安定に皇統継承がなされても問題ないだろう、というのが率直な理解でした。しかしながら、今回のブログより、古代シナの律令官人制→平安時代の摂関政治により男系長子優先という流れができ、さらに旧「皇室典範」により、本来の”双系継承”の範囲を狭め、結果として非常に硬直化してしまったことが理解できました。
そうであるのならば、やはり我々国民のやるべきことは、皇室典範を本来の日本の歴史伝統に沿う形(双系継承)に改定し、「女性宮家の創設」および「直系長子優性」の道を開くということになりましょうか。
よっしー
2021年6月7日
双系シリーズありがとうございました😊
男系は日本の伝統ではなかった!
この事を、多くの国民が共有する必要があります。
多くの国民が愛子さまが将来の天皇になる事を望んでいるのは、間違ってはいません。
むしろ、シナ男系主義から脱却し、日本本来の形・伝統へ還る回帰本能ではないか?とさえ思います。
愛子さまを皇太子に!!