
以前「本能寺の変」の原因は「四国説」+「秀吉黒幕説」が説得的だと述べました(※「生き方が熱かった頃~」参照)が、ここで再び「暴君討伐説」を俎上に載せます。
京の町が応仁の乱(1467~1477)の戦禍から回復しつつあった頃、復興を担う町衆や法華(日蓮)
やがて信長の傀儡状態に嫌気が差した義昭は大坂本願寺・毛利・朝倉・浅井・武田…と連携して信長包囲網を築いたために信長旗下の武将は各地の戦に駆り出され、義昭自身も槙島城で挙兵しましたが、直ぐに鎮圧されて備後国へ落ち延びました(1573年7月)。また同年4月に信長は、自治の継続を望みつつ義昭支持に傾く町衆に対し、上京焼き討ちという暴挙に出、6000~7000戸の家々が焼失しました。事件について宣教師Lフロイスは「上京の民が傲慢だから信長の怒りに触れた」と本国に報告しており、民(法華宗徒)に対してサタンの如き所業を為した信長であっても親キリスト教なら支持するという姿勢が清々しい程に一貫しています。また明智光秀は、信長の仲介とは言え朝廷から「惟任」の姓と「日向守」の官職を授かっており、尊皇心も厚かったはずであり、それゆえ民を思う帝の大御心に沿おうとすれば臣・光秀は暴君・信長を誅殺せざるを得なかったと筆者は考えます。ゆえに「怨恨説」「不安説」「野望説」は光秀への愚弄が過ぎ、「四国説」や「秀吉黒幕説」も枝葉に過ぎず、やはり「暴君討伐説」が核心だと感じます。
さて、天正の宗教戦争(法華宗VS耶蘇教)と似た構造が令和の皇位継承問題にも有ります。「皇室と共に在る物語」VS「皇室を棄てて韓鶴子に傅く物語」です。前者を生きたいと願うのが愛子様を敬愛する庶民であり、後者のサタン降臨を望むのが男系固執派の政治屋と言論人です。
文責:京都のS
2 件のコメント
京都のS
2026年3月22日
法華宗について捕捉します。法華(日蓮)宗は京の民(特に自治を担った町衆)にとって最も一般的な仏教宗派でした。町中にも多くの法華宗寺院があり、本能寺(織田信長が明智光秀に襲われた)も本圀寺(足利義昭が三好三人衆に襲われた)も法華宗寺院でした。また法華宗寺院は三好一族の流通ネットワークでもありました。三好氏の本拠地である阿波と堺と京と繋ぎ、種子島の法華寺院とも連携して鉄砲の流通を担っていました。三好長慶が京を支配した時代は鉄砲の流通を三好氏(&淡路水軍)が握り、それを後に信長(&九鬼水軍)が支配したわけです。石山合戦(織田VS大坂本願寺)は九鬼水軍(織田)VS村上水軍(毛利)でした。羽柴秀吉が毛利攻めのために味方に付けようとしたのは三好氏(&淡路水軍)でした。
京都のS
2026年3月20日
ふぇい様、掲載ありがとうございます。織豊期シリーズ(反時代的な光秀偏愛シリーズ)です(笑)。他は以下です。
・「ダンケーさん、寝返るなら今だと思いますよー(棒)」( https://aiko-sama.com/archives/53559 )・・・楠木正成論から明智光秀論に展開
・「豊臣家の諸問題から我々が学ぶべきこととは?」( https://aiko-sama.com/archives/65615 )・・・豊臣秀吉の周辺から皇室問題を考える
・「ダンケーさん、寝返るなら今だと思いますよー(棒) season2」( https://aiko-sama.com/archives/65949 )・・・筒井順慶からも皇室問題を考える
・「世が世なら討伐されて当然の御仁なれど…」( https://aiko-sama.com/archives/66567 )・・・津田信澄からも皇室問題を考える
・「生き方が熱かった頃の遺制は温(ヌル)い属国民には許されない!」( https://aiko-sama.com/archives/67774 )・・・細川忠興とガラシャからも考える
・「日本国と皇族方を追い込む卑劣漢どもを絶対に許すな!」( https://aiko-sama.com/archives/68767 )・・・荒木村重からも考える
・「高市早苗には100ヶ条ほどの折檻状が必要」( https://aiko-sama.com/archives/68981 )・・・佐久間信盛と荒木村重から考える